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第四話  先輩の教え

午後の新聞社。


 玲は自分の机に積まれた古い新聞を、一枚ずつめくっていた。


 入社してから、暇を見つけては過去の記事を読むようにしている。


 同じような出来事でも、記者によって文章の書き方が違う。


 事実を簡潔にまとめた記事。


 現場の様子を細かく伝える記事。


 読んでいるうちに、まるで自分までその場にいるような気分になる記事。


 玲は、そんな記事を見つけるたびに手を止めていた。


「……これ、面白いな」


 小さく呟いた、そのときだった。


「何が?」


「うわっ」


 突然後ろから声をかけられ、玲は肩を跳ねさせた。


 振り返ると、ミナがコーヒーを片手に立っている。


「……ミナさん」


「そんなに驚く?」


「驚きますよ。急に後ろから声かけられたら」


「ごめんごめん」


 ミナは笑いながら、玲の机を見る。


「過去の記事?」


「はい。記者として勉強しようと思って」


「偉いねぇ」


「そうですか?」


「私なんて新人の頃、先輩の記事を読むたびに自信なくしてたよ」


「ミナさんでも?」


「私だから」


 ミナは椅子を引いて座った。


 玲はさっき読んでいた記事を手に取る。


「これです」


「どれ?」


「この商店街の記事。店同士の揉め事なんですけど……面白いんですよ」


 記事には、商店街にある二つの店がちょっとしたことで揉めた経緯が書かれていた。


 事件としては大きくない。


 警察が出てくるような話でもない。


 それでも、店主たちの言葉や周囲の人間の反応が細かく書かれている。


 読み進めるほど、その場の空気が伝わってくる。


「これ、誰が書いたんですか?」


 玲が尋ねる。


 ミナは記事に目を落とした。


「ああ……これか」


「知ってるんですか?」


「うん」


 ミナは少し懐かしそうに記事を見る。


「私の教育係だった先輩が書いた記事だよ」


「教育係?」


「私が新人だった頃に、いろいろ教えてくれた人」


「へぇ……」


 玲は改めて記事を見る。


「じゃあ、ミナさんもこういう記事の書き方を、その先輩から?」


「そうだね」


 ミナは笑う。


「まあ、教えられたっていうより、何度も怒られたって感じだけど」


「怒られたんですか?」


「そりゃもう」


「何で?」


「取材しても、相手の話を聞いた気になってただけだったから」


 ミナはコーヒーを一口飲む。


「記者は質問を用意して、それを聞いて終わりじゃないんだって」


「じゃあ、どうするんです?」


「相手が何を言いたいのかを考える」


 ミナは記事を指で軽く叩いた。


「この人が何を言ったかだけじゃなくて、なんでそんなことを言ったのか。何を隠してるのか。何を伝えたいのか」


「なるほど」


「まあ、私もまだ勉強中だけどね」


 ミナは立ち上がった。


「ほら、行くよ」


「どこに?」


「取材」


「あ、はい」


 玲も慌てて立ち上がった。


     ◇


 その日の取材先は、例の商店街だった。


 毎年開催されているイベントだが、今年は客足が少ないらしい。


 二人で商店主たちに話を聞いて回る。


「去年より人が少ない?」


「そうなんだよ。昔はもっと人が来てたんだけどな」


「何か原因に心当たりはありますか?」


 玲が尋ねると、店主は少し考えた。


「この辺も、昔より金がかかるようになったからな」


「金がかかる?」


「土地代だよ。最近じゃ、店を続けるだけでも結構大変だ」


「土地代が上がった? 急にですか?」


「少しずつだけどな」


 店主は周囲を見回し、小さな声で続けた。


「この辺の土地を持ってる人がいるんだよ。ビリオン都市じゃ、かなりの土地を持ってるって話だ」


「そんな人が?」


「ああ。俺たちみたいな店が文句を言ったところで、どうにもならんよ」


「文句とかはないんですか?」


「あるさ。でも、地主に逆らえば商売ができなくなるからな」


「なるほど……」


 玲はメモを取る。


 その後も何人かに話を聞いた。


 しかし、答えは人によって違った。


 天気が悪かった。


 景気が悪い。


 近くに新しい店ができた。


 イベントの内容が去年と変わらない。


 土地代が上がった。


 どれも決定的な理由にはならない。


 玲は少し困った顔をした。


「……これ、どう記事にするんですか?」


 帰り道、玲が聞いた。


「まだ分からない」


「分からないんですか?」


「うん」


 ミナはあっさり答える。


「取材したからって、必ず答えが出るわけじゃないから」


「じゃあ、どうするんです?」


「考える」


「考える?」


「聞いた話を並べて、そこから何が見えるか考えるの」


 ミナは歩きながら続ける。


「昔、先輩に言われたんだよね」


「何て?」


「『取材っていうのは、答えを探すんじゃなくて、答えがどこにあるのか探す仕事だ』って」


「……格好いいですね」


「でしょ?」


 ミナは少し得意げに笑った。


「だから私も、まだその言葉を守ってる」


 玲は黙ってミナを見る。


「ミナさん、先輩のこと好きだったんですね」


「……まあね」


 一瞬だけ、ミナの表情が変わった。


 けれど、すぐにいつもの笑顔に戻る。


「さて、会社戻ろう」


「はい」


 二人は歩き出した。


     ◇


 夜。


 新聞社に戻った玲は、自分の机に座った。


 今日の取材内容を整理する。


 メモを書き終えると、玲はふと昼間の記事を思い出した。


 ミナの教育係だった先輩。


 あの記事を書いた人。


「……もう少し読んでみようかな」


 玲は新聞の保管棚へ向かった。


 古い記事を探す。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 その記者が書いた記事をいくつか見つけた。


 どれも面白い。


 文章が上手い。


 事件そのものより、人間を見ているような記事だった。


 玲は次の記事を手に取る。


 見出しを読む。


 そして、手が止まった。


「……殺人事件」


 紙面の大きな見出し。


 数年前に起きた事件だった。


 玲は何気なくページを開く。


 一行目を読む。


 そして、もう一度最初から読み始めた。


 数分が経った。


 玲はページをめくることを忘れていた。


 気づけば、完全に記事に引き込まれている。


 被害者。


 現場。


 周囲の人間。


 事件が起きた後の街。


 そこに書かれている全てが、妙に生々しかった。


 玲はしばらく黙って記事を読み続けた。


「……面白い」


 誰もいない新聞社で、玲は小さく呟いた。


 その記事を書いたのが誰なのか。


 玲はまだ知らない。


 ただ――


 明日、誰かに聞いてみようと思った。

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