第三話 噂の行方
記者になって、一週間。
仕事にも少しずつ慣れてきた。
取材についていき、話を聞き、メモを取る。
会社に戻れば、聞いた話を記事にまとめる。
そして、先輩に赤を入れられる。
そんな毎日だ。
「天城」
「はい?」
昼前、ミナさんが声をかけてきた。
「今日、私と一緒に来て」
「取材ですか?」
「うん」
「どこに?」
「ラピス」
聞いたことのある名前だった。
「キャバクラですよね」
「そう」
ミナさんは机の上に置いてあった資料を手渡してきた。
「ここで働いてる人気の女の子が、昨日突然辞めたの」
「人気の?」
「マリアって子。指名も多かったみたい」
「それで取材を?」
「辞めただけなら、そこまで珍しくないんだけどね」
ミナさんが資料を指で叩く。
「ちょっと噂になってる」
「どんな?」
「店と揉めたとか、他の店に引き抜かれたとか」
「なるほど」
「本当かどうかは分からない」
「だから調べる」
「そういうこと」
ミナさんが立ち上がる。
「行こう」
「はい」
ラピスに到着すると、俺たちは店のスタッフに話を聞いた。
最初に対応してくれたのは、受付にいた女性だった。
「昨日辞めたマリアさんについて、お聞きしたいんですが」
ミナさんが名刺を見せる。
「はい。私で分かることなら」
「辞めた理由は何か聞いてますか?」
「本人からは、夜の仕事を辞めたいって聞きました」
「それだけ?」
「はい」
「店と揉めたとかは?」
「私は聞いてないです」
「他のお店から声をかけられていた、という話は?」
女性は少しだけ考えた。
「……そういう噂はありました」
「どこの店ですか?」
「そこまでは分からないです」
ミナさんが礼を言う。
次のスタッフにも話を聞いた。
「マリアさん、何かあったんじゃないかな」
「何かって?」
「それは分からないけど……急だったから」
また別のスタッフは、
「他の店に移ったって聞いたよ」
「どこの店ですか?」
「知らない」
さらに別の人物からは、
「オーナーと揉めたらしい」
「それは本人から聞いたんですか?」
「いや、噂」
話を聞けば聞くほど、内容が変わっていく。
俺はメモ帳に書かれた言葉を見返した。
辞めた理由。
引き抜き。
店とのトラブル。
どれも確かな情報ではない。
「どう思う?」
店を出たところで、ミナさんが聞いてきた。
「みんな違うことを言ってますね」
「うん」
「でも、誰かが嘘をついているとは限らないと思います」
「どういうこと?」
「聞いた話を、そのまま誰かに伝えているだけかもしれない」
ミナさんが黙る。
「最初は『他の店から声をかけられた』だけだったのに、誰かが『引き抜かれた』って言って、それを聞いた人が『店と揉めた』って付け足したとか」
「……噂が勝手に変わっていった」
「はい」
ミナさんが少し笑った。
「面白いね」
「そうですか?」
「うん。事件そのものより、噂がどうやって生まれたのかを追ったほうが面白いかもしれない」
そう言って、ミナさんはメモ帳を開いた。
「もう少し聞いてみよう」
俺たちはラピスの周辺にある店でも話を聞いた。
けれど、結局マリア本人につながる情報は得られなかった。
分かったのは、彼女が突然辞めたこと。
そして、その理由について様々な噂が流れていること。
それだけだった。
「うーん……」
ミナさんが腕を組む。
「決定的なものがないね」
「はい」
「記事にするには弱いかな」
その時だった。
店の入口に、一人の女性が入ってきた。
「……え?」
ミナさんが声を漏らす。
「どうしたんですか?」
女性はこちらへ歩いてくる。
店員たちが一斉に頭を下げた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様」
女性は笑顔で応える。
そして、俺たちの前で足を止めた。
「あら。記者さん?」
「は、はい!」
ミナさんが慌てて鞄を開ける。
名刺を取り出し、急いで差し出した。
「ビリオン・ニュースの朝倉です!」
「朝倉さんね」
「はい!」
ミナさんは俺を振り返る。
「こっちは新人の天城です!」
「天城です。よろしくお願いします」
俺も頭を下げる。
「こちらこそ」
女性は柔らかく微笑んだ。
「神崎レナです」
ミナさんの表情を見る。
さっきまでとは明らかに違う。
緊張している。
この女性が、この店のオーナーなのだろう。
「今日は取材?」
「はい」
ミナさんが答える。
「マリアさんの退店について、少しお話を伺っていました」
「ああ、マリアね」
レナさんはすぐに理解した。
「本人から聞いてるわ」
「辞めた理由は?」
「夜の仕事を辞めたかったんですって」
「他の店から声をかけられていたという噂もありますが」
俺が聞く。
「そうなの?」
「はい」
「ふふ」
レナさんは小さく笑った。
「噂って面白いわね」
「面白い?」
「事実より広がるのが早いから」
それだけ言うと、レナさんは店の奥へ向かった。
「……」
ミナさんはしばらくその後ろ姿を見ていた。
「すごい……」
「何がですか?」
「神崎レナだよ」
「はい」
「ビリオン都市でも有名な人」
「そんなに?」
「そんなに」
ミナさんは小さく息を吐いた。
「私、ちゃんと話したの初めて」
「そうなんですね」
「うん」
ミナさんは少し嬉しそうに笑った。
「いつか、神崎さんをちゃんと取材してみたいな」
会社に戻った俺たちは、集めた情報を整理した。
結局、マリアの退店そのものについては、大きな記事にはならなかった。
ただ、噂がどう広がったのか。
人によって話がどう変わっていったのか。
そこに焦点を当てて、小さな記事を書くことになった。
夕方。
完成した記事が掲載された。
大きな見出しではない。
街を騒がせるような記事でもない。
それでも、俺は自分の書いた文章を眺めていた。
今日、自分で聞いた話。
自分で考えたこと。
それが一つの文章になっている。
そして、それを誰かが読む。
思っていたより、面白かった。
「天城」
「はい?」
ミナさんが声をかけてくる。
「どう?」
「何がですか?」
「記者」
少し考える。
「……面白いです」
「そっか」
「もっと大きな記事も書いてみたいです」
言葉にすると、自分の中でもはっきりした。
もっと多くの人に読まれる記事。
もっと注目される記事。
もっと大きな出来事を扱う記事。
そんな記事を書いてみたい。
「じゃあ、頑張らないとね」
「はい」
ミナさんが笑う。
俺も笑った。
この時は、それだけだった。
ただ、もっと面白い記事を書きたい。
それだけ。
それがいつか、自分の考え方を大きく変えることになるなんて。
この時の俺は、まだ知らなかった。




