↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/9

第二話 初めての記事

 翌朝。


 俺は昨日と同じ時間に会社へ向かった。


 ビリオン都市の朝は早い。


 昨日は夜まで騒がしかった街も、朝になればスーツ姿の人間が行き交い、店のシャッターが開き始める。


 昨日と同じ街なのに、少しだけ違って見えた。


「おはようございます」


 会社に入る。


「お、天城。早いな」


 黒田さんが新聞を読みながら声をかけてきた。


「おはようございます」


「朝倉はまだ来てないぞ」


「そうなんですか?」


「あいつはいつもギリギリだ」


「聞こえてますよー」


 背後から声がした。


 振り返る。


「おはようございます」


 ミナさんが紙袋を片手に立っていた。


「おはよう、新人君」


「朝から何食べてるんですか?」


「パン」


「見れば分かります」


「じゃあ聞かないでよ」


 ミナさんは笑いながら席についた。


 そしてパソコンを立ち上げる。


「さて」


「はい」


「今日は一人で取材してみようか」


「もうですか?」


「もう」


 机の上に一枚の紙が置かれた。


 そこには店の名前と住所、それから簡単なメモが書かれている。


「昨日の夜、小さなトラブルがあった店」


「トラブル?」


「客同士の喧嘩」


「それだけですか?」


「今のところはね」


 ミナさんはコーヒーを飲む。


「警察沙汰にはなってるけど、大した事件じゃない。怪我人もいない」


「じゃあ、これを記事にするんですか?」


「するかどうかは、君が決める」


「俺が?」


「そう」


 ミナさんは椅子を回してこちらを向いた。


「記者は、渡された情報をそのまま記事にする仕事じゃないから」


「……なるほど」


「現場に行って、話を聞いて、自分で判断してみて」


「分かりました」


「それと」


「はい?」


「無理はしないこと」


 ミナさんは真面目な顔で言った。


「ビリオン都市は、面白そうだからって首を突っ込んでいい場所ばかりじゃないからね」


「分かりました」


「よし。行ってらっしゃい」


 俺はメモを持って会社を出た。


 目的の店は、会社から歩いて二十分ほどの場所にあった。


 大通りから少し外れた場所にある、小さな定食屋。


『食堂みつば』


 看板は少し古い。


 昼前だというのに、店内には数人の客がいた。


「すみません」


「はい?」


 カウンターの奥から、四十代くらいの男性が顔を出す。


「ビリオン・ニュース社の者です。昨日の夜の件について、少しお話を伺いたいのですが」


 男性の表情が少し固くなった。


「……昨日の?」


「はい」


「警察ならもう帰りましたよ」


「警察ではありません」


 名刺を渡す。


「新聞記者です」


「ああ……」


 男性は名刺を見て、少し迷った。


「別に大したことじゃないですよ」


「それはお話を聞いてから判断します」


 昨日ミナさんに言われた言葉を、そのまま使ってみた。


「……まあ、いいですけど」


 男性はため息をついた。


 店主の名前は三橋。


 昨日の夜、店内で二人の男が口論になり、そのまま掴み合いになったらしい。


「原因は?」


「酒ですよ」


「二人は知り合いだったんですか?」


「いや。片方は常連ですけど、もう片方は初めて来た客です」


「それで?」


「最初は普通に飲んでたんですよ」


 三橋さんは昨日のことを思い出すように話す。


「でも、途中から何か言い合いを始めて……」


「何を?」


「そこまでは聞いてません」


「どちらかが何か怒らせるようなことを?」


「分かりません」


 話を聞いていると、確かに大した事件には思えなかった。


 俺はメモを取りながら、店内を見回した。


 壁にはメニュー。


 カウンター。


 四人掛けのテーブルが三つ。


 入口の近くに監視カメラ。


「監視カメラってありますよね」


「ええ」


「昨日の映像は?」


「警察が持っていきました」


「なるほど」


 俺はメモを続けた。


「他に何かありませんか?」


「何か?」


「昨日の二人について」


 三橋さんは少し考えた。


「……そういえば」


「はい」


「喧嘩が始まる前に、あの二人、誰かの名前を話してました」


「誰か?」


「ええ」


「名前は覚えていますか?」


「……確か、『坂本』とかなんとか」


「坂本?」


「はい」


 その名前を書き留める。


「その人は店に?」


「来てないと思います」


「思います?」


「昨日は忙しかったから、全部は覚えてないんですよ」


 その後もいくつか質問をした。


 店を出る前、三橋さんが声をかけてきた。


「記者さん」


「はい?」


「本当にこんなの、記事になるんですか?」


「分かりません」


 正直に答えた。


「今は、まだ」


「そうですか」


「ありがとうございました」


 店を出る。


 さて。


 どうするか。


 会社へ戻る前に、近くのコンビニで昼食を買った。


 公園のベンチに座り、メモを見返す。


 客同士の喧嘩。


 原因不明。


 警察が介入。


 そして、坂本という人物。


 正直、記事にするほどの話ではない。


 そう思った。


 ただ――


 妙な引っ掛かりがある。


 俺はスマートフォンを取り出した。


 会社から渡された記者用の端末には、簡単な情報検索機能が入っている。


「坂本……」


 名前を入力する。


 該当する人物が何人か出てくる。


 その中に、昨日ミナさんから聞いたある店の名前があった。


 俺は少し考えた。


 そして、検索結果を閉じた。


「……まあ、帰ってからでいいか」


 会社へ戻る。


「おかえり」


 席に戻ると、ミナさんが声をかけてきた。


「どうだった?」


「大した事件ではなかったです」


「そう?」


「客同士の喧嘩です」


「ふーん」


「ただ、一つ気になる名前が出てきました」


「誰?」


「坂本という人物です」


 ミナさんが少しだけ顔を上げる。


「坂本?」


「知ってます?」


「いや……」


 ミナさんは少し考えた。


「聞いたことあるような、ないような」


「俺もまだ分かりません」


「じゃあ調べてみれば?」


「いいんですか?」


「もちろん」


 ミナさんは自分の仕事に戻る。


「ただし、調べて何もなかったら、それで終わり」


「分かりました」


 俺はパソコンを開いた。


 いくつか情報を調べる。


 新聞の過去記事。


 警察発表。


 会社のデータベース。


 そして――


 少しずつ情報が繋がっていく。


 坂本という男は、どうやら昨日の喧嘩とは別の場所でも名前が出ていた。


 だが、決定的なものはない。


 ただの偶然かもしれない。


 俺はそのことを記事に書くことはやめた。


 代わりに、昨日の喧嘩について分かったことだけを整理する。


 事実。


 証言。


 警察発表。


 そして、店主の話。


 一つずつ文章にしていく。


「……できました」


「見せて」


 ミナさんが俺の画面を覗き込む。


 しばらく無言で読む。


「……悪くない」


「本当ですか?」


「うん」


「よかった」


「でも」


 ミナさんは画面を指差した。


「ちょっと綺麗すぎる」


「綺麗すぎる?」


「事実はちゃんと書けてる。でも、これだと読者が途中で飽きる」


「なるほど」


「記者の記事って、作文じゃないからね」


 ミナさんは少し考えてから続けた。


「読者に最後まで読ませるには、何か引っ掛かりが必要なの」


「引っ掛かり……」


「そう。『何で?』とか『どうして?』って思わせるもの」


「でも、事実じゃないことを書くわけにはいかないですよね」


「当たり前」


 ミナさんは笑った。


「だから難しいんだよ」


 俺は記事を見直した。


 言われてみれば、確かに淡々としている。


 何が起きた。


 誰がいた。


 警察が来た。


 それだけだ。


「覚えておいて」


 ミナさんが言う。


「事実を並べるだけなら、誰でもできる」


「はい」


「記者は、その先にあるものを見つけないと」


 その言葉が妙に印象に残った。


 結局、その日の記事は小さく掲載された。


 新聞の片隅。


 大きな見出しもない。


 街を騒がせるような記事でもない。


 それでも――


 翌日の昼。


 一本の電話が会社に入った。


「天城君、電話」


 事務の女性に呼ばれ、受話器を取る。


「はい、天城です」


『昨日の記事を書いた記者さんですか?』


「はい」


『……記事、読みました』


 電話の向こうから聞こえてきたのは、昨日の店主――三橋さんの声だった。


『書いてくれて、ありがとうございました』


「いえ。こちらこそ、お話を聞かせてもらってありがとうございました」


『うちみたいな小さい店の記事なんて、誰も読まないと思ってたから』


「そんなことないですよ」


『……そう言ってもらえると嬉しいです』


 電話が切れる。


 俺は受話器を置いた。


「どうだった?」


 ミナさんが聞いてくる。


「店主からでした」


「何だって?」


「ありがとうって」


「そっか」


 ミナさんは嬉しそうに笑った。


「よかったじゃん」


「はい」


 初めてだった。


 自分が書いた文章を読んだ人間から、直接感想をもらったのは。


 小さな記事だった。


 誰も気に留めないような記事。


 それでも、誰か一人のところには届いた。


 それだけで、少しだけ嬉しかった。


 仕事を終え、会社を出る。


 夕方の街を歩いていると、駅前の巨大な電光掲示板にニュースが流れていた。


『昨夜、ビリオン都市中心部で――』


 大きな事件。


 大きな見出し。


 たくさんの人間が足を止め、画面を見上げている。


 俺も足を止めた。


 自分の記事とは、何もかも違う。


 規模も。


 注目度も。


 読んでいる人間の数も。


「……やっぱり」


 俺は小さく呟いた。


「大きな事件のほうが、面白いのかな」


 特に深く考えたわけじゃない。


 新人記者が、初めて自分の記事を書いた日の。


 ほんの些細な感想だった。


 俺はそのまま歩き出した。


 明日も仕事がある。


 まだ覚えることは多い。


 ビリオン都市についても、知らないことばかりだ。


 だから今は――


 目の前の事件を追えばいい。


 そう思いながら、俺は夜の街へ消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。