Episode 7 NO MORE RUNNING
車庫の方向から、ジェイクの叫び声が聞こえた。
「クロエ!」
私は隠し通路の奥で足を止めた。
クロエを殺したあと、肩を貫いた矢の柄を短く折り、二人が来る前に車庫を離れていた。
それでも、遠くから響く声を聞くだけで、斧を握る手が震えた。
ジェイクとイーサンが、クロエを見つけたのだとわかった。
戻るべきではない。
そう分かっていたのに、私は壁の中を引き返していた。
車庫を見下ろせる覗き穴へ近づく。
ジェイクはクロエの傍に膝をつき、その身体を抱き起こしていた。
白い服は血に染まり、肩から胸へ伸びた傷口は、抱き締めても塞がることはない。
「クロエ……」
何度名前を呼んでも、彼女は目を開けなかった。
ジェイクは震える指でクロエの頬に触れた。
やがて、床に落ちたクロスボウとナイフへ視線を向ける。
「あいつがやった」
押し殺した声だった。
「あの化け物が、クロエを殺したんだ」
イーサンは答えなかった。
工具台の上に置かれた車のキーへ近づき、開いたままのボンネットと、取りつけられたバッテリーを確認する。
「……車を直してある。キーも置いてある」
「お前は、何を言ってるんだ」
ジェイクの声には苛立ちが混じっていた。
イーサンは床に落ちたクロスボウを拾う。その近くには、先端が潰れた矢と、血のついた折れた矢柄が落ちている。
「クロエは二本とも撃ってる。ナイフも抜いていた」
「だから、なんだよ? 自分を守っただけだって言いたいのか?」
「分からない。でも、僕たちを殺すつもりなら、車を直す必要なんてなかった」
ジェイクがゆっくりと立ち上がった。
「タイラーも、メーガンも、クロエも、あいつに殺されたんだぞ!」
ジェイクの怒声が車庫に響いた。
「最初に武器を持たずに現れたことも、手紙を書いたことも、車庫を教えたことも、全部俺たちを油断させるためだったんだ!」
「だったら、どうしてクロエを殺したあと、ここで待ち伏せてなかったんだ?」
「イーサン!」
ジェイクが胸倉を掴む。
「あいつは、俺たちの友達を三人殺した怪物だぞ!」
「分かってる! 分かってるよ!」
イーサンも声を荒らげた。
二人の間に、重い沈黙が落ちる。やがてジェイクが手を離した。
「お前は……一体、誰の味方なんだ?」
その声には、怒りよりも深い悲しみが滲んでいた。
「俺の友達じゃないのか?」
イーサンは答えられなかった。
ジェイクはクロエの身体を静かに床へ戻した。
「もういい。俺が全部終わらせる」
私は覗き穴から離れた。
ジェイクは必ず私を殺しに来る。もう、話し合うことはできない。逃げても追ってくる。イーサンが止めても、きっと諦めない。
だったら、その前に殺す。
そう心に決めて、強く斧を握り直した。
でもまずは、この肩を止血しないと。
いくらケアテイカーが大男でも、ジェイクも引けを取らないくらい体格がいい。
加えて、向こうは二人いる。
私は一度怪我の手当をするため、彼らのいる車庫から離れた。
態勢を立て直し、確実に彼らを殺すために。
◇
肩に残った矢を背中側から引き抜き、裂いた布を傷口へきつく巻いた。痛みは残っていたが、腕はどうにか動かせる。人間の身体なら、こうはいかなかっただろう。ケアテイカーはやはり、規格外の化け物のようだ。
処置を終えると、ジェイクとイーサンを探した。もちろん、彼らを殺すためだ。
斧をしっかりと握り締め、慎重に屋敷の中を歩く。ジェイクたちは、私を倒すために必ず何か用意している。油断すれば、返り討ちに遭うかもしれない。
ジェイクを見つけたのは、大広間だった。
二階まで続く吹き抜け。左右へ伸びる大階段。天井から吊り下がる巨大なシャンデリア。
その中央に、ジェイクが立っていた。
イーサンとはあのまま喧嘩別れしたのだろうか? 私にとっては都合が良い。
私は静かにジェイクに忍び寄ろうとしたが、鍵束の音が邪魔をする。
ゲームでは、プレイヤーにケアテイカーの位置を知らせるヒントであり、殺人鬼が近づく恐怖を演出するための音だったのだろう。今の私には邪魔でしかないが。
それでも、一対一なら負ける気がしなかった。
「来たな」
鍵束の音を聞いてもジェイクは逃げることなく、ゆっくりと振り向いた。
手には狩猟室から持ち出した散弾銃。腰には薪割り用の鉈を差している。向こうも準備万端のようだ。
私を見ると、ジェイクは迷わず銃口を向けた。
私も斧を構えた。
ジェイクは友達の仇を討とうとしている。
これ以上、犠牲者を出さないために、怪物を殺そうとしている。
彼は間違っていない。
私も、自分が生き残るために彼を殺す。
どちらも正しい。
だから、どちらかが死ぬしかない。
銃声が響いた。
咄嗟に横へ跳ぶ。散弾の一部が左脚へ食い込み、肉を抉った。
「グァァッ!」
膝が崩れる。
ジェイクはすぐに次の弾を込めた。
私は傷ついた脚を引きずりながら距離を詰める。
ジェイクが再び引き金に指をかける。銃口がこちらを向いた瞬間、私は斧の腹で銃身を弾いた。
二発目の銃声が響く。散弾が天井へ撃ち込まれ、シャンデリアの飾りが砕け散った。
私は斧を横薙ぎに振るった。ジェイクは散弾銃を捨て、床を転がって避ける。そのまま階段脇へ駆け寄り、あらかじめ置いていた火炎瓶を掴んだ。
迷わず、こちらへ投げつける。瓶が足元で割れ、炎が一気に広がった。黒いコートへ燃え移る。
「グォォォッ!」
炎が背中まで這い上がってくる。熱さと痛みで焦りが込み上げてきた。床へ転がりながら、燃えるコートを脱ぎ捨てた。
顔を上げると、ジェイクが目の前にいた。
両手で鉈を握り、割れた仮面の左側を狙って振り下ろす。
私は斧で受け止めた。金属同士がぶつかり、火花が散る。
「クロエの仇だ!」
鉈が再び振られる。
「タイラーと、メーガンの分も!」
私は斧で受けながら後退した。
左脚に力が入らない。手当した肩もまた痛み出した。
背中も火傷したのか、ヒリヒリとした痛みが這い上がってくる。
それでも、今度は逃げなかった。
斧を振り上げる。ジェイクの頭へ振り下ろそうとした、そのときだった。
「やめろ!」
イーサンが大広間へ駆け込んできた。私たち二人の間へ、割り込むように飛び出す。
私は咄嗟に斧を止めた。刃先が、イーサンの顔のすぐ前で止まる。
(どいて)
「グォォ……」
言葉は通じない。それならまずイーサンに向けて斧を振ればいい。
どうせ後で殺すつもりだったんだから。
しかし、イーサンだけは私を信じようとしてくれたことを思い出すと、どうしてもできなかった。
「君は今、斧を止めた」
イーサンは刃先を見ても逃げなかった。
「僕が知ってるケアテイカーは、こんなふうに手を止めたりしない」
イーサンは眼鏡の奥の青い瞳で、まっすぐに私を見つめている。
なぜ彼は、まるで以前からケアテイカーを知っているような言い方をするのだろう。
「イーサン、離れろ!」
ジェイクはイーサンの肩を掴み、強く突き飛ばした。
イーサンが床へ倒れる。その一瞬、私は彼へ視線を向けてしまった。
ジェイクはその隙を見逃さず、躊躇なく鉈を振り下ろした。刃が割れた仮面の左側へ食い込み、亀裂が口元まで走る。隙間から入り込んだ刃先が、左頬から目元にかけて皮膚を深く切り裂いた。
「グァァァッ!」
視界が赤く染まる。切られた。痛いというより、熱さを感じる。
斧が手から落ちた。
「これで終わりだ!」
ジェイクが鉈をもう一度振り上げる。
(死にたくない)
私にはまだ、やり残したことがある。
だから、ここで死ぬわけにはいかない。
私は首元の鍵束を掴み、ジェイクの腕へ投げつけた。
鍵束の鎖が、鉈を握るジェイクの腕へ巻きついた。私は力任せに鎖を引く。
ジェイクの身体が傾き、石床へ倒れた。鉈が手から離れる。
「なっ――」
私は床を這い、落とした斧を掴んだ。
ジェイクも起き上がろうとしている。けれど、もう間に合わない。
私は傷ついた脚で立ち上がり、斧を持ち上げた。
ジェイクは、私から目を逸らさなかった。
その瞳に浮かんでいるのは、恐怖ではない。友人たちを殺した怪物への、強い憎しみだけだった。
(ごめんなさい)
「ゴ……ォ……」
私の言葉は、最後まで届かなかった。
斧を振り下ろす。刃がジェイクの胸へ食い込み、骨を砕いた。
ジェイクの身体が跳ねる。口元から血が溢れ、床へ流れ落ちた。
やがて、その目から光が消える。
視界の中央に、白い文字が浮かび上がった。
JAKE MILLER:DEAD
SURVIVORS:1




