第八十一話 もう尻尾は膨らまない
ミーシャの葬儀は、リス族の古くからの作法に則って行われた。
土に還す。冷たくて重い木の棺は使わない。
街の北の丘にある見晴らしと陽当たりのいい墓地に、彼女の小さな体に合わせた深い穴を掘る。
そして、真っ白な柔らかい布で包んだ彼女の身体を優しく横たえて、上から柔らかな土と季節の美しい花々をたっぷりと被せるのだ。
「リス族は本来は森の木の洞で眠る種族だから……。最後はこうやって大地に直接抱かれるのが、一番自然で温かい弔いなんです……」
ナナがぽつりと教えてくれた。
参列者は驚くほど多かった。
コンラートやヴィルヘルムの静かな葬儀とは、比較にならないほどの人数だった。
広場の噴水前で彼女の栗を買っていた常連客、商工組合の仲間たち、近隣で軒を並べていた屋台の主人たち、そして歯車猫亭の常連たち。
ミーシャの明るい声と甘く香ばしい焼き栗を知っている街の人間が、種族の壁を越えて丘の上に集まった。
数え切れないほどの、本当にたくさんの人が、彼女を見送りに来ていた。
あんなに小さな屋台で笑っていた一人の少女を、これだけの数の人が涙ながらに見送りに来るのだ。
ナナは最前列に立っていた。
短い黒い毛並みが丘を吹く風に逆立ち、金色の目は真っ直ぐに前を向いたまま、完全に乾いていた。
猫族は人前では決して泣かないのだと、僕は後になって知った。
彼らが泣くのは、完全に一人の時だけ。群れの中や他人の前では、決して弱みを見せない。猫の誇り高き本能が、そうさせるのだ。
僕は参列者のずっと後ろの方にいた。ヒルダの隣だ。
老婆は太い杖をついて立っていたが、途中で膝が微かに震え、崩れそうになったので、僕が肘を下から支えた。
「ありがと、坊や」
「足元、気をつけてくださいね」
「あたしより先に、あの嬢ちゃんが逝くなんてねえ。順番が違うよ……」
順番。
種族ごとの寿命の長さで残酷に並べれば、ミーシャがヒルダより先に逝くのは最初から分かりきっていたことだ。
ヴィルヘルムが逝き、コンラートが逝き、次はミーシャかヒルダ。それは単純な計算通りの順番に過ぎない。
頭では完全に分かっていた。
分かっていたのに……心の準備なんて、全くできなかった。
頭で理解していることと、心がそれを受け入れることは、全く次元の違う話なのだ。
どれだけ永遠の時間を生き、何度死を見送ることを繰り返しても、その間の絶対的な差は一生埋まらない。
♢ ♢ ♢
葬儀が終わった帰り道、僕は広場の噴水前を通った。
『ミーシャの焼き栗』の屋台は、もちろん閉まっていた。今日はお休みにしているのだから当然だ。
だがの閉じられた屋台の木板の上に、小さな花束が置かれているのが見えた。
誰が置いたのか分からない。
一つだけではなかった。
三つ、四つ、五つ……。
通りすがりの客たちが、一人、また一人と、彼女への感謝と別れの印として花を置いていったのだろう。
明日からはナナがあの場所に一人で立つ。
ミーシャの明るい声は、もう二度と聞こえない。
──いらっしゃい!
──焼きたてだよ!
甲高く響き渡る呼び込みの声は、リンデンブルクの広場の空気から永遠に消えてしまった。
その代わりに、明日からはナナの少し静かで、一生懸命な声が噴水の横から聞こえるようになるのだ。
♢ ♢ ♢
歯車猫亭に戻って僕は店の重い扉を開けた。
今日は営業するつもりはなかったのだが、扉の鍵を開けた途端、待っていたかのように客がやって来た。
ルッツだ。
無口な犬族の鍛冶師は、いつもの席に黙って座り、ミルクティー、と一言呟いた。
ミルクティー。彼は甘いものが嫌いなのに。
でも、僕は何も聞かず、黙って濃いめの一杯を淹れた。
二人目はトビアス。
彼もミルクティーを頼んで、ノートを開くこともなく静かに飲んだ。
三人目はグレゴール。
ヒルダの孫の大きなドワーフは、分厚い手でミルクティーのカップをすっぽりと包み込んで、熱いお茶を一息に豪快に飲み干した。
「ばあちゃんは、今日は疲れて家で休んでる。代わりに来た」
「ありがとう」
「礼を言うのはこっちの方だ。ばあちゃんの友達を……最後までちゃんと世話してくれて、ありがとうな」
四人目は久しぶりに顔を出したエーベルト。五人目は名前の知らない顔なじみの鋳物職人。続いて菩提樹亭の女将のブリギッテ。
誰も店で長居はしなかった。
紅茶を一杯だけ飲んで、カウンターに銅貨を置いて静かに帰っていく。交わす言葉は少ない。
でも全員が……今日この日にここに来ることを選んだのだ。
ミーシャが通っていたこの場所に、ミーシャが大好きだった紅茶を飲みに。
♢ ♢ ♢
閉店後、僕は一人で表のテラスの椅子に座った。
ミーシャが、いつも座っていた席。
座面には、もう彼女の体温は残っていない。とっくに冷え切っている。
だが、表面を指でなぞると、ほんの僅かな窪みがあるのが分かった。
毎日毎日、同じ場所に同じ座り方をしていた彼女の身体の確かな痕跡。
いくら体重の軽いリス族であっても、長い年月をかけて通い続ければ、硬い木も少しずつ凹むのだ。
僕は目を閉じた。
「ミーシャ……」
彼女との思い出が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
初めて会った日。
広場の屋台で「食べてく?」と焼き栗を差し出してきた、リス族の少女。
尻尾がふさふさで、声が甲高くて、笑顔がどこまでも真っ直ぐだった。
僕の作った紅茶に目を丸くして、美味しいと尻尾を爆発させた午後。
冬季倦怠で倒れた冬の日。毛布の中から、「あったかい」と漏らした、掠れた声。
栗の雫のネーミングを一緒に考えた日。「リアンくん天才!」と、尻尾を全力で振ってくれた無邪気な笑顔。
弟子を取ると決めた日。「あたしがいなくなっても」と、遠い未来の景色を見た、気高い横顔。
そして、最後の朝。
ベッドで丸くなったまま、起き上がれなくなっていた小さな身体。先端だけが微かに、弱々しく揺れていた尻尾。
全部、完璧に覚えている。
消えない。ハイエルフの膨大な記憶は、時間と共に色褪せたり消えたりはしない。
春の雪解けの匂いも、彼女に出したミルクティーの完璧な温度も、尻尾の膨らみ方が年月と共に変化していった様子も。
根元から弾けるように膨らんでいた初期。中程まで柔らかく広がっていた中期。先端だけが小さく揺れるようになった晩期。
その全部が、僕の脳の奥底に、鮮明な映像として深く刻み込まれている。
泣くなら、今だと思った。
今は一人だ。店はもう閉まっている。
僕の泣き声を聞くのは、店内の壁で不揃いに鳴る時計たちだけだ。
だけど、泣けなかった。
まだ、来ない。
今回のこの悲しみは、一体いつになって僕の心を追いつかせるのだろう。
代わりに、僕の手が勝手に動いた。
カウンターに戻って、カップを三つ出した。
ミーシャの分。ナナの分。僕の分。
三杯、淹れた。
たっぷりのミルクティー。ミーシャの好み。
濃厚なミルク。温度はいつもよりほんの少しだけ高め。冷えやすくなった彼女の身体に合わせて。
カウンターに三つのカップを並べた。
ミーシャのカップには、もう誰も口をつけることはない。甘い湯気だけが静かに立ち上って、天井の闇に溶けていく。
飲んだ。
僕の手は全く震えていない。少しも狂っていない。
あの日、ミーシャの部屋のベッドの横では温度が僅かにずれてしまったのに。
ここでは完璧に正確に淹れられる。
たぶん、この歯車猫亭という空間そのものが、僕の心をギリギリのところで正気に保たせているのだ。
いくつもの時計が刻むリズム。カウンターの端にある、コンラートの空席の椅子の角度。ヴィルヘルムの置き時計が鳴らす、角のない丸い音。
この店にある全部が、僕の手を職人として安定させている。ここにいる限り、僕は決して取り乱したりしない。
閉店作業を無心で済ませた。
カップを洗い、時計のネジを順番に巻き、暖炉の火を落とし、戸締まりの確認をした。
最後にテラスの椅子を濡れた布巾で丁寧に拭いた。
ミーシャの身体の窪みが残る、椅子。
明日も、明後日も、ずっとここにある。
そこに座る本人はもういないけれど、椅子はここにある。
コンラートの奥の椅子と同じだ。誰も座らない特別な席が、この店にまた一つ増えたのだ。
重い扉を閉めて、真鍮の鍵をかけた。
♢ ♢ ♢
帰り道、広場を通った。
大きな噴水が、冷たい月明かりの中でキラキラと光っている。
屋台の木板の上に手向けられた花束は、昼間よりもさらに増えていた。
七つ。八つ。十……。
通りすがりの客たちが夜になって店を閉めた後も、わざわざ置きに来てくれているのだ。
明日の朝、仕込みにやってきたナナが、このたくさんの花を見つけるだろう。
彼女は泣くだろうか。
猫族は人前では決して泣かないと聞いたけれど、朝一番の広場には誰もいない。完全に一人なら、彼女も思い切り泣けるかもしれない。
菩提樹亭の自分の部屋に着いて、重い木の窓を開け放った。
春の夜風が吹き込んできた。
冷たい土と、芽吹いたばかりの草と、微かな花の匂い。
どこにいても同じ、懐かしくて残酷な春の匂い。
遠い昔、フィレーネと一緒に、最後に深く吸い込んだ匂いと全く同じ匂いだ。
机の上にカップを一つ置いた。
店で洗わずに、そのまま持ち帰ってきたミーシャのカップ。
内側には彼女が飲めなかったミルクティーの痕が、白く薄く残っている。
明日、洗おう。
今夜だけは、このままで。
窓の外で春の風に吹かれた菩提樹の若葉が、さわさわと心地よい音を立てて揺れていた。
その優しい音を聞いているうちに——ふと、視界が滲んだ。
「……あぁ」
来た。
遅延して凍りついていた悲しみが春の雪解けのように、一気に解凍されて溢れ出した。
声は出さなかった。両手で顔を深く覆って、肩を小刻みに震わせて、菩提樹の葉の音に紛れるようにして、静かに泣いた。
あの尻尾は、もう二度と膨らまない。
嬉しそうに左右に振れるあの尻尾を見ることは、永遠にないのだ。
ハイエルフの果てしない永遠の中で、ミーシャの温かい尻尾の記憶だけが色褪せることなく、鮮明に残り続ける。
それが呪いなのか、それとも祝福なのか。
僕にはまだ分からない。
分からないまま涙を流し尽くして、朝が来た。
冷たい水で赤く腫れた目を洗い、歯車猫亭に向かった。
裏口の鍵を開けて、火を起こして、時計たちのネジを巻いた。
——カリ、カリ、チャッ。
決められた回転数。完璧に正確に。
カウンターに、カップを三つ出した。
でも、お湯を注いで淹れたのは、二杯だけだ。
ナナの分と僕の分。
三つ目のカップは、空のまま棚に戻した。
カラン、と表の真鍮のベルが鳴った。
重い扉の前に、ナナが立っていた。
金色の目が赤い。昨夜、きっと一人でたくさん泣いたのだろう。
でも頭の上の黒い耳は、前を向いてぴんと立っている。屋台のエプロンをしっかりと身につけている。
彼女は広場の屋台に向かう前に、師匠との約束だった朝の紅茶を飲みに来たのだ。
「おはようございます」
「おはよう、ナナ」
「紅茶を……ください」
「淹れてありますよ。どうぞ」
ナナはカウンターの椅子に座った。
ミーシャがいつも座っていたあのテラスの席ではなく、店内のカウンターの僕の目の前の席に。
彼女は師匠の席を避けたわけではない。ただ、僕の隣にいたいのだ。
たとえそこが空席だらけだとしても、誰かの温もりのそばに。
カウンターの上に二つのカップが並んだ。
ナナのファーストフラッシュと、僕の歯車猫。
ナナはカップを両手で持ち上げ、ゆっくりと一口飲んで……黒い耳を、ぺたりと後ろに倒した。
深い快感とリラックスの耳。
「おいしい」
「よかった」
「師匠が、言っていました。リアンさんの紅茶は、絶対に飲む人を選ばないって。誰がいつ飲んでも、その人の心に寄り添う、その人のための一杯になるって」
知らなかった。
ミーシャが僕の紅茶のことをそんな風に言っていたなんて。
本人は、僕に直接そんな照れくさい言葉は一言も言わなかった。弟子であるナナにだけ、こっそりと言っていたのだろう。
「ナナ。屋台は、今日から開けるんですか?」
「はい。師匠の指示ですから。朝はまだ冷え込むので、早めに火を入れます」
「……行ってらっしゃい」
ナナは紅茶を最後の一滴まで飲み干して、カウンターに銅貨をきちんと置いて店を出ていった。
猫族の足音のない静かな走り方で。
カラン、とベルの余韻が鳴り止んだ。
一人になったカウンターで、僕はナナの空になったカップを洗った。
もう、三杯ではない。これからは二杯だ。
明日からも、明後日からも、ずっと。
でも、僕は三つ目のあのカップを決して棚の奥深くにはしまわなかった。
いつでもすぐに手が届く場所に。
一番出しやすい場所に、綺麗に磨いて、伏せて置いた。
いつかまた、あの席に新しい誰かが座る日のために。




