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転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第六章 止まらない時計とハイエルフ

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第七十二話 コンラートは、褒めない

夏。


歯車猫亭の夏は去年より忙しかった。アイスティーの評判が定着して、午後の客足が途切れない。


コンラートは増席を断固拒否した。


「これ以上席を増やしたら茶店じゃなく酒場だ」


「酒場の方が儲かりますよ」


「金の話をするな。わしは紅茶を淹れたいんであって、商売がしたいわけじゃない」


この台詞だけ聞けば頑固な老人だが、僕は知っている。本当の理由は腰だ。今の規模を回すだけで精一杯なのだ。それ以上は身体が持たない。


コンラートは自分の限界を棚の配置で誤魔化しているが、動作の一つ一つが去年の夏より遅くなっている。


だから僕は何も言わず、コンラートが座っている時間を少しずつ増やした。


仕込みは僕がやる。水瓶も、茶葉の管理も、カップの洗浄も。コンラートの仕事は「味の最終確認と客を睨むことに絞られていった。


本人は気づいているのか、いないのか。


たぶん気づいている。気づいた上で、黙って椅子に座っている。


ある午後、珍しいことが起きた。


コンラートが僕の淹れた紅茶を飲んでカップを置いた後、小さく頷いた。


頷いた。


これだけなら日常の動作だ。だが、この老人が、他人の淹れた紅茶を飲んで頷くことの意味は、軽くない。


ヒルダなら「奇跡だ」と言うだろう。ミーシャなら尻尾を膨らませて爆発させるかもしれない。


僕は聞かなかった。何点ですか、とも。美味しかったですか、とも。


聞けば壊れる。この老人の無言の承認は、言葉にした瞬間に価値を失う。


コンラートは何も言わず、次の客のカップに目を向けた。


それだけだった。


それだけで、十分だった。


夕方、ミーシャがテラスに飛び込んできた。尻尾が左右に振れている。嬉しいことがあった時の振り方だ。


「リアンくん!あのね、マロンクリーム!」


「できたんです?」


「できた!味見して!」


小さな陶器の壺を差し出された。蓋を開けると薄茶色のペーストが詰まっている。


香りは悪くない。栗の甘みが立っていて、余計な砂糖の匂いがしない。


指先で少しだけ掬って、舌に載せた。


(へぇ……)


栗の食感を残しすぎている。もう少し滑らかに潰した方が、パンに塗った時に馴染む。


だがこの粗さには粗さの良さがある。素朴で、手作り感があって、屋台の商品としてはむしろ正解かもしれない。


「どう?どう?」


「八十点ですね。この粗さが素晴らしい」


「粗さがいいって、褒めてるのかけなしてるのか分かんないけど」


「褒めてるんですよ、もちろんね」


ミーシャの尻尾が膨らんだ。美味しい時と嬉しい時で膨らみ方が違うことに最近気づいた。嬉しい時の方が、根元からふわっと広がる。


「秋から出す!焼き栗とセットで!名前も考えなきゃ」


「マロンクリーム・パンでいいんじゃないですか?」


「ダメダメ、もっとこう、かわいい名前がいい。えーと……栗のおひさまパン、とか」


「……センスについては何も言わないでおこうかな」


「ひどい!」


ミーシャが頬を膨らませて、カウンター越しに僕の肩を叩いた。力加減が獣人にしては控えめで、リス族の腕力の限界が見える。


「ねえリアンくん。一緒に考えてよ。ネーミング」


「あのぅ。もしかして僕にセンスがあると思ってます?」


「リアンくんはセンスっていうか、的確じゃん。なんか変な点数付ける癖があるけど、数字がいつも当たってるもん」


的確。その言葉に、少しだけ胸が痛んだ。


フィレーネにも同じことを言われたことがある。


「……栗の雫、とかはどうです?」


「くりのしずく。……あ、かわいい!いいかも!」


尻尾が爆発した。根元から先端まで、ぶわっと。近くの客が驚いて振り返るほどだった。


「それにする!栗の雫! リアンくん天才!」


騒がしい。だけど、嫌な騒がしさではない。


大公邸の静けさとは対極にある賑やかさで、リンデンブルクの空気そのものだった。




♢   ♢   ♢




秋になった。


「栗の雫」は想像以上に売れた。


ミーシャの屋台に行列ができて、広場の噴水前に並ぶ客を見てミーシャ自身が一番驚いていた。


焼き栗と栗の雫パンのセットが看板商品になり、夕方には売り切れる日もあった。


「リアンくん、見て見て!今日も完売!」


毎日報告に来る。屋台を畳んだ後、歯車猫亭に駆け込んできて、その日の売上を嬉しそうに話す。僕はミルクティーを出しながら聞いている。


「いい調子ですね」


「でしょ?来年はもう一品増やしたいなぁ。栗のスープとか」


「栗のスープ……いいですね。冬場にいいかもしれません」




♢   ♢   ♢




十一月。


風が冷たくなり、コンラートの腰が再び悲鳴を上げた。


今度は去年より重かった。朝の仕込み中に膝を突き、五分間動けなくなった。


僕が駆け寄ると、老人は歯を食いしばって手を振った。


「触るな……!」


「触りません。でも、今日は座っていてください」


「……わしの店だ」


「コンラートさんの店です。だからこそ、店主が倒れたら終わりです」


「……」


コンラートは長い間、床に手をついたまま動かなかった。


壁の時計がカチコチと鳴っている。八つの時計。八つのリズム。


カウンターの上の小さな置き時計が、一番静かに刻んでいる。


やがて老人は顔を上げた。


「お前に任せる」


一言だった。


長年一人で守ってきた店を、たった一言で明け渡した。その一言がどれだけ重いか、コンラート自身が一番分かっていたはずだ。


「かしこまりました」


その日から、歯車猫亭は僕が回した。


コンラートは奥の椅子に座って、僕の仕事を見ている。口は出す。手は出さない。


一人で店を回す僕を見て、コンラートが言った。


「まだまだだな」


コンラートが鼻を鳴らした。


「はい。まだまだです」


「百年早い」


「百年後もたぶん、同じこと言いますよ。僕は」


コンラートは一瞬だけ目を見開いて、それからゆっくりと息を吐いた。


「……そうか。お前は、そうだったな」


百年後もここにいる。コンラートがいなくなっても。ヒルダがいなくなっても。ミーシャがいなくなっても。トビアスが去った後も。


僕だけが……この店で紅茶を淹れ続ける。


その事実を、コンラートは今、初めて実感したのだろう。


エルフだと知ってはいた。長く生きることも知っているだろう。


「百年後」という具体的な時間を突きつけられて、ようやく理解した。


老人の表情が少しだけ変わった。


不機嫌の下に何か別のものが混じった。それが何なのか、僕には分からなかった。安心なのか、哀しみなのか。


それとも……。


「コンラートさん」


「何だ」


「紅茶、淹れましょうか」


「……ああ。頼む」


二杯分を淹れた。いつもの蒸らし、いつもの温度。カウンターに並べて、向かい合って飲んだ。


不思議だ。客に出す紅茶は九十点を超えるのに、コンラートと二人で飲む時だけ七十点に落ちる。


たぶん、この老人の前だと手が少しだけ緊張するのだ。


彼の人生の重みが、僕の指先を三度分だけ狂わせる。


でも、今日はそれでいい……。


コンラートは何も言わなかった。不味いとも、美味いとも。


ただ飲んで、カップを置いて、もう一度小さく頷いた。


二度目の頷きだ。

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