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転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第五章 永遠の執事は、また歩き出す

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第六十一話 歯車猫亭の、うるさい爺

大通りの喧騒から東の通りへと足を踏み入れると、街の空気は明らかに質を変えた。


鼓膜を打つ鍛冶や金属加工の工房が減り、代わりに壁一面に古書が積まれた書店、得体の知れないものを並べた古物商、ショーウィンドウに美しいドレスを飾る仕立て屋といった落ち着いた店構えが石畳の両脇に並んでいる。


大通りほど完璧に清掃が行き届いていないのか、石畳の隙間からは小さな雑草が所々で顔を覗かせていた。


その通りの片隅に、目的の看板を見つけた。


木製の歯車を咥えた猫の彫刻。


風雨に晒されたのか塗料はところどころ剥げかけているが、猫の飄々とした表情や、咥えられた歯車の複雑な噛み合わせの表現には職人の街らしい狂気的なこだわりが感じられる。


──歯車猫亭。


老時計師ヴィルヘルムが「紅茶が好きなら」と教えてくれた店だ。


重い木製の扉を両手で押し開けると、くぐもったベルの音が鳴った。


中は暗かった。


窓が小さく、天井が低い。そして何より目を引くのは、壁という壁の隙間を埋め尽くすように古い時計がいくつも掛けられていることだ。


重厚な振り子時計、精緻なからくり時計、むき出しの歯車が回る壁掛け時計。それぞれが微妙にずれた秒針の音を刻んでいる。


カチ、コチ、カチ、コチ。


不揃いな拍子が幾重にも重なり合って、奇妙な多重奏を作っている。最初は耳障りかと思ったが、少しそこに立っていると森の中にいるような不思議な心地よさがあった。


朝のまだ早い時間帯だからか、客は少なかった。


カウンターの隅にドワーフの老婆が一人だけ座っている。彼女は両手で分厚いマグカップを包み込み、壁の時計をぼんやりと眺めていた。


そして、カウンターの奥に店主がいた。


痩せた長身の老人だった。禿げ上がった頭に残った僅かな白髪を後ろで几帳面に束ねている。


大きな鷲鼻に、鋭く細い目。口元は不機嫌そうにへの字に引き結ばれている。年齢は七十代の半ばといったところか。


僕がカウンターの前に立ち、スツールによじ登ろうとすると、老人はグラスを磨く布巾の手を止めず、こちらを見もせずに吐き捨てた。


「子供は帰れ。ここは、甘い牛乳を出す店じゃない」


いらっしゃいませの挨拶もなし、か。


なるほど、ヴィルヘルムが「うるさい爺」と評するだけのことはある。


「温かい牛乳ではなく、紅茶をいただきたいのですが」


「聞こえなかったか。子供は……」


「アッサムはありますか。なければセイロンでも構いません。できればファーストフラッシュで湿気から完璧に守られ、保管状態が良いものを」


老人の手が止まった。


細く鋭い目が、初めて僕の顔を真っ直ぐに見た。


値踏みするような猛禽類めいた視線が、僕の髪から仕立ての良い服、そして足元の靴までを無遠慮に舐めるように降りていき、それからもう一度、僕の瞳へと戻ってきた。


「随分と生意気な注文をする」


老人は一瞬だけ、面白がるように口角を上げた。

それからすぐに元の不機嫌な顔に戻り、背後の棚から黒塗りの金属製の茶葉の缶を取り出した。


「座れ。どこでもいい」


「では、こちらに」


僕は窓際の席を選んだ。外の菩提樹の葉が小さな窓ガラスに影を落としていて、テーブルの上に緑色の光が淡く揺れている。


席に座りながら、僕は老人の手つきをカウンター越しに静かに観察した。


ポットに湯を注いでしっかりと温める。茶葉を正確に量る。新しい湯を沸かし、温度を手の甲をかざして確かめる。高い位置からポットに注ぎ、素早く蓋をする。


悪くない。


手順は無駄がなく正確だし、湯の温度も適切だ。街の茶店としては破格の腕前だろう。


ただ……注ぐ速度がやや速すぎる。お湯の勢いで茶葉が十分に開く前に、余計な衝撃を与えてしまっている。


それから蒸らし時間。老人は小さな砂時計を使っているが、薄暗い部屋の低い室温と湿度を考慮するなら、砂時計が落ちきってから更に十秒ほど長めにした方がいい。


……などと、頭の中で無意識に採点してしまう自分の執事としての悪癖に、内心で小さくため息をついた。


やがて白い陶器のカップが僕の目の前に置かれた。


琥珀色の美しい液体が静かに湯気を立てている。


カップを持ち上げ、香りを確かめてから、一口、含んだ。


(七十五点)


茶葉の質はとても良い。保管も申し分ないほど丁寧だ。


だが……やはり蒸らしがわずかに足りない分、特有の渋みが奥に引っ込んでしまっていて甘みとのバランスが惜しい。


もう十秒待てば、この茶葉の本来のふくよかな丸みが出たはずだ。


ふと視線を上げると、老人がカウンターから腕を組んで僕をじっと見ていた。


「どうだ」


「ええ。美味しいです」


「嘘をつくな」


図星だった。


この爺さん、自分の淹れた紅茶に『今日その瞬間の環境における完璧さ』が欠けていることを、自分自身でわかっているのだ。


わかっていて、それを指摘できるだけの舌が生意気な子供にあるのかどうか、他人の反応を試している。


性格が悪い。だが、職人とは総じてそういう生き物だ。


「……七十五点、というところです」


「ほう。点数をつけるのか。生意気を通り越して無礼だな」


嘘をつくなと言ったのは貴方じゃないか……。


まぁでも、わざわざ点数を口にする必要はなかった。長年フィレーネのために最高の味を追求し続けた結果、お茶に関してはごまかしが利かなくなっているのだ。


「すみません、昔からの癖です。味を数値化して管理していたもので」


「ふん。ならば聞こう。残りの二十五点は何が足りない」


「蒸らし時間です」


僕はカップをソーサーに戻し、淡々と答えた。


「部屋の湿度と、今日の気温を考えると、貴方の使っている砂時計の基準から、あと十秒長い方が茶葉の甘みが完全に引き出せます。それと湯を注ぐ速度。あれでは水流が強すぎて、茶葉が呼吸して開く時間を奪っている」


老人は黙った。


言い訳も反論もしない。


壁の無数の時計たちが、不揃いな拍子を刻み続けている。


カチ、コチ。カチ、コチ。


やがて老人は無言のまま背後の棚からもう一つ別の缶を取り出し、新しいポットに湯を注いだ。


今度は明らかにゆっくりと。円を描くように、茶葉を優しく躍らせながら。


そして蒸らし時間も砂時計が落ちきった後、じっと頭の中で十秒を数えてから蓋を開けた。


カチャリ、と。


二杯目のカップが出てきた。無言で差し出されたそれを僕は口に運んだ。


(八十五点)


「十点、上がりました」


「まだ足りないのか。何が不満だ」


「淹れ方は完璧になりました。残りは茶器の問題です」


僕は出された白い陶器のカップの縁を指で軽く叩いた。


「このカップは少し肉厚で保温性には優れていますが、唇に触れる縁が分厚すぎる。紅茶は舌の奥ではなく、舌先から広がるように味わうものです。縁がもっと薄いカップの方が、液体を舌の正しい位置に導き、香りをより繊細に感じることができます」


老人の細い目が、今度こそ驚きに大きく見開かれた。


茶器の縁の厚みと舌先の構造の相関関係にまで言及する客は、そうそういないのだろう。


「お前……一体、何者だ」


「ただの、旅の子供ですよ」


「ただの旅の子供が、茶器の縁の厚みにまで講釈を垂れるか」


「五十年以上、誰かのために完璧な紅茶を淹れる仕事をしていましたので。少し、口うるさくなってしまうんです」


「五十年以上だと?」


老人は僕の尖った耳をちらりと見ただけで、ふんと鼻を鳴らし勝手に納得したようだった。


「エルフの長寿か。道理でな。子供の皮を被った老成した舌だ」


これがこの街の気風なのだろう。耳の形や外見の矛盾に、いちいち深入りしない。ただ、目の前にある腕前と知識だけを見る。ヴィルヘルムの言った通りだった。


「わしはコンラート。この店を四十年ほどやっている。正確な期間は忘れたが」


「リアンです。エルフの子供です。たぶん」


「リアン。お前、明日も来い」


「えーっと……なぜですか。僕のような面倒な客は、嫌われるのでは」


「なぜだと? 四十年も店をやっていて、わしの紅茶に偉そうに点数をつけ、淹れ直しをさせたのはお前が初めてだ。しかも指摘は忌々しいほど的確だった。そんな面白い客を簡単に逃がすわけがないだろう」


コンラートは不機嫌なへの字口のままだったが、声だけは確かに弾んでいた。


職人だ。


自分の技術を磨くことへの圧倒的な貪欲さが、の皺の下で若々しく生きている。


「ふふ、ふふふ……」


その時だった。


ずっと隅に座っていたドワーフの老婆が、分厚いマグカップの向こうから肩を揺らしてくすくすと笑い声を漏らした。


「コンラート、あんた、楽しそうな顔をしてるじゃないか」


「黙れ、ヒルダ。お前は毎日来て、一時間粘って何も注文しないくせに」


「なんだい、白湯を頼んでるじゃないか。それだけで毎日きっちり銅貨一枚取るくせに、ケチな爺さんだねえ」


二人の遠慮のない軽口が、不揃いな時計の音に賑やかに混じった。


──面白い街だ。


本当に面白い。


僕はカップの残りを綺麗に飲み干して立ち上がり、テーブルに銅貨を置いた。


「明日、また来ます」


「来るなら午後にしろ。朝は仕込みで忙しいんだ、邪魔になる」


「かしこまりました」


口をついて出たのは、長年染み付いた主人に対する執事の完璧な返事だった。


コンラートが「なんだその妙な返事は」とばかりに怪訝な顔をしたが、僕は構わず背を向けて重い木製の扉を開けた。


カラン、とベルが鳴って、表の通りを吹き抜ける風が僕の頬を優しく撫でた。


街の喧騒が再び耳に戻ってくる。


知らない街の、知らない音。


だけど、その中に——少しだけ、聞き慣れた音が混じり始めているような気がした。


不揃いな時計の秒針と、不機嫌な老人の声と、ドワーフの老婆のくすくす笑い。


もしフィレーネが今、僕の隣にいたなら……きっと得意げにこう言うだろう。


『──ほらね、リアンくん。みんなで飲む紅茶は、一人で飲むよりずっと美味しいでしょう?』


そんな声が耳の奥で聞こえた気がして。


僕は少しだけ口元を綻ばせ、黄金色の光が差し込む菩提樹の並木道を宿に向かって歩き出した。

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