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転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第五章 永遠の執事は、また歩き出す

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第六十話 職人の街には、色々な耳がある

朝が来た。


一階の食堂に降りると、朝食が用意されていた。


黒パンと固茹で卵、厚切りのベーコン、それに野菜の薄いスープ。質素な見た目だがスープの温度は適切で、パンの焼き加減には確かな職人気質が滲んでいた。


宿の女将、ブリギッテと言うらしい彼女はカウンターの奥で食器を拭きながら、僕がパンを一口かじった瞬間を鋭い目で見逃さなかった。


「どうだい? うちのパンは」


「八十点ですね。焼き時間が非常に正確です。表面の硬さと、中の水分量のバランスが絶妙に保たれている。ただ、スープの塩分濃度を考慮するならパン生地自体の塩気はあとほんの少しだけ抑えた方が全体の調和が取れるでしょう」


無意識だった。大公邸で筆頭執事としての癖が抜けきっていない。


ブリギッテはぽかんと口を開けた後、呆れたように鼻を鳴らした。


「褒めてるのか、偉そうに検品してるのか分からないね」


「褒めています。僕にしてはかなり珍しく」


「ふんっ。まあ、不味いって言われるよりはマシだね。ゆっくりお食べ、口の減らない検品官さん」


ブリギッテは大きな背中を揺らして笑いながら、奥の厨房へ消えていった。


食事を終えて街に出た。


昨日の夕暮れ時には気づかなかったが、朝のリンデンブルクは全く別の鮮やかな顔をしていた。


まず、圧倒的に人が多い。


広く舗装された大通りには、商人、職人、旅人が入り混じり、重そうな荷車が石畳をがらがらと鳴らして行き交っている。


威勢のいい客引きの声が飛び交い、どこかの工房で金槌が鉄を規則正しく叩く音が響き、路地からは挽きたてのコーヒーと焼きたての菓子の匂いが混ざり合って漂ってくる。


そして何より──行き交う人々の『耳の形』が全く違った。


僕が長く暮らした大公の領地は純粋な人間ばかりだった。あの領地ではエルフそのものが珍しく、だからこそ子供の執事は奇異の目で見られ、時に『紅茶の妖精』などと揶揄されることもあった。


ここは、違う。


大通りを十歩も歩かないうちに尖った耳の持ち主とすれ違った。ただし僕のような極端に長い耳ではなく、先端がわずかに尖った程度。ハーフエルフだろうか。


彼は分厚い革のエプロンをつけて、金属製の歯車を両手いっぱいに抱えて早歩きで去っていった。


さらに歩くと、背の低くがっしりした体格の男が工房の前で太い銅のパイプを器用に曲げていた。ドワーフだ。


赤茶けた髭が胸まで伸び、腕は丸太のように太い。彼の隣では人間の女性が複雑な設計図を広げて何やら熱心に指示を出している。


角を曲がればリスの耳を持つ獣人の少女が、焼き栗の屋台を元気に切り盛りしていた。可愛らしいリスのふさふさの尻尾を揺らし、客を呼び込む声が甲高く響く。


「いらっしゃい! 焼きたてだよ! そこの坊や、食べてく?」


坊や。


僕の十歳程度の外見年齢を考えれば妥当な呼び方だが、三百歳近い実年齢を知ったら、この栗鼠の少女はどんな顔をして尻尾を逆立てるだろうか。


「一袋ください」


「ありがとー! はい、熱いから気をつけてね!」


紙袋に入った焼き栗は火傷しそうなほど熱くて香ばしかった。大公邸の優雅なティータイムでは絶対に出てこなかった類の、大衆的で素朴な味だ。


殻を剥きながら歩を進めると、今度は僕と同じくらい長い耳を持つエルフが路地の奥で古びた弦楽器を弾いているのが見えた。


彼の髪は銀ではなくくすんだ緑で、肌もやや褐色がかっている。旋律はどこか物悲しく、通りすがりの人間たちが何人も足を止めて静かに聴き入っていた。


人間、エルフ、ドワーフ、獣人、森エルフ……。


ここでは誰も僕の尖った耳を二度見しない。


白銀の髪のエルフの子供が一人で歩いていても、「ちょっと珍しい髪色だな」程度の視線で終わり、すぐにそれぞれの仕事へと意識を戻していく。


楽だ。


不思議なほど呼吸が楽だった。


まぁ、僕がただのエルフではなく、ハイエルフだとバレたら色々と面倒なことになるのだろうけれど。


大通りの中ほどに広大な円形の広場があった。


噴水を中心に石のベンチが円を描くように並び、周囲を美しい商店と巨大な時計塔が囲んでいる。


時計塔の文字盤は圧倒的な大きさで、複雑に噛み合う歯車の一部が外に露出した設計になっていた。芸術的な意匠と実用的な機能を兼ね備えた、まさに職人の街を象徴するような見事なデザインだ。


「栗でも食べようか」


噴水近くのベンチに座り、熱い焼き栗の皮を剥いた。


目の前の噴水ではドワーフの子供と人間の子供が楽しそうに水を掛け合って遊んでいる。その横を獣人の母親が重そうな買い物袋を抱えて通り過ぎ、ハーフエルフの青年がベンチで新聞を広げてのんびりと日光浴をしている。


誰も排斥されていない。誰も特別扱いされていない。


耳の形も寿命の長さも違う者たちが、当たり前のように隣人として生きている。


「……帝国自由都市、か」


門番の衛兵が言っていた言葉を反芻する。


自由都市というからには、市民自身が強固な自治権を持つ都市なのだろう。だからこそ、種族の壁が低いのだ。


互いの技術と利害で結ばれた巨大な共同体は、血筋や耳の形で人を区別しているほど暇ではないのだ。


「ふぅ」


焼き栗の最後の一粒を口に放り込んだ時。


僕の座るベンチの端に誰かが静かに腰を下ろした。


横目で見ると、白髪交じりの人間の老人だった。


痩せた体に仕立ての良い外套を羽織り、膝の上には使い込まれた分厚い革のケースを置いている。ケースの形状と漂う微かな油の匂いから察するに、中身は精密な工具だろう。


老人は僕の観察するような視線に気づいて、目尻に深い皺を寄せて薄く笑った。


「珍しいな。エルフの子供が焼き栗を美味そうに食べてる」


「……珍しいですか?」


「珍しいとも。エルフは熱いものが苦手だからな……」


老人はケースを撫でながら、眩しそうに噴水を眺めた。


「わしはヴィルヘルム。しがない時計師だ。まあ、もう引退したがね」


「リアンです。旅の者です」


「旅……。いい響きだ。わしも若い頃はあちこち旅をしたもんさ。帝都で厳しい修行をして、連邦国で時計塔の設計を手伝って、最後にやっぱりこの街に戻ってきた」


「時計塔の設計……では、あの巨大な時計塔は、あなたが?」


「あれはわしの師匠の仕事だ。わしが作ったのはもう少し小さいやつさ。そこの角を曲がった先にある鍛冶組合の時計だ」


老人はそう言って、しわだらけの手で空を指した。


細く、骨ばった指だった。


何十年も精密な小さな部品を扱い続けてきた職人の手だと一目で分かる。爪は短く整えられ、指先には洗っても落ちないインクと油の染みが薄く染み付いている。


震える手を見た瞬間。


不意にフィレーネの手を思い出した。


十二歳の時の小さな手。


大公邸の書斎で、ペンを握って必死に帳簿と格闘していた二十代の手。


シャルロッテたちを優しく抱きしめていた三十代の手。


そして最後に、僕の淹れた紅茶のカップを震えながら包み込んでいた皺だらけの手。


全部、完璧に覚えている。指の形も、爪の長さも、ペンダコの位置も。


僕の記憶は、絶対に色褪せない。


……やめよう。


今はまだ、思い出すと胸の奥が少しだけ軋む。


「ヴィルヘルムさん。この街は、随分と色々な種族の方がいるんですね」


「ああ。昔からそうだ。腕さえ良ければ、耳の形や尻尾の有無なんぞどうでもいい、というのがこの街の気風でな。ドワーフの鍛冶師はこの街の宝だし、エルフの彫金師は人間には到底真似できない繊細な細工をする。獣人の運搬業者は力が強くて仕事が速い。適材適所ってやつさ」


「合理的ですね」


「合理的というか……まあ、そうだな。だが、それだけじゃない」


老人は噴水で遊ぶ異種族の子供たちを見て目を細めた。


「一緒に飯を食って、一緒に酒を飲んで、同じ街で生きてりゃ……そのうち耳の形なんぞ本当に気にならなくなる。そういうもんだ」


老人はそう言って、ベンチからゆっくりと立ち上がった。


長年の細かい作業のせいか、腰が少し曲がっている。立ち上がる時に、膝がこきりと乾いた音を鳴らした。


「リアンだったか。旅の者なら、この街をゆっくり見ていくといい。急ぐ旅に碌な結末はないからな」


「覚えておきます」


「ああ、それと。もしお前さんが紅茶が好きなら、東の通りに『歯車猫亭』という小さな茶店がある。店主がうるさい爺だが、茶葉の質と淹れ方は悪くない。わしもよく通っている」


紅茶。


紅茶、ね……。


「僕が紅茶が好きだと、何故分かったんです?」


「お前さんから上質な紅茶のいい匂いがするからさ」


老人はひらひらと手を振って、活気ある人混みの中へと消えていった。


僕はしばらくベンチに座ったまま、広場の喧騒を静かに聞いていた。


色々な声が混じっている。


人間の野太い低い声、ドワーフの豪快な笑い声、獣人の高い呼び込みの声、エルフの静かな会話。


全部が一緒くたになって、リンデンブルクという巨大な一つの音を作っている。


──歯車猫亭、か。


紅茶が好きならと、老人は言った。


僕はこれまで、誰かのために完璧な紅茶を淹れ続けてきた。


自分の好みで茶葉を選んだことは、あまりもない。フィレーネの舌に合わせ、アレクシスの体調を考え、シャルロッテの気分を読んで、一杯ずつ極限まで調整してきた。


昨日宿で飲んだ一杯も、言わば大公邸の味の再現に過ぎない。


自分のためだけに、見知らぬ他人が淹れる紅茶を飲む。


それは、僕の長い人生の中で珍しいことなんだろう。


立ち上がって東の通りへと足を向けた。


空になった焼き栗の紙袋をゴミ箱に捨てて、菩提樹の並木を抜けて。


新しい街の、新しい匂いの中を歩いていく。


「でも、僕ってそんなに紅茶の匂いが染み付いてるかなぁ……」


僕の呟きは、活気あふれる職人の街の喧騒に吸い込まれて消えていった。

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