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転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第四章 最後の紅茶を、貴女に

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第五十話 冬の夜に、名前を呼ばれる

十二月。雪が降り始めた。


今年の冬は去年よりずっと穏やかだった。雪の量は少なく、気温もそれほど底冷えしない。


だが、フィレーネの体は正直だった。


朝、ベッドから起き上がるのにひどく時間がかかるようになった。以前は僕が朝の紅茶を持って行く頃には、きちんと背筋を伸ばして座っていたのに。今は声をかけてから、体を起こすまでに数分かかる。


「……よいしょ」


細い腕でベッドの枠を掴み、体を持ち上げる時の掛け声が、日に日に重くなっている。


「お手伝いしましょうか」


「いらないわよ。まだ一人で起きられるから」


一人で起きられる。「まだ」という言葉が、小さな棘のように僕の胸に引っかかった。


食事の量も目に見えて減った。大好物であるはずのスープを半分残す日が出てきたのだ。


「お口に合いませんか」


「美味しいわよ。すごく。お腹が、あんまり空かないだけ」


「少しでも召し上がってください。体力が落ちます」


「うるさいわね。あなたはわたしのお母さんなの?」


「執事です」


「口うるさい執事ね」


減らず口は健在だ。それだけで、ほんの少しだけ安心する。


十二月半ば。シャルロッテが離れを訪ねてきた。


フィレーネの部屋に入った瞬間、シャルロッテの足がピタリと止まった。


母の姿を見て何かを明確に感じ取ったのだろう。だが、決して表情には出さなかった。


この子もまた幾多の困難を乗り越えてきた強い女性だ。


「お母様、来たわよ」


「シャルロッテ。寒かったでしょう、こっちにいらっしゃい」


暖炉の前で母と娘が並んで座った。フィレーネが震える手で編みかけの小さなマフラーを見せた。


「ルナちゃんの分。間に合うかしら」


「間に合うわよ。まだ冬は長いもの」


「そうね」


夕方。帰り際、シャルロッテが薄暗い廊下で僕を呼び止めた。今回は小声ではなかった。


「リアン。お母様、ずいぶん痩せたわね」


「……はい」


「食べてる?」


「量は減っています。ただ、食欲がないのは冬の寒さの影響もあります。去年も——」


「去年より、ずっとひどくない?」


彼女の真っ直ぐな瞳に、嘘をつけなかった。


「……はい」


シャルロッテが唇を引き結んだ。何かを必死に堪えている顔。泣くのを堪えているのではない。怒りでもない。


ただ、迫り来る現実を大人の女性として受け止めようとしている顔だ。


「春まで——」


「持ちますか、とは聞かないでください」


僕は彼女の言葉を遮った。


「僕にはわかりません。エルフの知識をもってしても、人間の寿命だけは。ただ、僕の全力を尽くします。必ず」


「うん……うん」


シャルロッテが鼻を一度だけすすって、背筋をピンと伸ばした。


「ユリウスに連絡しておく。年末、家族全員で集まろう」


「かしこまりました。すぐに手配します」


「お母様に、深刻さを悟られないようにね」


「心得ています」


年末。大公邸の離れに大公家の家族が全員集まった。


ユリウスの妻と子供たち。シャルロッテとレオンハルト、そしてカイル一家。


かつてシャルロッテの結婚披露宴で使った豪奢な大テーブルが運び込まれ、僕がギュンターのレシピを完璧に受け継いで作った数々の料理が所狭しと並んでいる。


暖炉が二つ同時に焚かれ、窓には真っ白な雪の結晶が張りついていた。


「おばあちゃま!」


弾むような足取りでリーゼが駆け寄ってきた。少女はまた少し背が伸びて、安楽椅子に座るフィレーネに顔を寄せた。


「まあ、リーゼ。また大きくなったわね」


「おばあちゃま、痩せた?」


「冬はいつもこうなのよ。春になったら、またふっくら太るわ」


フィレーネの優しい嘘を僕は壁際で黙って聞いていた。


食卓を囲んだ。大勢の食器がカチャカチャと鳴るテーブル。本当に賑やかだった。


子供たちが高らかに騒ぎ、大人たちが笑い合い、温かい料理が行き交う。


フィレーネは上座に座って、その光景を全て一つ残らず見渡していた。


──目が輝いていた。


皺だらけの顔の中で、灰青色の目だけが十二歳の少女のように澄んだ光を放っている。


「リアンくん」


小さな声で呼ばれた。隣に控えていた僕のにしか聞こえない声。


「はい」


「こんなに大勢。こんなに賑やか。ねえ、信じられる?独りぼっちだった私が、こんなにたくさんの家族に囲まれてるの」


「泣いてもいいですよ。今日は、特別ですから」


「駄目。一番年上のおばあちゃんが泣いたら、みんな心配するでしょ」


フィレーネはスープを半分だけ飲み、パンをほんの少しだけ齧り、僕が特別に作ったデザートのプディングは完食した。


甘いものだけは別腹らしい。どれほど老いても、そういう本質は変わらない。


食後、カイルの妻が幼いルナを連れてきた。まだおぼつかない足取りでよちよちと歩き、すぐに絨毯の上に尻餅をつく。


フィレーネが震える手を伸ばした。ルナが小さな柔らかい手でその指掴んだ。


「あら」


フィレーネの声が震えた。


「ちっちゃい。こんなにちっちゃい手」


ルナが「ばあ」と言って笑った。何かの真似だろうか。それとも、目の前の皺だらけの人間を「婆」と呼んだのだろうか。


フィレーネが笑った。そして目から涙が一筋、静かに流れた。


「ばあ……うふふ、そうね……わたしが、ばあよ」


周囲の家族が笑った。温かい笑い声だった。


「……」


僕は壁際に立って、その光景をただ静かに見ていた。


フィレーネを中心にして命が大きく広がっている。


崩れかけた屋敷で。


誰も来るはずのない門を見つめ。


たった一人きりで泣いていた少女から……これだけの命が生まれたのだ。


それを見届けられたことが、僕の人生の幸福なのかもしれない。


──夜遅く。


家族がそれぞれ本邸や自宅へ帰り、静まり返った離れに戻ったフィレーネをベッドに寝かせた。


「今日は楽しかった」


「はい。とても賑やかでしたね」


「来年もやりたいわね」


「僕が手配します。何度でも」


「リアンくん」


「はい」


「あのね」


フィレーネが、分厚い布団の中から細い手を伸ばした。そして、僕の小さな手を取った。


「名前、呼んでいい?」


「いつも呼んでいますが」


「違うの。——リアン」


出会ったあの日から、ずっと「リアンくん」だった。


どんな時も。星露草の契約が結べた嬉しい時も、アレクシス様が亡くなって悲しい時も、僕が無理をして怒った時も。


今、時を経て「くん」が外れた。


「……はい」


「ありがとう」


「何がですか」


「全部よ」


フィレーネが、安心したように目を閉じた。手は、僕の手をきつく握ったままだった。


すぐに寝息が聞こえ始めた。穏やかな呼吸。規則的な胸の上下。


僕は手を離さなかった。


暖炉の火が静かに揺れている。窓の外で雪が音もなく降り続けている。


フィレーネの手は温かかった。


骨ばっていて皺だらけで。


小さくて。


温かかった。

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