表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第三章 花は散るから美しいなんて、誰が言った

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/75

第四十一話 二十年ぶりの道は短かった

晴れの朝、僕とフィレーネは大公邸を出た。


船は健在だった。河岸の小屋で長年眠っていたにもかかわらず、船体には傷一つない。


マナで分子結合させた木材は、人間の技術で言えば鉄に匹敵する強度を持つ。我ながらやりすぎだ。


「懐かしい。この船、まだ新品みたいね」


「丈夫に作りましたので」


「丈夫にもほどがあるでしょ」


川を遡る。マナで水流を微調整し、船体を押し上げる。


フィレーネには「追い風がいいですね」とだけ伝えた。風は吹いていないが、気付かれなかった。


川面に陽光が反射して、金色の粒が散っている。両岸には木々が並び、葉の天蓋を作っていた。


フィレーネは船の縁に手を置いて、流れていく景色を眺めていた。


「この川、懐かしい」


「はい。フィレーネ様が王都で契約書にサインしに行った時です」


「あの時はすごく緊張した。手が震えて、身体も震えて……」


「滑ってません。堂々としていましたよ」


「嘘。震えてたの覚えてる」


「僕の記憶では堂々としていました」


「あなたの記憶は都合よく編集されてるのよ」


ベルデの街が見えてきた。


小さな街並みは、今では活気あふれる中規模の商業都市へと成長している。


大公家との星露草交易が起点となり、周辺の農村も潤ったのだ。


石畳の道が整備され、真新しい建物が背を伸ばし、市場の規模はかつての三倍にはなっている。


「大きくなったわね……」


「フィレーネ様の星露草が、この街を変えました」


「わたしじゃないわ。リアンくんが……」


「フィレーネ様が自分の足で市場に立って、自分の声で交渉したからです。この議論は決着がついています」


「ついてないわよ」


ついている。僕の中では。


船を岸につけ、街を歩いた。フィレーネは旅装のシンプルな外套を羽織っている。


大公夫人と気付く者はいないと思ったが、とあるの老婆が足を止めた。


「あら……もしかして、フィレーネお嬢様かい?」


エリーゼだった。


薬師のエリーゼ。背が縮み、杖をついている。だが目の光は変わっていない。


「エリーゼさん!」


「ずいぶん大きくなって……いえ、当たり前かね。もう何年経ったのやら……」


エリーゼの目が僕に移った。一瞬、怪訝な顔をして──それから、ゆっくりと目を見開いた。


「アンタ、あの時のままだね」


「お久しぶりです、エリーゼさん」


出会った時から老婆に見えたが、あれから数十年経つのにまだ存命だったとは。人間の寿命もなかなかに侮れない。


「変わってない。子供のままだ……」


「エルフですので」


「はっ、エルフってのは羨ましいね」


羨ましい、か。


周囲の景色も親しかった人々も……すべてが足早に変わっていくのに、自分だけが取り残される。それがどれほど残酷なことか。


僕からすれば、限りある時間の中で懸命に変わっていく彼女たちの方が、よほど羨ましく眩しかった。


エリーゼの薬房で茶を御馳走になった。薬草の匂いが染みついた小さな店。


「星露草はね、今は弟子が管理してるのさ。わたしはもう引退だ」


「お元気そうですが」


「元気なだけが取り柄でね。体は言うこと聞かないけど口だけは達者なんだよ」


フィレーネとエリーゼが昔話に花を咲かせている間、僕は店の窓から外を眺めていた。


行き交う人々。馬車の喧騒。


かつて見た景色。でも、あの時の人々はもういない。世代は確実に一つ、入れ替わっている。


ふと、マルコに似た青年……あれは確か息子だったか。彼が店先で汗を拭っているのが見えた。


「マルコは死んだよ。三年前にね。こんなババァより先に逝くやつがいるかね……」


僕の視線に気づいたのか、エリーゼがぽつりとこぼした。


「そう……ですか。マルコさんはもう……」


マルコ。あの陽気な荷馬車の御者。僕を最初に拾ってくれた人間。


彼の顔も、声も、荷台の軋む音も……全部覚えている。


「リアンくん、行きましょうか」


フィレーネの声で意識を戻した。エリーゼに別れを告げ、街の外に向かう。


街道を歩くと丘の上にそれが見えた。


クラウティア家の屋敷。


僕の始めての居場所。


外壁は修繕されていた。大公家の管理下に入った後、最低限の補修が施されたのだろう。


屋根の瓦は新しく、漆喰も塗り直されている。門の錆は取り除かれ、石畳の隙間から雑草は消えていた。


だが、あの頃の面影は残っている。建物の形。窓の位置。玄関の重い樫の扉。


フィレーネが門の前で立ち止まった。


黙って屋敷を見上げている。


「……小さいのね」


「え?」


「こんなに小さかったかしら。もっと大きいと思ってた」


「大公邸と比べれば、どんな屋敷も小さく感じますよ」


「そうじゃなくて。わたしが年を取ったのかも」


「ここを去ったのは大公家に嫁いだ時なので、フィレーネ様の身体は変わってないかと」


「……もう、そういう意味じゃないわよ」


フィレーネが門に手を触れた。指先が鉄柵の上を滑る。


「ここに一人で立ってたの。十二歳のわたし。毎日この門から外を見て、誰も来ないって思ってた」


「来ましたよ。僕が」


「……うん。来てくれた」


フィレーネの声が、少し掠れた。


門を開けて、庭に入った。


庭は整えられていたが、フィレーネが植えたラベンダーは残っていた。誰かが手入れを続けてくれたのだろう。紫の花が秋風に揺れている。


「これ……残ってる」


「ラベンダーは強い花ですから」


玄関の扉を開けた。廊下は綺麗に掃除されている。でも空気が違う。人が住んでいる家の空気ではない。


管理されているだけの、温もりのない空気。


書斎に入った。帳簿を初めて開いた部屋。窓からの光の角度まで同じだ。


台所に入った。フィレーネが初めて僕にスープを作った場所。蝶番は新品に替わっていたが、竈の位置は変わっていない。


フィレーネは一つ一つの部屋を、ゆっくりと巡った。時々立ち止まり、壁や窓枠に触れ、何かを確かめるように目を閉じた。


僕は後ろを歩いた。何も言わずに。


最後にフィレーネの旧部屋に入った。小さな寝室。窓から見える景色は、丘と森と空。何も変わらない。


フィレーネが窓辺に立った。


「ここから毎晩、星を見てたの」


「知っています」


「一人で。ずっと一人で」


「はい」


「リアンくんが来てから、二人になった」


振り返ったフィレーネの目に、涙が滲んでいた。


「ありがとう。ここに来てよかった」


「フィレーネ様……」


「泣いてないわよ。目にゴミが入っただけ」


「ゴミは入っていませんよ。見たところ」


「空気読んで」


屋敷を出て、門を閉めた。フィレーネが振り返って、もう一度屋敷を見た。


「また来たいな」


「何度でも。お供します」


帰りの船は速かった。夕焼けが川面を赤く染めている。フィレーネは船の縁にもたれて、うとうとしていた。


寝顔を見た。


大公夫人としての重責を背負い、母となった成熟した女性の寝顔。


目元には細かい皺が刻まれ始めている。口元は穏やかに緩み、風に揺れる亜麻色の髪には微かに白いものが混じっていた。


それでも。


十二歳の頃、初めて僕に見せてくれたあの無防備な寝顔と本質的には何も変わっていない。


この穏やかな寝顔を守るために、僕はここにいる。


今までも。そして、これからもずっと。


ずっと……。


「……ん。リアンくん、着いた?」


「もう少しです。お休みください」


「ん……」


また眠った。


夕焼けが紫に変わり、最初の星が瞬いた。


僕は櫂を漕いだ。マナなど使わずに自分の手で。


たまには、こういう不便で愛おしい時間の過ごし方もいい。


水の音だけが静かに響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ