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転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第三章 花は散るから美しいなんて、誰が言った

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第三十七話 だからバレたくなかったんだ

決闘の翌日。


放課後の学園は静かだった。社交実習の片付けを終え、シャルロッテの馬車を待つ間、僕は中庭の外れにある東棟の裏手を歩いていた。


人通りのない場所だ。石壁に蔦が這い、木漏れ日が地面にまだらな影を落としている。


気配を感じたのは、角を曲がった瞬間だった。


五人。石壁に沿って一列に並んでいる。全員、耳が長い。


エルフだ。


王立学園には、近くのエルフの森から留学している生徒が十数名いる。


外交関係の一環で、エルフの貴族の子弟が人間の学問を学びに来ている。彼らとは廊下ですれ違う程度で、特に接点はなかった。


その五人が僕を見た瞬間——一斉に膝をついた。


頭を深く垂れ、右手を胸に当てる。エルフの最敬礼。王族に対してのみ許される形式だ。


「……あの、何をしてるんですかね」


返事はない。五人とも微動だにしない。


「こんな子供の従者に頭なんか下げて。誰かに見られたら、皆さんの立場が困るでしょう」


彼らはエルフの貴族だ。対して僕は大公家の従者。対外的な地位で言えば、比べ物にならない。


しかも外見は十歳の子供だ。この光景を誰かに見られたら、変な噂が立つ。


先頭のエルフが顔を上げた。銀緑の髪を短く刈り込んだ青年。名前は確か——ファルネーゼ。エルフの名門出身で学年首席だったはずだ。


「貴き御方。貴方様の正体に気付けずにいた我々をお許しください」


「?」


一拍、間が空いた。


「……あぁ、なるほど」


昨日の決闘か。


レオンハルトとの立ち合いで、僕は極力魔力を抑えていたつもりだった。


だが、最後の一歩——あの踏み込みの瞬間、身体強化に使ったマナが僅かに漏れたらしい。人間には感知できない程度の、ごく薄い放出。


だが、エルフには感じ取れる。


そして、ハイエルフのマナはエルフのそれとは根本的に質が違う。水と海くらい違う。一滴でも漏れれば、エルフなら即座に気付く。


バレた。


「ハイエルフの御方が、何故このような場所に」


「遊んでるだけです」


「遊び、ですか」


「ええ。だから皆さんも、僕みたいな子供に頭を下げる必要なんてないので。立ってください。膝が汚れますよ」


五人は立たなかった。


「我々エルフにとって、ハイエルフ様は忠誠を誓う絶対の存在です。たとえ貴方様がどのような姿であろうと、どのような立場であろうと」


はぁ。


面倒だ。心底面倒だ。だからバレたくなかったんだ。


ハイエルフとエルフの関係を、人間の言葉で説明するのは難しい。


王と臣下というのが一番近いが、正確ではない。もっと根源的な——本能に刻まれた上下関係だ。


エルフの魂の奥底に、ハイエルフへの服従が組み込まれている。理屈ではない。血だ。


僕はそれが嫌いだった。


「あのねぇ。ハイエルフだって言っても、僕はまだ最年少の——二百歳くらいしか経ってない未熟者なんで。敬われるような存在じゃないです」


「リアン様。我々はまだ二百歳にも届いていない未熟者です」


そうだった。


エルフの寿命は人間の十倍程度。七百年から千年。目の前の五人は学生だから、おそらく百七十歳前後。人間で言えばシャルロッテと同い年くらいの感覚だ。


対してハイエルフは不老不死。寿命という概念がない。


理不尽な話だ。


「とにかく、立ってください。お願いですから」


五人がようやく立ち上がった。だが姿勢は崩れない。背筋が伸び、目は伏せたまま。


「どうか——我々に忠誠を誓わせてください」


「やめてください」


「ハイエルフ様にお仕えすることは、エルフにとって最高の栄誉です」


「マジでやめて」


「我々の剣と魔法を、リアン様に——」


「やめてって言ってるでしょ。日本語わかる? あ、日本語じゃなかった。共通語わかります?」


混乱で前世の言語が出た。二百年ぶりだ。


ファルネーゼが真剣な目で僕を見つめている。本能に逆らえと言っても、無理なのだろう。


彼らにとって、ハイエルフの命令は身体が勝手に従ってしまうものだ。


「僕は従者です。この学園では、ただの従者。それ以上でもそれ以下でもない。皆さんは皆さんの学業に集中してください。僕のことは忘れて——」


「尊き御方が人間の小娘に仕えているのは、あまりにも——」


空気が変わった。


自分でもわかった。体の奥から、冷たいものが這い上がってくる感覚。マナではない。もっと古い、もっと深い場所から来る何か。


「今、なんて言った」


声が変わっていた。自分の声なのに、聞き慣れない響き。低く静かで温度がない。


発言したのは五人の中で一番若いエルフだった。翡翠色の目をした少女。さっきまで真剣な顔をしていた目が今は戦慄で見開かれている。


「僕が誰と共にいようと、誰に仕えようと——それは僕が決めることだ」


一歩、前に出た。


五人のエルフが同時に後ずさった。後ずさったのではない。


身体が勝手に退いたのだ。ハイエルフの威圧に、エルフの本能が反応した。


「フィレーネ様を、シャルロッテ様を……僕の主人たちを小娘と呼ぶな」


石壁に蔦が這う静かな裏庭で、風が止んだ。木漏れ日が消えた。僕の周囲の空間が、微かに歪んでいる。マナが漏れている。抑えきれていない。


ファルネーゼの顔から血の気が引いていた。膝が震えている。立っていられるだけ立派だ。


他の四人は既に膝をついている。一人は額を地面に押しつけていた。


これがハイエルフとエルフの関係だ。


僕が死ねと命じれば彼らの身体は自ら命を絶つ。命令に逆らうことができない。


意思ではない。構造の問題だ。ハイエルフの言葉は、エルフの存在そのものを支配する。


──歪だ。


どうしようもなく、歪だ。


この力が嫌だ。前世で散々上司の理不尽に苦しんだ人間だったから、余計に。


そして今、僕はその力を——怒りに任せて、子供たちに向けている。


最悪だ。


深く息を吐いた。マナを引き戻す。空間の歪みが消え、木漏れ日が戻る。風が吹く。


五人のエルフは、まだ震えていた。


「ごめんよ」


頭を下げた。ハイエルフがエルフに頭を下げるのは、たぶん歴史上初めてだ。


「怒る必要なんてなかった。僕が悪い。不快な思いをさせて、本当に申し訳ない」


ファルネーゼが顔を上げた。目が潤んでいる。


恐怖か、それとも——


「リアン、様」


「その『様』もやめてほしいんだけど。無理か。無理だよね」


「……我々こそ、失礼を。リアン様の大切な方を侮辱いたしました」


「侮辱したのは彼女だけじゃないよ。人間を見下す言い方だった。エルフが人間より優れているなんて考えは、僕は好きじゃない」


五人が黙った。


「皆さんの忠誠心は理解しています。ありがたいとも思う。でも僕はただの執事です。紅茶を淹れて、掃除をして主人の愚痴を聞いて、たまにお嬢様を学園まで送る。それだけの存在です」


「で、ですが……貴方様は上位存在の……」


「持って生まれただけです。選んだわけじゃない。この力も、この寿命も」


翡翠色の目の少女が、おずおずと口を開いた。


「リアン様は……人間の傍にいて、苦しくはないのですか。彼らは、すぐに——」


「死ぬ、ですか?」


少女が頷いた。


「苦しいですよ」


言ってしまった。考えるより先に口から出た。


「苦しい。でも、苦しいから離れるなんて、もっと嫌だ」


沈黙。


裏庭に、遠くから鐘の音が聞こえた。放課後の終鈴。シャルロッテの馬車が来る時間だ。


「一つだけ、お願いがあります」


「なんなりと」


「僕のことは黙っていてください。この学園では、この街では……僕はただのエルフの従者です。子供の姿をした、ちょっと紅茶が上手い、ただの執事。それでいい」


ファルネーゼが深く頭を下げた。


「……御意に」


「あと、さん付けでいいですよ」


「それはお許しください。無理です」


だろうね。


僕は裏庭を後にした。角を曲がると、陽の当たる中庭に出る。生徒たちの笑い声が聞こえる。日常の音だ。


少し歩いてから、立ち止まった。


さっきの自分を思い返す。怒りに任せてマナを解放した、あの瞬間。フィレーネを侮辱されて、我を忘れた。


あれは失態だ。


彼らが悪いんじゃない。エルフの価値観ではハイエルフが人間に仕えるなど、太陽が地面に這いつくばるようなものだ。


驚いて当然。疑問を持って当然。


それを力で黙らせるのは、僕が一番嫌いなやり方だったはずだ。


「……反省」


呟いて歩き出した。


正門にシャルロッテが立っていた。鞄を肩にかけて、あくびをしている。


「遅いー。何してたの」


「少し用事がありまして」


「ふうん。じゃ、帰ろ」


馬車に乗り込む。シャルロッテが窓際の席に座り、すぐに居眠りを始めた。帰りの馬車で寝るのは日課だ。


小さな寝息。揺れる亜麻色の髪。


この子やこの子の母親を小娘と呼ばれた時の怒りを、まだ胸の奥に感じている。


僕はただ、平穏に暮らしたいだけなのに。


紅茶を淹れて、花を育てて、この家の人たちの日常を守る。それだけでいいのに。


馬車が石畳の上を走る。窓の外を、夕焼けの街が流れていく。


面倒なことが増えた。


でもまあ、いつものことだ。


面倒なことは、いつだって僕の方から向かってしまうのだ……。

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