第三十六話 決闘を申し込まれるのは、人生で初めてだった
学園。
僕の立場は完全に変わっていた。ヴァルシュタイン家の従者から学園のマスコットに。
不本意極まりない。
「リアンくーん、これ食べて」
「リアンくん、今日の髪も綺麗だね」
「ねえねえ、お昼一緒に——」
「皆さん、僕は従者として来ているので、生徒との私的な交流は——」
「固いこと言わないでよ」
固いのではない。職務規程に忠実なだけだ。だが十七歳の少女たちに職務規程は通じない。
昼休みのたびにベンチを囲まれ、手作りの菓子を押し付けられ、頭を撫でられる。
頭を撫でるのはやめてほしい。二百歳超の存在に対する敬意が微塵もない。
「リアン、モテモテだね」
シャルロッテが教室の窓から顔を出して笑っている。
モテモテではない。これはぬいぐるみや小動物に対する扱いだ。
「お嬢様のお力添えをいただきたいのですが」
「無理。自分でなんとかして」
薄情な主人だ。
午後の社交実習を終え、中庭で片付けをしていた時だった。
足音が近づいてきた。革靴の真っ直ぐな足音。迷いがない。
「リアン殿」
振り返ると、レオンハルト・フォン・ブラントが立っていた。髪を風に揺らし、表情は真剣そのもの。目が据わっている。
「少々お時間をいただけますか」
「構いませんが、何か——」
「決闘をしていただきたい」
「……はぁ?」
聞き間違いかと思った。ハイエルフの聴覚が誤作動を起こすことはないので、聞き間違いではない。
「けっ、とう」
「はい」
「僕と」
「はい」
「なぜ」
レオンハルトは一度深呼吸をした。耳が赤い。
でも目は逸らさない。この真っ直ぐさは、前に会った時と同じだ。
「シャルロッテ様に告白いたしました」
「存じています」
「その際に、シャルロッテ様が仰ったのです。『わたしの初恋はリアンだった』と」
は。
「えっーと……それは……」
「ですから、僕は貴方に勝たなければならない。シャルロッテ様の初恋の相手に、正面から挑んで——」
「待ってください」
手を上げて制止した。情報を整理する必要がある。
シャルロッテの初恋が、僕。いつの話だ。いや、心当たりがないわけではない。
あの子は幼い頃から「りあん、りあん」と後を追い回し、「大きくなったらリアンのお嫁さんになる」と五歳の時に宣言していた。
周囲は微笑ましく見守っていたが、あれは子供特有の——
「あのね、レオンハルト殿。子供のそれって子供の頃の話だと思いますけど」
「子供の頃であっても、初恋は初恋です」
正論だ。正論だが、正論で殴られても困る。
「シャルロッテ様は『今はもう違う』とも仰いました。ですが、僕はけじめをつけたいのです」
「けじめ」
「はい。シャルロッテ様の隣に立つ男として、貴方を超えたいのです」
超える。僕を。二百歳超の子供の姿をしたエルフを。具体的にどの分野で超えるつもりなのか聞きたいが、たぶんそういう理屈の話ではない。
十七歳の少年の目が、真っ直ぐに僕を射抜いている。揺らぎがない。
怖いもの知らずなのか、それとも——本気で、この子はシャルロッテのことを想っているのか。
後者だ。二百年の経験が、そう断言している。
「決闘の方法は?」
「剣で。木剣で構いません。訓練場をお借りできます」
「僕は従者ですが。しかも子供ですが」
「従者であっても、子供であっても、受けていただけるならば」
真剣だ。冗談の気配がない。断ったらこの少年は別の方法を探すだろう。それはそれで面倒だ。
「一つ条件があります」
「なんでしょう」
「シャルロッテお嬢様には内密に」
「……承知しました」
翌日の放課後。訓練場。
なぜか観客がいた。
「内密って言いましたよね」
「僕は誰にも言っていません」
言っていないかもしれないが、木剣を二本持って訓練場に向かう二人の姿は、学園中の好奇心を刺激するには十分だったらしい。
階段状の観覧席に、三十人ほどの生徒が座っている。
もう引き返せない。
木剣を受け取った。軽い。当然だが。僕にとって木剣の重さなど羽根を持っているのと変わらない。
レオンハルトが正面に立った。構えは正統派の中段。足の幅、肩の位置、剣の角度。
基礎がしっかりしている。剣術の成績が上位だというのは本当らしい。
「参ります」
レオンハルトが踏み込んだ。
速い。十七歳の人間としては、かなり速い。右からの袈裟斬りを起点にした二連撃。教科書通りだが、体重の乗せ方に才能がある。
僕は半歩だけ横にずれた。木剣が空を切る。
もう一撃。今度は左から。体の回転を利用した横薙ぎ。悪くない。
悪くないが——遅い。ハイエルフの動体視力には、全てが水の中のように見える。
これも半歩で躱した。
観客がざわめく。僕が一度も剣を振っていないことに気付いたのだろう。
レオンハルトの額に汗が浮いた。三撃目。四撃目。五撃目。全て正確で、全て力強い。
だが、僕の体には一度も触れない。
「……っ」
六撃目の後、レオンハルトが間合いを取った。息が上がっている。対する僕は、呼吸すら変わっていない。
「すみませんが、一つ確認です」
「——なんでしょう」
「全力ですか」
「……全力です」
「わかりました」
次の瞬間、僕は一歩だけ前に出た。それだけだ。一歩。
レオンハルトの目が見開かれた。反応が追いつかなかったのだろう。
僕の木剣の先端が、音もなく彼の喉元で止まっている。
訓練場が静まり返った。
レオンハルトの喉仏が上下した。生唾を飲む音が聞こえた。
「僕の勝ちでよろしいでしょうか」
「……はい」
木剣を下ろした。レオンハルトの膝が震えている。怖かっただろう。
申し訳ないが、手加減はした。相当した。本気の一万分の一も出していない。
「レオンハルト殿」
「は、はい」
「剣の腕は良いです。基礎に忠実で、体幹が強い。あと二年鍛えれば、騎士団の入団試験に受かるでしょう」
「……ありがとう、ございます」
「それから」
僕は木剣を棚に戻して、レオンハルトに向き直った。
「僕に勝つ必要はありませんよ」
「え」
「お嬢様が見ているのは、剣の強さじゃない。あの子が求めているのは——隣にいてくれる人です。いない日に、寂しいと思わせてくれる人です」
レオンハルトが目を見開いた。
「シャルロッテ様は、貴方が風邪で休んだ日、つまらなさそうでした。それだけで十分です」
「それ、は——」
「僕は執事です。お嬢様の隣に立つのは、僕ではない。最初からずっと。貴方の方がいい」
レオンハルトの目が赤くなった。泣くなよ。男子が訓練場で泣いたら、明日から学園で生きていけないぞ。
「……ありがとうございます、リアン殿」
「礼には及びません。それより、お嬢様への返事を急かすのはやめてくださいね。あの子は自分で考えたい性質ですから」
「はい」
観客がどよめいていたが、知らない。僕は木剣を片付け、訓練場を出た。
廊下を歩いていると、柱の影に見慣れた髪が見えた。
「お嬢様。もしかして聞いておりました?全部……」
「……聞いてないし。たまたま通りかかっただけだし」
目が赤い。
もしかして決闘前のさっきの会話、全部聞いていたな。
「リアン」
「はい」
「初恋のこと、怒ってないの」
「怒る理由がありません」
「恥ずかしいんだけど」
「僕も相当恥ずかしいので、おあいこです」
シャルロッテが鼻をすすって、それから小さく笑った。
「……レオンに、ちゃんと返事する」
「はい」
「でもリアンがわたしの最初だったのは、取り消さないから」
「……かしこまりました」
面倒くさい。本当に、この家の女性は揃いも揃って面倒くさい。
でもまあ。
悪くない面倒くささだ。




