表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第三章 花は散るから美しいなんて、誰が言った

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/74

第三十一話 お嬢様は、朝が弱い

何年経っただろうか。


シャルロッテ・フォン・ヴァルシュタイン、十七歳。


王立学園の二年生にして、大公家の長女。成績優秀、剣術は中の上、社交術は母親譲りの一級品。


非の打ちどころのない貴族令嬢——と言いたいところだが、致命的な欠点が一つある。


朝に弱い。


「お嬢様、朝です」


「……んー」


「お嬢様」


「あとごふん」


「五分前にも同じことを仰いました」


「……あとごふん」


僕はカーテンを開けた。秋の朝日が容赦なく寝室に差し込む。シャルロッテが毛布を頭まで引き上げた。


「お嬢様。本日は一限目に国政学の試験があると伺っていますが。単位を落とすとまずい科目なんですよね」


毛布が跳ね上がった。


「なんで先に言わないの!」


「先に言いました。昨晩と、五分前と、その五分前に」


シャルロッテが恐ろしい速度で着替え始めた。僕は朝食のトレイをテーブルに用意する。


焼きたてのパン、温かいスープ、チーズ、果物。それから紅茶。フィレーネと同じ銘柄だがシャルロッテは砂糖を二杯入れる。


五分後、制服姿のシャルロッテが飛び出してきた。王立学園の紺色の上着に白いブラウス。亜麻色の髪を適当に一つに結んでいる。適当すぎる。


「お嬢様、髪」


「いい、時間ない!」


「大公家の令嬢が鳥の巣を頭に載せて登校するのは困ります。三十秒ください」


「三十秒で何ができるのよ!」


できる。僕を誰だと思っている。


手櫛で髪を整え、リボンで結い直す。前髪の流れを調整し、襟元を正す。二十八秒。


「前から思ってたけど、リアンって人間じゃないでしょ」


「エルフです。ご存知でしょう」


「そういう意味じゃなくて……あぁ、もういいわ!」


シャルロッテはパンを咥えたまま階段を駆け下りていった。大公邸の正面に、学園までの馬車が待っている。


「行ってきます!」


「いってらっしゃいませ」


嵐のような朝が終わった。毎朝これだ。


馬車が門を出るのを見届けてから、僕は屋敷に戻った。一階の廊下で小さな影とすれ違う。


「おはようございます、リアン」


「おはようございます、ユリウス様」


ユリウス・フォン・ヴァルシュタイン。五歳。大公家の嫡男。


この子は姉と正反対だ。朝は六時に自分で起き、寝間着を畳み、顔を洗い、身支度を整えてから食堂に現れる。


五歳で。


信じられるだろうか。


「姉上は今日も遅刻ですか」


「遅刻ではありません。ぎりぎり間に合う予定です」


「ぎりぎりは遅刻と同義だと、お父様が仰っていました」


五歳の言葉ではない。アレクシスの教育の賜物か、生来のものか。たぶん両方だ。


小さな紳士は食堂の椅子に姿勢良く座り、ナプキンを膝に広げた。


「本日の朝食は何ですか」


「オムレツとトースト、季節の果物です」


「ありがとうございます」


完璧な受け答え。逆に心配になるくらいだ。もう少し子供らしくてもいいんだが——まあ、人のことは言えない。僕も外見年齢より中身が老けている側の存在だ。


朝食を終え、ユリウスの家庭教師が到着するまでの間に、僕は大公邸の日常業務をこなした。


フィレーネの朝の紅茶を届け、アレクシスの書斎に本日のスケジュール表を置き、庭師に薔薇の剪定指示を出し厨房のギュンターと昼食の献立を確認する。


アレクシスは書斎で執務中だった。


中年になった大公は若い頃の柔和な青年の面影を残しつつ、顔つきに重みが加わっていた。顎に短く整えた髭を蓄え、目元には薄い皺が刻まれている。

二年前に先代から正式に大公位を継承し、今は名実ともにヴァルシュタイン大公家の当主だ。


「リアン殿」


「はい」


「シャルロッテは間に合ったかな?」


「馬車には乗りました。間に合うかどうかは馬の速度次第です」


アレクシスが苦笑した。書類に目を落としたまま、ペンを走らせている。字が端正だ。この人の字は昔から綺麗だった。


「今日の夕食は家族で摂りたい。シャルロッテが戻り次第、食堂に集めてくれ」


「かしこまりました」


「それから——」


午後になり、フィレーネが中庭でユリウスに本を読み聞かせているのを窓から見た。


陽光の中のフィレーネは穏やかだった。亜麻色の髪に、ほんの少しだけ白いものが混じっている。


一本、二本。本人はまだ気付いていないかもしれない。


僕は気付いている。気付いてしまう。


夕方。シャルロッテが帰宅した。


「ただいまー!!」


「おかえりなさいませ。お父様が夕食は家族でと仰っています」


「やった、今日は何?」


「仔羊のローストです」


「最高!」


食堂に家族四人が揃った。アレクシスが上座に、フィレーネが隣に。シャルロッテとユリウスが向かい合い、僕は壁際に控える。いつもの配置。


シャルロッテが試験の手応えを得意げに語り、ユリウスが「姉上は勉強を始めるのが遅すぎます」と正論を述べ、アレクシスが笑い、フィレーネが「二人とも食べなさい」と窘める。


賑やかな食卓だ。


僕はその光景を、壁際から眺めている。


崩れかけた屋敷の台所で二人きりで食べたスープの味を思い出しながら。


あの時は二人だった。


増えた。テーブルを囲む人間が。笑い声が。食器の音が。


それが嬉しくて、同時に——時計の秒針が聞こえる気がした。


「リアンくん」


フィレーネの声に、意識が戻った。


「お代わり、いただける?」


「もちろんです」


スープを注ぎ足す。フィレーネが両手でカップを包んだ。十二歳の頃から変わらない仕草。


変わらないものが一つあるだけで、こんなに安心する。


僕の紅茶とフィレーネのこの癖。二つだけで十分だ。


今はまだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ