第十五話 王都は遠かった。嘘です、半日で着きました
川を下るのに普通なら数日かかるらしい。
僕は半日で着いた。
人目のないところで舟の底にマナを流し、水流を操作して推進力に変えた。要するに魔力エンジンだ。
外から見ればやけに速い小舟だが、川辺に人がいなければ問題ない。冬の川に物好きはいなかった。
「ここが王都かぁ」
王都グランヴェルは想像以上に大きかった。
石造りの城壁が街を囲み、大河の両岸に市街地が広がっている。港には大小の船がひしめき、荷揚げの喧騒が朝から絶えない。
人口は数十万といったところか。ベルデの街が丸ごと一つの通りに収まりそうな規模だ。
舟を港の隅に係留し、街に踏み込む。
目的はひとつ。王都薬師組合との直接取引ルートの確保。
エリーゼが書いてくれた紹介状がある。元王都薬師組合の重鎮だった彼女の名前は、まだ通用するはずだ。
組合の建物は商業区画の一角にあった。石造りの堅牢な建物で扉には薬草と天秤を象った紋章が掲げられている。
「あの、すいません。これを」
受付で紹介状を差し出す。対応した中年の事務員が、封を開けた瞬間に表情を変えた。
「エリーゼ師匠の……?少々お待ちください」
師匠。エリーゼ、あなた一体何者だったんだ。
十分後、僕は組合長室に通されていた。
組合長は五十代の恰幅のいい女性だった。名はグレーテ。
エリーゼの元弟子だという。紹介状を読み終えた彼女は老眼鏡越しに僕を見下ろした。
「エルフの子供が一人で王都まで?エリーゼ先生も相変わらず無茶なことをするな」
「無茶なのは僕の判断です。エリーゼさんは紹介状を書いてくれただけで」
「ふうん。で、星露草の直接取引がしたいと」
「はい。鑑定書はこちらです」
エリーゼの鑑定書と星露草の乾燥サンプルを差し出した。
グレーテがサンプルを手に取り、匂いを嗅ぎ、光に透かし、指先で質感を確かめる。
「上物だね。いや、上物どころじゃない。天然でこの品質は見たことがない」
「安定供給できます。王都に直接」
グレーテの目が光った。
「クラウティア家。最近、星露草を流通させてる領地だね」
「ご存知ですか」
「もちろん。だが、最近は星露草の流通が滞っているようだが」
「流通を阻害されていたので」
グレーテの眉が動いた。言外の意味を正確に汲み取ったらしい。
「なるほどね。伯爵家か」
「直接は申し上げませんが」
「賢い子だ」
グレーテが椅子に深く座り直した。
「条件を聞こう」
交渉は三十分で決着した。
加えて、グレーテは意外な提案をしてきた。
「うちの組合は王家の認可事業でね。組合と正式な取引契約を結べば、その取引は王家の保護下に入る。地方領主の横槍は法的に排除できる」
王家の保護。これは大きい。伯爵家がどれだけ地方で権勢を振るっていても、王家認可の商取引を妨害すればそれ自体が違法行為になる。
何百年前かの証書よりも、遥かに効果がある。
「ぜひ、お願いします」
「契約書は三日で作成する。正式な署名はクラウティア家の当主が必要だけど、代理人でも仮契約は可能だよ」
「いえ……当主本人を連れてきます。次の便で」
「楽しみにしてるよ。エリーゼ先生の紹介なら信頼できる」
組合を出た時、午後の陽光が眩しかった。
半日で来て、三十分で交渉を終えた。帰りもマナを使えば半日。日帰り出張だ。
前世のサラリーマン時代、東京から大阪への日帰り出張を思い出した。新幹線の代わりが魔力エンジンの小舟というだけで、やってることは変わらない。
王都を発ち、夕方にはクラウティア家領地に戻った。
屋敷に入るとフィレーネが書斎で帳簿と格闘していた。僕の顔を見るなり立ち上がった。
「いや、早すぎるでしょ!」
「流れが良くて」
「そんなわけ──……まぁいいわ。それで、どうだった?」
僕は交渉結果を伝えた。王家認可の保護。正式契約にはフィレーネの署名が要ること。
フィレーネの目がどんどん大きくなっていった。
「ええと具体的な金額は……」
「言わないで。金額が高すぎて目眩がする」
フィレーネがふらりとソファに座り込んだ。
「王家認可の取引契約を結べば、伯爵家は法的に手出しできなくなります」
「……本当に?」
「組合長のお墨付き。ただし、フィレーネ様が直接王都に行って署名する必要があります。代理人でもいいみたいですが、やはり行くべきかと」
「わたしが王都に……?」
フィレーネの声が震えた。元々は屋敷から出られなかった子だ。王都は別世界に等しいだろう。
でも、目は怯えていなかった。
「いつ行くの?」
「早いほうがいいです。契約書は三日で用意されるから、五日後に出発でどうですか?」
「五日。うん、行く」
即答だった。
「王都、初めてだけど……リアンくんが一緒なら」
「もちろん。荷物持ちくらいはしますよ」
「荷物持ちだけじゃないでしょ、絶対」
まあ、否定はしない。
五日後。
僕とフィレーネは小舟に乗り、川を下った。
今回は魔力エンジンを控えめにして、少し長い行程にした。
さすがにフィレーネの目の前で半日航行は説明がつかない。途中、何度か川岸で一泊し焚き火を囲んで星を見た。
「星、綺麗……ベルデでは見えない星がいっぱいある」
「空が開けてますから」
「リアンくんの目、星の光で色が変わるんだね」
「虹彩が光を反射するだけです」
「綺麗なのに。もったいない言い方」
昼前に王都に到着した。フィレーネは港の喧騒に目を丸くしていた。
「人が多い……」
「はぐれないでくださいね」
「子供みたいに言わないで」
「子供ですよね……?」
薬師組合に向かい、グレーテと正式に対面。
フィレーネは緊張していたが、署名の段になると手が震えなかった。
帳簿を何百回と書いてきた手だ。自分の名前くらい、堂々と書ける。
契約成立。
王家認可の正式取引。星露草の定期供給契約。クラウティア家の名前が王都の公式記録に刻まれた。
「おめでとう、お嬢さん。これで、あなたの商売は王家の保護下にある。誰にも邪魔はさせないよ」
グレーテが力強く握手した。フィレーネの手が小さく見えたが、握り返す力は確かだった。
組合を出て、王都の大通りを歩きながら、フィレーネが呟いた。
「……なんか、実感がない」
「そのうち湧いてきますよ」
「半年前のわたしが見たら、信じないだろうね。王都で契約書にサインしてるなんて」
「半年前のフィレーネ様も、今のフィレーネ様も、同じ人です。変わったのは状況と覚悟ですよ」
フィレーネが足を止めた。冬の王都の大通り。人混みの中で、亜麻色の髪が風に揺れている。
「リアンくん」
「はい」
「帰ったら、伯爵家に手紙を書く。今度はわたしから」
ほう。彼女から、そんなことを言うだすとは。
「どんな内容です?」
「王家認可の取引契約を結んだことの報告。それと——クラウティア家の領地に対するこれまでの不当な圧力について、然るべき対応を取る用意があるという通告」
僕は少し驚いた。そこまでは教えていない。フィレーネが自分で考えた一手だ。
「攻めますね」
「守ってるだけじゃ、また同じことの繰り返しだもの。リアンくんが教えてくれたでしょ。交渉は、戦場に出る前に勝つものだって」
教えた言葉が、教えた以上の意味を帯びて返ってきた。
「……うん。いい手紙になると思います。素晴らしい」
「でしょ? 文面は自分で考えるから、添削はお願いね」
「はいはい」
「はいは一回!」
帰りの舟の上で、フィレーネはずっと手紙の文面を考えていた。川面を見つめながら、言葉を選び、唇の中で推敲を繰り返している。
僕は舟の舵を取りながら、その横顔を眺めていた。
もうすぐ春が来る。フィレーネがクラウティア家に来て初めて迎える春だ。ラベンダーが芽を出す頃。
この子はもう大丈夫だ。
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。
大丈夫だということは、僕がいなくても大丈夫だということで。
——まだだ。まだ、そのことは考えなくていい。
川は穏やかに流れている。王都からクラウティア家へ。冬から春へ。
今はまだ、この舟の上にいる。フィレーネの隣に。
それで十分だ。




