第1話「たまには独りになりたいってのは本当だけど、先輩の温もりが欲しいって気持ちも本当」
けたたましく鳴り響く目覚まし時計。
今のご時世、目覚まし時計なんてなくても起床するための術はある。
だけど、俺はこの聴覚を破壊するような音を発生させる目覚まし時計の方が、朝の気合いを入れることができるような気がして好きだった。
「あー……」
汐桜ちゃんを助けた俺に、俺は欲しかったオーディション情報に辿り着くことができた。
(周りは、みんな敵か……)
書類に宣材写真にボイスサンプルに……いろんなものを短期間で準備した。
ボイスサンプルの収録は、クラスメイトの赤谷のご家族が経営しているスタジオを使わせてもらって乗り切った。
(やれるだけのことはやった……)
自分にできるすべてを書類審査に詰め込んだのだから、あとはもう一次審査の合格を待つことしかできない。
(ちゃんと食べなきゃだよな)
未来が見えないから食欲が落ちたなんて言っていられず、俺は今日も高校生を全うするために朝食を食べに香耶乃さんが利用している大広間へと向かう。
「って、笹田さん、朝、早くないですか」
「おはよう、和生くん」
なぜか、大広間には笹田さんが朝食を食べるために待機していた。
和室に差し込む太陽の光が、少しだけ明るみが入った笹田さんのロングヘアーを綺麗に照らす。
朝早い時間帯だっていうのに、もういつ仕事に出ても大丈夫なくらい声優の笹田結奈としての表情を整えていた。
「香耶乃さんに付き合うと、旅館みたいに豪勢な朝食がいただけるから」
「規則正しい生活を送って、豪華な食事に辿り着こうと……」
「そういうこと」
一緒に朝食を食べる約束をしている香耶乃さんはキッチンにいるらしく、居間には俺と笹田さんしかいなかった。
そこには、ここは旅館ですかってくらいの古き良き日本の朝食風景が用意されていて、またなんだか知らない感情に襲われそうになっている。
「世間の人に合わせた規則正しい生活と、声優にとっての規則正しい生活は違うから大変」
「確かに……っていうか、だったらまだ寝てても良かったんですよ」
「たまには高校生と、豪勢な朝食を食べてみたかったの」
笹田さんと畳に座りながら、香耶乃さんと高校生組の到着を待つ。
だけど、笹田さんとの会話は異常なくらい緊張する。
「こんな私相手でも、本田坂くんは緊張してくれるの?」
自分の心には、今、どんな感情が存在しているか。
心の中すべてを笹田さんに読まれてしまっているようで、益々肩身が狭くなっていくような感覚を受ける。
「いただきます」
「香耶乃さん、待たないの?」
「これ以上に品数が増えるんです。今から食べ始めないと、食べきれなくなりますよ」
いくら笹田結奈さんを見返すために声優になったとはいえ、笹田さんと一緒に好きという感情を知りながら芝居を上達させようと頼りにしてもらえたことは素直に嬉しい。
でも、笹田さんの願いを叶えるためには、俺が声優であり続けなければいけない。
(笹田さんの役に立つことができるかっていう不安しかない……)
自分が、将来も、未来も、声優として仕事ができているかっていう不安が大きいことに気づく。
「食べていいですよ。香耶乃さん、先に食べたからって怒るような人じゃないですから」
「……いただきます」
森村荘は、先輩声優の数の方が多い。
先輩と自分を比較するのは間違っているかもしれないけれど、男性の先輩声優とは同じオーディションを受けることも多々ある。先輩の仕事量と自分の仕事量を比較してしまうのも無理はない。
「和生くん、本当に食欲ある?」
「……あります」
不安を抱えている声優は、自分だけじゃない。
自分だけが未来に不安を抱いているわけじゃない。
「無理してない……?」
感傷的になっているときって、自分だけが世界から傷を刻み込まれているような気になってしまう。
とことん自分を追い詰めて不安な自分可哀想みたいな、悲劇のヒーロー的な考えに浸る。
そんな自分を恥ずかしく思いつつも、不安を抱えるって辛い。未来に希望を持つことは難しいんだっていう地獄街道から抜け出せない。
「美味しいですって」
食べる物があるってことのありがたさに感動しているのかもしれない。
今日は感情が敏感に働く日で、日々が平和だってことのありがたさをいつも以上に感じているのかもしれない。
「凄く……本当に……」
泣いていないけど、泣きそうになっている自分がいた。
ああ、もう、自分で自分の感情を上手く説明できない。
なんだよ、なんでこんなにも泣きそうになっているのか訳が分からない。
「調子を狂わせるわね、和生くんは」
誰にも迷惑をかけない。誰にも心配かけない。誰にも気づかれない。
今日の自分は、元気がありませんって。
今朝、目が覚めたときにはそんな決意をしていたはずなのに、もうそんな芝居すらできなくなっている自分がそこにいた。
これじゃあ、声の役者失格。これくらいの日常を軽くこなせるくらいの演技力を身につけなきゃいけない。
「……声優で……い続けたいなって」
あれ、俺、何を言っているんだろう。
心に反して、言葉がどんどん零れていく。
「……声優で……食べていきたいなって」
森村荘は、多くの人気声優を輩出してきた場所。
だけど、森村荘を出た新人声優たちも多くいる。
もちろん森村荘に頼らなくても食べていけるようになった人たちもいるけれど、多くの人たちは声優になるという夢を諦めた。
「どんどん……欲深くなっていくなって……」
声優という職業に、あまり執着はなかったと思う。
だって、別に俺は幼い頃から声優を目指していましたとか、この作品がきっかけで声優になりましたといった立派な志望理由は持っていなかったから。
「凄く……凄く……大切な仕事になっていって……」
声優を目指す人たちって、明確な……声優になりたいって気持ちを持ってきた人が多いなって印象だった。
「……ずっと、本当にずっと、長い間……キモイって思われるくらい長い時間、オタクをやってきて……オタクのままでいいって思っていたんですけど……」
俺は志望理由を聞かれたとき、適当に答えるしかできなかった。
そんな自分がカッコ悪いなとも思っていたけれど、声優という夢を諦めることができなかった。
引き下がることなんていくらでもできたのに、俺は立派な志望理由を持っている人たちに道を譲ってやらなかった。
「関わる、という選択を和生くんはしたんでしょ?」
「…………はい」
自分に任せてもらえるキャラクターの人生を背負うことが怖い。
キャラクターの人生を変えてしまう可能性を、自分が持っていることが怖い。
「人生ずっとオタクで……キャラクターに関わらない道も……あったんですけどね」
怖いって思うくらい、声優業界にのめり込んでいる。
恐怖心を抱いてまでやる仕事じゃないって思うのに、関わらないって選択を選べない。
「和生くんの夢を、もう一回聞かせてもらってもいい?」
「……夢?」
「言っておくけど、盗聴器は使っていなから」
「聞いてたんですか!」
「堂々と和生くんの入居日に、香耶乃さんとの会話を立ち聞きさせてもらいました」
香耶乃さんに向けた、例の決意を本人に聞かれていたという事実を知る。
穴があったら入りたいくらいの気持ちもあるのに、俺が森村荘に来たときのことを笹田さんが知っていてくれたことにありがたさのような感情が沸き上がってくる。
「言いたくないです……」
「言って」
普段なら立ち聞きしないでくださいって怒っているようなところも、今は笹田さんの優しさに甘えたい気分だった。
それでも、見返したいと思っている相手を目の前に、自分の再び語るのは恥ずかしくて仕方がない。




