第2話「過去があるから今があるのに、未来は見えないとか辛すぎる」
「絶っ対に見返して……」
「ううん、もう少し前」
「もう少し?」
俺と笹田さんが森村荘に入居した日は、確かに同じ日だった。
運命の再会とか勝手に思い込んでいたけど、見た目が少し変わったくらいで笹田さんは俺に気づいてもくれなかった。
「大好きで大好きで大好きすぎた某女性声優さんを、の前?」
「そんな細かいところまで立ち聞きしてたんですか!」
「はい、どうぞ」
俺に尋ねるまでもなく、笹田さんは俺が森村荘に入居した日の出来事をちゃんと記憶している。
一言一句忘れることなく、笹田さんの記憶に俺の宣誓は刻まれてしまっている。
それなのに、どうしてもう一度、笹田結奈さんを目の前に目標を語らなければいけないのか。
「本田坂くんが本当に、心の底から大好きなものは何?」
笹田結奈を前に、言葉を詰まらせる。
そして、俺の記憶は過去へと戻っていく。
『和生ー、進路相談どうだった?』
『んー、また声優になんかなれないって言われて、どうしようかなってー思ってたところ』
これは、いつの頃の記憶だったっけ?
笹田さんに尋ねられているのは森村荘に入居した頃の記憶のはずなのに、自分の記憶はもっと遥か遠くに遡っていく。
『でも、どうしようって言っておいて、諦めるつもりはないんでしょ?』
『ないっ!』
『だったら、どうして落ち込んで……』
『諦めるつもりはないんだけど、ちょっと寂しくなってくるっていうかさー』
笹田結奈に気持ち悪いと告げられ、絶対に彼女を見返すという夢が生まれた。
両親は理解がありすぎて、声優になりたいという夢を反対することは一切なかった。
なかったからこそ、あ、自分の人生は自分のものなんだって気を引き締めるきっかけにもなった。
『こんなに自分の夢を否定されまくると、自分の生き方って言うの? あー……自分の存在って言うのかな。なんか、自分を否定されている気分になってくるっていうか……』
声優になりたいって言ったときに、おまえになんか無理だって言ってくれる方が親切だとは思う。
声優で食べていくことができない人たちが多いって言われている世界だから、早いうちに見切りをつけて諦めてしまうように勧めるのが人の心ってやつだとは思う。
『お母さんが適当に応援してあげようか?』
みんながみんな俺のことを心配してくれるからこそ、夢の否定へと繋がっていく。
食べていけるか分からない道を張り切って勧めてくる人なんて、頭が狂ってくる以外の何者でもない。
『笹田結奈……さん? だったかに復讐するんじゃなかったの?』
『……うん』
本当に……頭が狂っている以外の何者でも人生を歩んできた。
声優に恋をして、勝手に傷つけられて、勝手に彼女を見返してやるって意気込んで……。
『見返せる……かな……』
笹田結奈さんが出演した数々のアニメ。笹田結奈さんが出演した数々のゲーム。
それらは笹田結奈さんきっかけで触れた作品たちではあったけれど、その数々の作品に魅了されてきたからこそ、俺はオタク人生を歩むことができた。
『笹田結奈さん……凄い人なんだよなー……』
笹田結奈さんに恋をしただけでは、オタク人生を続けることはできなかった。
そもそも、オタク人生があったからこそ笹田結奈さんに出会うことができた。
俺の中にオタク心がなかったら、笹田結奈さんに恋をするって展開を迎えることはなかった。
『母さん』
オタク人生がなければ、笹田結奈に傷つけられることもなかったのに。
そんな発想もできてしまう。
そんな恨み言を抱く人生もありだけど、俺は大好きになった数々の作品を嫌いになりたくなかった。
『養成所に合格したら、家を出る』
初めて、だった。
平凡過ぎた毎日の中に楽しさとか、喜びとか、怒りとか、苦しみとか、笑いとか。
そういう感情豊かな日々を送ることができて、すっげー幸せだなって思った。
怒りとか苦しみが幸せに繋がるわけがないって思っていたけど、作品を批判するのもされるのも俺のオタク人生の一部だったから。
だから、俺の中に生まれた全部の感情を幸せって括りでまとめていいって思っている。
『やっぱり俺、声優を目指す』
みんながみんな、声優になんてなれるわけがないって言った。
だから、自分だけは自分の夢を応援しようって決めた。
「大好きだった……物凄く大好きだった……」
その人が夢を叶えられるかどうかなんて分からないのに、絶対に夢は叶うと背中を押す。
俺を傷つけた笹田結奈を見返してやるって気持ちから始まった俺の夢に、勇気を与えてみることにした。俺の夢は、俺が支えてやらなきゃって思った。
「大好きで大好きで大好きすぎた某女性声優さんを…………絶っ対に見返してやります!」
俺の中の大好きを守りにいくために、俺は声優を目指したってことを思い出す。
「その夢は叶えられた?」
「……できていないです」
笹田結奈さんの仕事量を超えて、収入も超えて、笹田結奈さんを振り向かせて見せるっていう気持ちは消えていない。
確かな強い気持ちは存在しているのに、現実を理想通りに運ぶことはできていない。
「……森村荘に来て……大切なものが増えて……」
夢を夢で終わらせるんじゃなくて、現実のものにしたい。
自分だけの夢を、これが自分の職業ですって誇れるようになりたい。
「大好きなものも大好きな人たちも大好きな作品も増えて増えて増えて……見返す対象が多くなりすぎて……」
自分が出演することができなかった数々の作品たち。
自分が一緒に仕事することができなかった数々の人たち。
声優の本田坂和生が関わらなくて良かったとも言えるかもしれない。
でも、声優の本田坂和生が関わらなかったことを後悔させてみたい。
あのとき俺を起用しなくて後悔してしまうくらい、俺は声優業界で活躍したい。
「和生くんの人生は、とても楽しくなりそうね」
褒められた目標ではないのに、笹田さんはご自身の名前と同じく楽しそうに笑ってくれた。
「見返す対象が多いって、燃える展開ですよね」
自分がこう返しても、笹田さんはやっぱり楽しそうに笑ってくれる。
「和生くんは、頑張ったよ」
「俺なんて、まだまだ……」
「自分の夢を傷つけないように、和生くんはとても頑張ったよ」
自分の夢を実現できるように、自分は夢に対してほんの少しの力を添えてあげることができただろうか?
「夢を叶えるために、ずっと頑張ってきたでしょ?」
そんなことないですって否定しかけた口を閉じる。
作り笑いではない表情を笹田さんに向けて、俺はもう大丈夫です意志を伝える。
「和生くんは甘い物、大丈夫?」
「甘い物……?」
突然、脈絡のない質問を振られる。
「大丈夫、ですけど……」
完全に止まってしまっていた箸を進めるように促され、俺は一人で居間に残される。
笹田さんと一緒に朝食を食べることができて良かったなって思うからこそ、誰か傍にいてほしいなんて思ってしまう。やっぱり人は欲張りで、わがままな生き物だ。
「初の主人公役、おめでとう」
笹田さんがいない独りきりの空間なのだから、思いっきり感傷的になってやろうと思っていたところに来客は訪れた。
「森村荘住人一同よりプレゼント」
和食で揃えられていたテーブルに、どう頑張ってもその世界に入り込むことができないような違和感ある物が追加される。
「ホールのケーキ」
「あの……」
笹田さんに説明されるまでもなく、目の前にホールケーキが用意されたのは分かっている。
視界が正常な限り、そんなことは分かりきったことなのに口から言葉が何も出てこない。
「差し入れにいただくことができたらテンションが上がる、例の高級店からの逸品」
ケーキが入れられていた箱を見れば、店名だって目に入る。
どこが有名なケーキ店とかっていうのは世間の流行は分からなくても、ここの店名だけは自分も知っている。
それでも、喉の辺りで何かが引っかかっているかのような違和感が消えない。




