第7話「夢を叶えるために、かっこつけてる余裕はない」
「私、兄に負けるつもりはありませんからっ!」
やっと顔を見せてくれた汐桜ちゃんは、今度は人気声優水越汐桜と言わんばかりの笑顔で俺を魅了してくる。
「あ、そういえば……」
「どうかしましたか?」
お兄さんの去り際に、何か小さなプラスチックのような物を渡されたことを思い出す。
「これが何か、汐桜ちゃんは心当たりある?」
握り拳を開放して、お兄さんに手渡された物を汐桜ちゃんと一緒に確認をする。
ようやく俺は、手渡された何かを落とさないようにしなきゃいけないという使命から解放される。
「SDカード?」
手の感覚で、なんとなくの想像はできていた。
だけど、このSDカードの中に何が収められているのかというところまでは想像すらすることができない。
「汐桜ちゃん?」
「あ……っ……!」
汐桜ちゃんは突然、俺の手のひらに置かれていたSDカードを取り上げた。
「汐桜ちゃん?」
そして汐桜ちゃんは、思いっきり俺から目線を逸らした。
「汐桜ちゃん? 大丈夫?」
「えっと……えっとですね……見られたくない写真が、これでもか~ってくらい詰め込まれてます……」
汐桜ちゃんの声は返ってくるものの、汐桜ちゃんは一向に俺の方を見てくれない。
流れる川と会話している汐桜ちゃんは、まるで見えない存在と会話しているかのよう。
「そろそろ体が冷えてくるから、家に戻ろうか」
「……かっこ良すぎませんか?」
かっこいいっていう、自分には縁遠いような言葉か聞こえてきた。
普段なら自分の耳を疑ってしまいたくなるはずなのに、汐桜ちゃんの声で表現された『かっこいい』という言葉は耳に心地よく響いてしまっている。
「えっと、汐桜ちゃん……?」
空と会話しているのか、河川と会話しているのか、見えない何かと会話しているかのような態度を取っていた汐桜ちゃんが、突然俺の方を振り向いた。
「和生さん、一体どこの王子様ですか?」
「は?」
汐桜ちゃんが振り返ると同時に、たいして気に留めていなかった夕陽の色が気になり始めた。
「どこのラノベ主人公ですか? あ、いや、どこの乙女ゲーム攻略キャラクターですか?」
夕陽の橙色が、水越汐桜ちゃんという女の子を鮮やかにまとっていた。
まるでドラマや映画に出てくるような光景の美しさに目を奪われた俺は、汐桜ちゃんが放つ意味不明な言葉に反論する術を失ってしまった。
「あー、もう、これだから優しすぎる人は嫌いです」
嫌い。
これが普段だったら、これがいつもの日常だったら、心に突き刺さるような冷たい言葉のはずなのに。
今に限っては、それがない。
「優しすぎる和生さんが悪いです」
嫌いとか、悪いっていう言葉が聞こえてくるのに、それらの言葉が温かみで溢れているのは水越汐桜ちゃんの声のおかげかもしれない。
「SDカードの中身、尋ねてくれてもいいんですよ?」
「いや、でも、汐桜ちゃんが嫌がっていたみたいだから……」
「空気を呼んでくれる人、大好きです」
散歩している人たちが視界に入るけれど、誰もが俺たちに視線を向けることなく歩いていく。
俺たちを見ないフリしてくれているのかもしれないし、本当に関心がないのかもしれない。
「私の黒歴史を取り返してくれて、ありがとうございました」
「家族写真か何か?」
「って、詮索しない約束では……」
「しないよ、しない」
どっちにしたって、世界は、あまりにも無関心。
俺たちに気を留める人がいないおかげで、ほんの少し恥ずかしさって感情が和らいでいく気がする。
「普通の人なら、もっと踏み込んでくると思いますよ……?」
顔を上げた汐桜ちゃんと向き合うことで、ちょっと久しぶりに見た彼女の大きな瞳が凄く印象に残った。
「SDカードの中身を教えたくなかったら、体で対価を払ってくれてもいいよとか!」
「それ、どこの、なんの作品……ははっ」
「SDカードの中身をばらされたくなかったら、体で支払えとか!」
「俺、中身は知らないって……はははっ」
水越汐桜ちゃんは、プロたちが集う本物の環境で一緒に仕事をさせてもらったことのある女の子。
プロとして活躍している水越汐桜が、簡単に信頼を裏切るとは思えない。
俺が尊敬している同業者の人たちは努力で水を流すわけがないから、俺は汐桜ちゃんを脅すなんて展開を招くわけにはいかない。
「俺は先輩のバーターに付かせてもらうばかりの声優人生だったけど、汐桜ちゃんは努力でいろんなものを勝ち取ってきた人で……凄くかっこいいって思ってた」」
言葉を使って、人に気持ちを伝えるって難しすぎる。
この世界は、よく対人関係が成り立っているなーって感心してしまう。本当に。
「汐桜ちゃんは他事務所の人だったけど……でも俺は、実力を兼ね備えた水越汐桜さんと仕事ができて嬉しかった」
汐桜ちゃんの努力している裏の姿なんて見たこともないけれど、彼女の活躍は毎日のように耳にしている。
そして何より、たった数回程度しか共演していない俺のことを彼女は覚えてくれていた。
それって、凄く嬉しいことだった。
それと同時に、そういう姿勢を見習わなきゃいけないって思った。
「そんなに褒められたら、私は悪さができなくなっちゃいますね」
「俺も声優業界で生き残りたいから、脅したりなんかしないよ」
他事務所の、デビュー時期が近い女の子。
そんな彼女に追いつくには、どれだけの努力と縁と運が必要なのか。
そんな彼女を追い越すには、どれだけの努力と縁と運が必要なのか。
「和生さんはプロの現場でも、普段も誠実な方なんですね」
「……誠実?」
汐桜ちゃんの口から想像もしていなかった言葉が飛び出してきてしまったから、俺は思わずオウムのように言葉を二度繰り返してしまった。
「はいっ! 新人声優さんの中では、ダントツに気を遣う方だなーって印象でしたよ」
言葉なんてものは、いくらでも飾り付けることができる。
「未だに学生気分で仕事をされている方がいる中、和生さんの振る舞いはとても紳士的だと思いましたよ」
素直に、嬉しいと思ってしまう。
自分が精神的に弱っているからって言うのもあるんだろうけど、そんな自分にだからこそ汐桜ちゃんの言葉が薬のように体全体に癒しの効果を発揮していく。お世辞だろうと嘘だろうと、この際なんでもいい。
(優しい言葉って、人を救うことができるんだよな……)
声優として、人の心を救ってみたい。
声の芝居を通して、誰かの心の支えになってみたい。
「和生さん、私を助けてくれて、本当にありがとうございました」
ちょっと強引でしたねと付け加えてくるけど、汐桜ちゃんは自然な笑みを浮かべてくれた。
作り込んだ笑顔ではないところが、俺に安心感をもたらしてくれる。
「助けてもらったお礼をしないといけませんね」
「お礼なんて別に……」
助けたお礼を要求するつもりなんてなかった。
だけど、このタイミングで俺は、あることを思い出す。
「汐桜ちゃんに、頼みがある!」
「喜んで、お答えしますよ」
俺なりの、希望ある人生を歩んでいけるように。
今度こそ、事務所の期待に応えることのできる声優になれるように。
「声優でいるためのきっかけを、俺に与えてほしい!」
俺はかっこつけることをやめて、同居人の力を借りることを選んだ。




