第5話「俺は真っ当にラブコメなんてできないと思う」
「私、役者としてもっと成長したいの! どんな役も、どんな作品も演じ切りたい……経験豊富になりたくて……」
ラブコメ以外の、純愛物語を指しているってことはなんとなく分かった。
それだけ笹田さんの訴えが素晴らしすぎるってことなんだろうけど、複雑。
俺の心は、複雑な気持ちで埋め尽くされていく。
「和生くんへのお願いは……私が自分で決めて……」
世の中に存在する物語の中には、人を好きになるってどういうことなのか教えてほしい的なところから始まるものもある気がする。
むしろ、どこかで確実に読んだことがあるような気がするから、無性に恥ずかしくなってくる。
その自覚があるって言うのに、尚も俺への頼み事をやめない彼女をどう説得すればいいのか分からない。
「男の人と……お付き合いしたことがなくて……」
「別に、芝居には影響しないと思いますよ……」
「な……ない経験を買うわけにはいかなくて……」
「それはやめてください! 経験を金で買うことだけはやめてください!」
俺が大きな声を上げたせいで、笹田さんは自身の顔を覆っていた両手を外して肩をびくっとさせてしまった。でも、驚かせてしまった甲斐もあって、笹田さんはやっと俺の方を見てくれた。
「関係者各位に相談することもできなくて……」
「笹田さんに、そういう発想があってほっとしてます」
笹田さんの仕事関係者に、こんなとんでもないことを相談するつもりだったのか。
彼女が思い留まってくれて良かったと素直に安堵し、そっと息を吐き出した。
「森村荘に住んでいる人なら……絶対に秘密厳守してくれると思って……」
「……まあ、うん、多分、少なくともスキャンダル沙汰にはならないでしょうね」
何もやましいお願いを託されているわけでもないのに、心臓の音がどくんどくんとうるさく聞こえてしまう。
芝居の練習に後ろめたさなんて必要ないのに、俺だけが頭を抱えている状況からなんとか解放されたい。
「蓮さんは売れっ子過ぎて、巻き込むわけにいかなくて……」
「うん、正しい判断だとでしょうね」
「大翔くんには……くだらないって一喝されそうで……」
「それも正解だと思います」
「湊馬くんは……存在そのものが怖くて……」
「ああ……」
つまりは先輩の男性声優や後輩の男性声優に、そんな初々しい笹田さんの願いを託すつもりだったらしい。
「唯一、十八禁の作品に出演している密さんは人気アイドルゲームに出演されているから……ファンの方に申し訳なさすぎて……」
「それで一番売れてない俺のところに来たってことですか!」
「ごめんなさい……」
俺が選ばれたからくりが消去法だと分かったところで、はいそうですかと返事できるわけがない。
かといって笹田さんが求めている、《《ない経験》》を金で買わせるわけにもいかない。
笹田さんの周囲の人たちに相談できる内容でもないことも分かっている。
「……どうしましょうか」
「お願い! どうしようかって悩む次元の話ではなくて、ここはもう私を押し倒す勢いで……」
「その口、閉じてください」
「はい……」
笹田結奈。
アイドル業界を舞台にしたゲームアプリにも出演していて、定期的にライブイベントにも出演している。アニメやラジオのレギュラーだってかなり抱えている。
俺みたいな新人声優なんかとは、人気も知名度も比較にならないほど凄い先輩声優。
「今から彼氏を探す暇があったら、台本を読みたいの……!」
ここで俺がどんな言葉を返しても、笹田さんは人をからかうような性格をしていない。
何も心配することはないはずなのに、頼みごとの内容が内容なだけに、何が正解なのかと探してしまう自分がいた。
「声のお芝居、もっともっと上手くなりたいから」
個人名義で音楽活動をしているわけではない。
わけではないけれど、こんなにも外見が可愛くて声まで可愛い彼女には大勢のファンがいるだろう。
どんなにネット上で炎上したとしても、笹田結奈が可愛いってことに変わりはないのだから。
「手を出して……俺……殺されませんか……」
「手を出すって言っても、恋人ごっこがしたいわけじゃないの」
「似たようなものだと思います」
「何をやるにしても、私は炎上しちゃってる身。殺される心配はないと思う」
本来なら心に閉じ込めておかなければいけなかった言葉が、口からポロっと零れてきた。
「私は、一人で声優業界を戦い抜かなきゃいけない身なの」
たとえで、目が輝いているようだなんて表現を使うときがある。
でも、笹田さんの瞳は本当に希望に満ち溢れているかのように輝きを放ち始めた気がする。
話題にしているのは炎上騒ぎの話なのに、笹田さんには一人で生き抜く覚悟があるから怖くなる。
「で……俺に何をしろと?」
さすがの笹田さんでも、そうそう激しい要求はしてこないと踏んだ。
いくらない経験を求めているとは言っても、最後まで致すような事態にはならないと思っている。
そこまで笹田さんは馬鹿ではないだろうし、自分が売れっ子声優だという自覚ももちろんあるはず。
「心臓を触ってもらえる?」
やっぱり、笹田さんは人としての感覚がずれているのかもしれない。




