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黒歴史を背負った新人声優だってハッピーエンドを迎えたいっ  作者: 海坂依里
第2章「これが定番のラブコメ的展開だけど、それを受け入れられないのが新人声優」
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第6話「王道ラブコメのような展開なのに、素直に喜べないし楽しくもない!」

「いやいやいや、ここは台本の読み合わせに付き合うとか、そういう流れに……」

「許可を得る前に読み合わせをしたら、守秘義務の関係で私が和生くんの事務所に怒られるでしょ!」


 台本を読むことと、笹田さんの体に直接触れること。

 どっちの方が罪深いのかと考えれば……。


「心臓に触れられたときの、ヒロインの気持ちが分からなくて……」


 この人は、さっきからなんて発言を繰り出してくるのだろう。

 俺の思い込みでも笹田さんを高く評価し過ぎているわけでもなく、笹田結奈は間違いなく誰もが認める人気声優。


「私は健康体だから、余命もののリアルさを感じてみたいの」


 笹田さんが言った通り、余命ものの作品で心臓に触れ合うって流れはなんとなく理解できる。

 でも、健康な人の心臓に触れてもいいんですかって躊躇いは、どうしても生まれてきてしまう。


「ということで、お願い」


 両手を広げて、俺を迎える気満々の彼女。

 その表情はかなり真剣なもので、その真剣な眼差しは仕事のときに見たかったよ!

 なんてことを心の中でツッコんでみる。


「あの……」

「あ、心臓の場所分かる? 左右反対だと、よく分からなくなるから……」


 だ・か・ら!

 そういう物語に出てこなさそうで、出てきそうなリアルぎりぎりを攻めた発言は慎みなさいと言いたい。

 それなのに、彼女がいちいち真面目だからツッコミたいこともツッコめない。

 もう、笹田さんの扱いをどうしたらいいのか誰か教えてほしい。


「ここ……かな……」


 自分の右腕を持ちあげられる。

 俺の右腕に、そっと触れてきたのはもちろん笹田さん以外にはいないわけで……。


「……っ!」

「ごめんなさい……心音、多分、凄いことになってると思うけど……」


 笹田さんが謝る必要がどこにある。

 それこそまた笹田さんの発言にツッコミを入れたいところだけど、今の俺はそんな状況ではない。


「あの……えっと……分かる……?」


 笹田さんは遠慮がちに、声も控えめにそんなことを言ってくる。

 彼女に誘導された右腕は、もちろん笹田さんの心臓へと辿り着いた。


「…………ぅぅ」


 恥ずかしくて堪らないのは笹田さんの方で、再び顔が火照り出した笹田さんは視線をどこかへとさ迷わせる。

 だけど、どうぞ自分の心臓を好きなだけ触ってくださいと言わんばかりに笹田さんは俺の右手を開放してはくれない。


(…………心音、凄っ……)


 ごくごくありふれた感想だと思う。

 でも、初めて触れた他人の心臓の音の速さに驚かされた。


「ここ、かな……」


 笹田さんに導かれるまま、服の上から彼女の心臓に触れる。

 笹田さんが死ぬなんて展開にはならないはずなのに、こっちの心臓が痛みを訴えているような気がする。

 彼女の心臓の音に触れるってだけで、なんだか切ない気持ちに駆られてしまう。


「好きな人に、心臓を触ってもらうって……こんな感じなんだ」


 その、笹田さんの声で奏でられる言葉がセリフっぽい。

 おかげで、もうすぐ笹田さんが死んじゃうんじゃないかって疑似的な体験ができている。

 ぶっちゃけ、笹田さんだけじゃなくて、俺も物凄く貴重な経験をさせてもらっているんじゃないかと思えてくる。


(なんで先輩声優の心臓に触らないといけないんだよ!)


 目の前で顔を赤らめる笹田さんが、本当に死んでしまうんじゃないかって感覚に泣きたくなる。

 芝居が上手くなるための偽の恋人ごっこで、ここまで感情を煽られるとか結構やばい。


「和生くんっ……」


 ここで主人公は、ヒロインに名前を呼ばれる。

 そして、思考は現実へと引き戻される。

 これが物語だったら、そんな展開になる。

 でも、そんな物語の世界みたいな出来事を、俺と笹田さんは体験した。

 これが、嘘の恋人ごっこ。

 これが、人を好きになるって感覚……感覚……感覚……感覚?


「ごめんなさいっ! 俺、いつまで触って……」

「っぁ……はぁ、大丈夫……ありがとう……」


 さすがに、長時間に及んで笹田さんの心臓を触り続けたかもしれない。

 いくら彼女から許可を得て彼女の心臓に触れていたとはいえ、限度の時間というものはあるに決まっている。


「すみません! 本当に申し訳ございません!」


 心臓を触られている笹田(ささだ)さんのことを、まったく気遣うことができていなかったことに気づいて全力で謝罪をする。


「全力で謝罪します! 本当にごめんなさい!」


 彼女がどんな表情をしていたかとか、彼女が凄く嫌がっていなかったかとか、そういう配慮が一切できないまま、初めての恋人ごっこに溺れてしまった。


「……かな……」

「え?」

「あの……」


 目の前にいるはすなのに、笹田さんの声が小さくて何を言っているか聞き取れない。


「やっぱり、健康体の人がやるものではないのかも」

「…………ですね」


 ゲームの主人公はヒロインに好意を抱き始めている場面の練習のため、俺はなんとなく主人公の気持ちを体験することができた。

 けど、笹田さんにとっては好きでもない男から心臓を触られたようなもの。

 この後、警察に突き出されてしまうという展開が待っていても可笑しくはない。


「あの……」

「だから俺、役に立たないって……」


 彼女の同意があったようでなかったような行為に俺は及んでしまった。

 さようなら、こんなところで俺の声優人生は終わってしまう。


「あの……でも……緊張はしたよ……?」


 頬に両手を押し当てて、俺と視線を交えることができなくなっている笹田さんが目の前にいた。

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