第4話「先輩声優に翻弄されてばかりはいられないのに」
「あ、あっ……あっ」
「痛かったら、言ってくださいねー」
「が、頑張りたい……の、っん、ぁ……」
「こっちも、無理にはしたくないんですけど」
「や……やめないでっ、……はあっ……ぁ」
ここに突然、人が入ってきたらどうしようなんてことを思う。
どうしようも何も、別に見られて警告されるようなことはしていないけれど。
「和生くん……和生くん……和生くん……」
それでも、そんないかがわしい発想をしてしまうくらい彼女の声は強烈だった。
森村荘に初めて足を踏み入れた人の誤解を招きそうな笹田さんの声には、職人質的なものを感じる。
「……懐かしいな……ふぅ」
満足いくまでストレッチをこなした笹田さんは呼吸を落ち着かせるために、何度か深呼吸を繰り返した。
「養成所のレッスン」
「ああ、ストレッチのことですか?」
「二人で組んでとか、すっごく懐かしい」
「俺は現役ですけどね」
今度は俺が体を解す側になって、ストレッチを開始する。
養成所のレッスンにストレッチは組み込まれておらず、講師の先生が到着するまでの間に済ませておくものだとお叱りを受けたことは今でも記憶に新しい。
でも、いずれは、その叱ってくれる人から、養成所生たちは卒業する。
卒業しなければいけないことに、焦りを感じる。
「あの……今日は、宜しくお願いします」
「ふふっ、スタジオに着いてからでもいいのに。真面目ね、和生くんは」
「なんか、今、言いたくなったので……」
森村荘の中にいるっていうのに、ありのままの自分で接してくる彼女は本気で凄い。
俺は笹田さんと暮らし始めてから、何度彼女に凄いという感情を抱いていることか。
「和生くん」
笹田さんがいなくてもストレッチを難なくこなせるだけあって、俺のストレッチはあっという間に終わった。
「どうかしましたか?」
「あ、えっと……」
何かを言い辛そうにしているように見えたけど、笹田さんの性格上そんな姿はほとんど見かけない。
言いたいことがあったら、とことん話しかけてくる。
屈託のない笑みと人懐っこさが特徴的な笹田さんが突如、口籠り始めた。
「らしくないですね。どうかしました?」
「あ……そんな、たいしたお願いではないんだけど……」
これから笹田さんから、お願いごとをされるということだけは分かった。
でも、こんなに躊躇ってしまわれては、これから何を尋ねられるのか変に心臓がドキドキと音を加速させていく。
「えっと、ね」
「はい」
人と話すときに、こんなにも長い間が生まれるのは笹田結奈さんのサイン会以来なのではないかと思う。
あのときは伝えたいはずの言葉がまったく出てこなくて、笹田結奈さんをかなり長い時間待たせてしまったかもしれない。
そんな俺を見かねて、笹田結奈さんは俺に積極的に話しかけてくれたけど……。
「引かないで……ね……?」
俺はこれから、何を言われるのか。
目の前にいる笹田さんが目線を泳がせている様子が本気で可愛くて、なかなか自分の心臓音を抑えることができない。
「……私に」
「私に?」
笹田さんの視線が、俺に向く。
まるでギャルゲーに出てくる告白シーンに出くわしているかのようで、これまた自分の心臓音を加速させるには十分な材料が揃い始めていて……。
「……私に、恋する気持ちを教えてっ!」
前言撤回。
ギャルゲーに出てくる告白シーンどころか、言葉を拾うだけならどんなジャンルにも起用できそうな名台詞が鈴音さん所有のスタジオ中に響き渡った。
「………………あー……えっと……?」
「和生くん……私に、人を好きになるって気持ちを教えてください……」
目の前にいる笹田さんは目を潤ませ始めていて、なんで泣きたくなっているのか訳が分からない。
意味不明なことを投げかけられて、泣きたい想いをしているのはこっちの方だ。
「…………えっと?」
「だから、私に、人を好きになるって気持ちを……」
笹田さんが突拍子もないことを言ってくることがあるのは知っている。
彼女が、そういう性格だということはよーく分かっている。
森村荘に数か月も一緒に住んでいれば、彼女の性格の一つや二つ理解できて当然……当然……当然……じゃない……のかもしれない。
「ダメ……?」
瞳を潤ませて見上げてくる彼女は、どこのギャルゲーに出てくるヒロインだ。
いや、なんかむしろ昨日プレイした『ひま咲か』にこんなシーンなかったっけ? あったっけ? と問いかけしまうほど、マンガやゲームの二次元作品の中ではお決まりの展開のような気がする。
「やっぱり……私には、人を好きになる気持ちが欠けていると思うの……」
俺が話しかけようとすると、これまたどっかのマンガやらゲームにでてきそうな言葉が彼女の可愛らしすぎる声で語られる。
「えっと……これは笹田さんが出演する作品の練習相手か何か……ですか?」
「違う。これは、私からの真摯なお願い」
そういって笹田さんは、やっぱり自分の発言の可笑しさに気づいているせいか顔が真っ赤に染まり過ぎていた。
人間こんなに顔を赤らめる機会があるんだって驚いてしまうところもあったけど、彼女の辱めをなんとかしてあげなければという元ファン心のようなものが働きだす。
「少し落ち着きましょうか」
「こう見えて……落ち着いてるけど……」
高まる熱に耐えきれなくなったのか、笹田さんは自分の顔を両手で覆った。
笹田さんの顔が見えなくなると思ったけど、細い指の隙間からチラチラと俺の様子を窺ってくるものだから益々困る。




