【大きすぎる贈り物】
この国の王太子が、つまり次期国王が自分に向かって頭を下げているという事実を受け止められない。
リゼットが言ってもアンリは頭を下げたまま動こうとしない。ウィリアムからも何か言ってくれと目で合図をすると、軍神は軽く肩をすくめた。
「しばらくこのままでいいのではないか?」
「ウィリアム様! 王太子殿下は私を守ろうと動いてくださっていたと、もうおわかりでしょう?」
「考えがそうであっても、実際やったのは君を危険に晒す行為だ。到底許せることではない」
「も~~~! 私が許します! 謝罪を受け入れますから、殿下はどうか頭をお上げください!」
「感謝する」
あっさりと頭を上げた王太子は笑顔だった。さきほどの真摯な謝罪は何だったのか。
それでこそアンリだとほっとするが、やはり痛々しい右頬のせいで複雑な気持ちになった。
ウィリアムには「優しさを越えて甘すぎるぞ」と言われたが、心の安寧のためにもどうかこれ以上王太子を責めるのはやめてもらいたい。
「子爵の言葉ももっともだ。謝罪の言葉だけでは足りないだろう。リゼット嬢には詫びに何か贈りたい。希望があれば王太子としての権限を最大限用いて用意しよう」
「いえ! そういう仰々しいものはちょっと……お気持ちだけで十分です!」
高位の人間は簡単に高価な贈り物をすることは、ロンダリエの面々のおかげですでに学んでいる。
王太子からの高価な贈り物など、恐ろしすぎてとてもではないが受け取れない。謹んで辞退させてもらおう。
「まぁ、リゼット嬢ならそう言うだろうことは予想がついていた。なので私が君に今後必要になるだろうものを用意してある。もちろん、それ以外に何か思いついたときには言ってくれ。……ああ、ちょうど到着したようだ」
入室を求める知らせに王太子が許可を出すと、ひとりの貴族がひどく疲れた顔で現れた。
それはリゼットの父親、フェロー子爵だった。
「お父様!?」
「リゼット……」
久しぶりの親子の対面だったが、熱い抱擁を交わすような仲ではない。
父はリゼットを見てどこか安心したように肩の力を抜いた。王太子に席を勧められたが「いえ、私はここで」と恐縮している。
父は、こんなにも頼りなげだっただろうか。
以前はもっと厳しく冷たい雰囲気で、リゼットの目には大きく映ったものだ。
しかしやつれた様子で居心地悪そうに身を縮めている目の前の父は、とても小さく見えた。
「フェロー子爵。書類は用意できたか?」
「はい。こちらに……」
王太子は子爵から書類を受け取り目を通すと、侍従がサッと差し出したペンと印章で処理をした。
一体何の書類なのだろう。
手元をちらちらと見ていると、王太子は見えやすいよう書類をリゼットに向け広げてくれた。
「子爵と夫人の離縁状だ。この瞬間、子爵の離婚は正式に受理された。よって、あのジェシカという娘はリゼットとは一切関係のない赤の他人となる」
ハッとしてリゼットは父を見た。
粛々と王太子の沙汰を聞いている父の顔は固く、何を考えているのかはわからない。
「お父様は……本当にそれでよろしいのですか?」
父の気持ちがわからないから、心配だった。
本心を聞きたい。だが父は俯いたまま、リゼットのほうを見ようとはしない。
「ジェシカはそれだけのことをしでかした。処分の前にこのように離縁を促してくださったのは、王太子殿下のご温情だ」
ルマニフィカ貴族として理解を示し、王太子にも感謝をしている。
だが、心から納得しているというわけではないのだろう。貴族としての模範解答に聞こえた。
「私の温情? 誤解をしてもらっては困る。これは温情ではない。リゼット嬢の縁者が犯罪者となれば、彼女を支援しているスカーレット元王女や、私の妹への非難に繋がる恐れがあるからだ。特にレオンティーヌはヘルツデンの王太子との婚約が決まったばかり。事を荒立てられては王家も困るのだ」
「おっしゃる通りです……。大変申し訳ありません」
「……だというのに、大叔母上もレオンティーヌも、リゼット嬢は手放さないと言う。困ったものだ」
王太子のため息に、リゼットは目を瞬かせた。
「おふたりが、私を……?」
リゼットの家族が起こした不祥事で、ふたりには多大な迷惑をかけたというのに。
それでもスカーレットとレオンティーヌは、リゼットに手を伸ばしてくれるというのか。
「フェロー子爵は娘の人徳に感謝するのだな」
「リゼット……すまなかった。ありがとう」
「お父様……。いいえ。お辛い決断だったことと思います。こちらこそ感謝いたします」
きっと、父は父なりに、継母を愛していたのだろう。
リゼットはそう思い口にしたのだが、隣のウィリアムにため息をつかれてしまった。
「そこでリゼットが感謝してどうする」
「ですが、私もフェロー家の一員です。私にだって本当は家族の責任が……」
「あるわけがない。君は被害者だぞ」
「その通りだな。私が言うのも何だが、優しい人間はつけこまれやすい。お人よしも行き過ぎると、周りをダメにするのではないか?」
王太子の言葉にハッとさせられる。
自分の選択が周りに悪影響を及ぼすなど、考えてもみなかった。
「私が、周りをダメに……」
ジェシカが人の道を外れてしまったように、これからもリゼットが他者をゆるし受け入れすぎると、また誰かを不幸にするかもしれないということか。
罪を犯したジェシカのことだけではない。今回はスカーレットをはじめとしたハロウズ伯爵邸の人々や、ヘンリーや王女宮の人々も、一歩間違えれば大変なことになっていたかもしれないのだ。
これまで『私は大丈夫』と、ずっと自分に言い聞かせて生きてきた。そうしないと、前を向いてはいられなかったから。
だが、自分は大丈夫だからと我慢をしすぎて、痛みに鈍くなっていたのかもしれない。
「それをリゼット嬢の責任だとは言わないが、もう少しそなたは自分を大事にすべきだろうな」
「おふたりのおっしゃる通りです。私は、姉や継母を、ふたりを放任していた父を、ゆるしてはいけなかったのですね……」
「ゆるすゆるさないの前に、リゼットはもっと怒るべきだ」
私は怒っている、と腕を組み父を威圧するウィリアム。
父は消え入りそうな声で「本当に、申し訳ない」と深く深く頭を下げた。
そのまま頭を上げることなく固まってしまった父の姿に、リゼットは複雑な気持ちになる。
言いたいことはたくさんあった。
どうして継母たちを諫めてくれなかったのか。なぜもっと真剣にジェシカを止めてくれなかったのか。
そこには確かに怒りのような感情も含まれていた。
ただ、怒りは短い蝋燭の火のように、長く燃え続けることが出来ないらしい。あとに残るのは、なぜ、どうしてという疑問の形をしたやりきれなさばかりだった。
「怒るって、難しいのですね……。私には練習が必要みたいです」
「……怒る練習?」
「はは。そんなおかしなことを言うのは、この世でリゼット嬢だけだろうな」
どこか小ばかにするように言われ、リゼットはムッとする。
いままさに小さな怒りを覚えた。
「私だってたまには、ひどい! と怒ることはあるのですよ? でも、何というか……」
「……ああ、そうか。リゼットは、憎むことが出来ないのか」




