【怪我と謝罪】
「では、私はこれから陛下にご報告に向かう。そのあと軍に戻らなければならない。恐らく事後処理は夜通し続く。その間……」
「わかってる。今度こそリゼット嬢をお守りしよう。銃弾の雨を降らされちゃたまらないからな」
「私もフェロー先生を一晩中見張っております。絶対にどこにも行かせませんからご安心なさって」
「レオンティーヌ様……」
逃がさないとばかりに王女に腕をがっしり掴まれ、リゼットは弱ってしまう。
どこにも行くつもりはないし、さすがに今日はくたくたで、いますぐ倒れたいほどなのだ。
ウィリアムはそんなリゼットに気づいたようで、小さく笑うと軍帽を目深にかぶる。
「リゼットを頼みます」
マントをひるがえし、ウィリアムが王女宮を去っていくと、なぜか侍女や近衛騎士たちがそろって熱いため息を吐いた。
「アンベール子爵、あんなに素敵な方でしたでしょうか?」
「元々凛々しい方でしたが、ますます男らしさに磨きがかかったような」
そんなささやきが聴こえてきて、リゼットは耳をそばだてる。
彼らの言う通り、ウィリアムは最近どんどん魅力的になっている。リゼットが勝手にそう感じているだけだと思っていたが、周りから見てもそうらしい。
恐がられることが多いようだが、ウィリアムは素敵なのだ。
そう誇らしい気持ちになると同時に、妙な焦りも覚えてしまう。
「さぁ、リゼット先生。浴室の準備は出来ていますから、まずはすっきりしてきてください。上がる頃に食事が出来るよう用意しておきますね」
「ありがとうございます、レオンティーヌ様」
「……先生、ごめんなさい。今回のこと、お兄様が関わっていたのでしょう?」
もうそれを耳にしていたのか。出来ればレオンティーヌには知らずにいてほしかった。
きっと彼女は傷つき、申し訳なさを感じてしまうだろうから。
「レオンティーヌ様。大丈夫です。私はこの通り無事ですし、これからも王女殿下の指南役兼代筆者としてのお役目を続けられます。それは王太子殿下がご配慮くださったからです」
「リゼット先生。正直に言ってくださってかまいません。たとえここで先生がお兄様に呪いの呪文を唱えたとしても、咎める者はおりませんから」
「いえ、あの、王太子殿下を呪うつもりはございません。……私、王太子殿下のこと、嫌いではありませんよ。ちょっと苦手ではありますが」
これも不敬発言になるかなとこわごわ言ったリゼットだったが、レオンティーヌをはじめ侍女にも近衛騎士たちにも信じられないものを見る目を向けられてしまった。
一体王女宮で、アンリは何をしでかしたのだろう。
「私……やっぱりとても不安です。リゼット先生は優しすぎます。そんなに優しいと、お兄様みたいな人に騙されたり、つけこまれたりしてしまいますよ」
「ふふっ。大丈夫ですよ、レオンティーヌ様。王太子殿下は実は優しい方だと思いますし、私はだまされたとしてもくじけませんから!」
きりっと宣言したつもりだったが、レオンティーヌたちは「どうしたものか」と顔を見合わせるではないか。
これはまだまだ信用が足りないなと、ちょっぴり落ちこむ。
しかし、これからだ。これから少しずつ、王女宮の人たちにも、それ以外の人たちにも、信用してもらえるようお役目を果たしていけばいい。
ゆっくりいこう。王女宮で過ごす最後の夜は、嵐が過ぎ去ったあとのように穏やかに更けていった。
***
騒動の翌日。夜通し仕事をしたあと迎えに来たウィリアムは、かなり疲れて見えた。
真っ直ぐ公爵邸に帰るのかと思えば、王太子宮に向かうという。
王太子がリゼットを呼んでいるというのだ。
一体何の話だろう。首を傾げたリゼットの頭には、昨日ウィリアムに殴られぼう然としていたアンリの姿が思い浮かんだ。
王太子宮に向かうと、通されたのは応接室ではなくアンリの執務室だった。
まだ朝も早いというのに、王太子の机には書類が山積みになっており、そこに埋もれるようになりながらアンリがペンを動かしつつ補佐官に指示を出している。
「国王陛下から二週間の謹慎を言い渡されたそうだ」
「えっ⁉」
「その間、陛下の分の政務案決裁も命じられたらしい」
それで早朝からこの仕事量なのか。
仕事が落ち着くまでソファーで待たせてもらっていると、やがて王太子は補佐官たちにいくつかの書類を渡し言づけて部屋から出すとこちらにやってきた。
「待たせたな」
そう言って目の前に座ったアンリの顔を見て、リゼットは悲鳴を上げかけた。
太陽のように眩い美貌を持つ王太子の右頬が、唇のあたりから赤黒く腫れあがっていたのだ。
リゼットの視線に気づいたアンリが、自分の頬に触れて笑う。
腫れで上手く顔を動かせないのだろう。笑顔が引きつっていた。
「ご令嬢に見せるものではなかったか。どこかの軍人がとんでもない腕力馬鹿でな」
「加減はしましたよ。証拠に、左手を使いました」
利き手ではない手で殴ってこの腫れなのか。リゼットはさすが軍神と感心して良いのか震えるべきか迷った。
ウィリアムが本気を出していたら、アンリの顔は今頃どんなことになっていたのだろう。
「この馬鹿力め……」
「殿下が軟弱なだけでは?」
バチバチと両者の間で火花が散る。
リゼットはふたりを見比べてからそろりと手を挙げた。
「どうした、リゼット嬢」
「あの、とっても痛そうですが、大丈夫なのですか? 骨に異常などは? 跡が残ったりはしないのでしょうか……?」
「リゼット嬢は私の心配してくれるのか」
「心配など必要ないぞ。あの程度、謹慎が解ける頃には元通りだ」
「子爵は少しくらい心配するふりでもして見せろ」
やはりふたりは火花を散らすが、リゼットはほっと胸を撫でおろした。
どうやらウィリアムの言う通り、本当に見た目ほどひどい怪我ではないようだ。
「良かったです! では、ウィリアム様にお咎めなどはありませんか? 王太子殿下に手を挙げるのは、遠縁であっても不敬に当たるのではないかと心配で……」
素直に心のままに口にしたリゼットに、部屋が一瞬静まり返る。
ウィリアムは気を良くしたように足を組みかえ、アンリは逆に不満そうにひじかけに肘をついた。
「なるほど。リゼット嬢は殴られた私ではなく、殴った子爵を心配していたと」
「あ! も、もちろん王太子殿下のことも心配しておりました! とてもショックを受けていらしたようなので……大丈夫ですか?」
少し決まり悪く思いながら訊ねると、ため息をつかれてしまった。
心配していたのは本当なのだが、嘘っぽく聞こえてしまったようだ。それとも取って付けたように感じられてしまったか。
「もういい。いや、良くはないな……。リゼット嬢」
「は、はい!」
「そなたを呼んだのは、言わなければならないことがあるからだ」
「はぁ。何でしょう……?」
アンリは一度ピンと背筋を伸ばすと、リゼットに向かって突然、深く頭を下げた。
「危険な目に遭わせ、すまなかった」
いつもの人を食ったような態度は鳴りをひそめ、まるで真人間のような謝罪だった。
驚いたのはリゼットだけではないようで、ウィリアムもわずかに目を見開いている。
「で、殿下! どうか頭をお上げください!」




