【ご英断に敬意を】
ウィリアムがどこか確信したように言う。
怒りと憎しみは、似ているようで違う。怒りは自分の中で燃え、憎しみは相手に向かって燃える。リゼットの中でふたつはそういう感覚だ。
「憎む……。そう、かもしれません」
「なるほどな。それなら納得だ。リゼット嬢と私はそういう点では似ているのかもしれないぞ? 私も他人を憎むことがない。憎むほど興味を持てる相手がいないからな」
妙に嬉しそうなアンリに、リゼットは眉を寄せ、微妙な顔を向けた。
「王太子殿下と似ていると言われると複雑な気持ちになりますね……」
「ほぅ。言うではないか」
ニヤリと笑うアンリは、捕食者の目をしていた。
思わずウィリアムにぴたりと寄り添ってしまう。まだリゼットには王太子に立ち向かって勝てる自信はない。
「それで? フェロー子爵の離婚の早期成立がリゼットへの詫びですか?」
「いや。先ほども言ったが、これは王家にとって必要な措置でもあった。リゼット嬢への詫びの品は別にある。……子爵。持ってきたんだろうな?」
指摘され、父が神妙な顔で頭を上げる。「はい。こちらに……」と胸元から取り出したのは、天鵞絨張りの四角い箱。
中には金色に光る小さなブローチが輝いていた。
「これは……我が家の家紋章?」
鳥とローズマリーが描かれた紋章は、フェロー家のものだ。いま、父も襟に同じものをつけている。
「そう。家門の後継者が身に着ける証だ。これをリゼット嬢に」
「えっ⁉ わ、私が⁉」
「何を驚く。そなたはフェロー家の嫡子だろう」
それはそうなのだが、あくまでも家を継ぐことになるのはリゼットの婿となる男性だと思っていた。
ルマニフィカでは基本的に爵位は男の長子が継ぐことになっている。女性が爵位を継げるのは、特別な理由があるときだけ。もしくは継いでも一時的なものであることが多い。
だからスカーレットは特別で、女伯と呼ばれているのだ。
「王太子である私の権限で、リゼット嬢に爵位継承を許可する。これは前王殿下の妹であるハロウズ伯爵と、王女レオンティーヌへの貢献、それから次代の三蹟となるそなたの能力を鑑みての決定である」
「次代の三蹟!?」
めちゃくちゃだ。王太子アンリの強引さと傲慢さがあふれ出ている。
こんなことが認められてはおかしいだろう。とてもではないが家紋章を受け取ろうとは思えない。
「遠慮せず受け取るといい。子爵がとっくに渡していると思っていたが、デビュタントを済ませてもいつまで経ってもリゼット嬢が家紋章をつけないので不思議だったのだ」
「ですが……」
「何を思って子爵が躊躇っていたのかは知らないが、これを受け取るのは嫡子であるリゼット嬢の正当な権利だ」
アンリはきっぱりと言い切るが、肝心の父は口を固く引き結んだままだ。
こんな状況で受け取れるわけがない。しかし受け取らないと、今度はアンリが何を用意してくるかまったく読めないのが恐ろしい。
助けを求めてウィリアムを見ると、あっさりと「良いんじゃないか?」と言われて拍子抜けする。
「君の足場固めにも役立つだろう」
「そうか……そうですね」
デビュタントを果たし、子爵家の正統な後継者となれば、リゼットが王女の指南役や、スカーレットの代筆を担うことに異を唱える者が減るかもしれない。
誰にもリゼットの仕事や自由を奪われないために、ひとつひとつ力をつけていこうと決めたのだ。
「謹んで、王太子殿下のご厚意をお受けいたします」
震える指で家紋章を胸に飾ると、身が引き締まる思いがした。
いま、次期フェロー子爵・リゼットとなったのだ。
天国の母はいまのリゼットを見てどう思うだろう。立派になったと喜んでくれるだろうか。
それとも父を困らせる悪い娘だと、あきれたように笑っているだろうか。
どちらにしろ、リゼットの中の母は笑顔だ。笑って「がんばりなさい」と背中を押してくれていた。
「受け取ったな。では、このまま爵位継承に移るか」
「……はぇ⁉」
ひとり感動を噛みしめていたリゼットに、王太子がまたもやとんでもないことを言い出した。
「非公式の処分とはいえ、フェロー子爵にも家長としての責任がある。子爵の宮廷における内務長官としての職を解任。爵位を後継者であるリゼット嬢に譲り、蟄居を命じる」
*****
リゼットとその父、フェロー子爵を先にエントランスに向かわせたウィリアムは、この宮の主を振り返った。
「一体、罪人の処遇をどうされるおつもりで?」
リゼットを執拗に狙い続けた彼女の義姉ジェシカ。
たったいま王太子によって秘密裏に子爵の離縁が決まり、リゼットとは無関係な人間になったわけだが、おそらくリゼットはジェシカがどうなるのか気にかけ続けるだろう。
軍によって正規の手続きを踏み、彼女を罪人として法にかければ、間違いなく死罪は免れない。
しかしリゼットはその辺りを正確にとらえてはいないだろう。
怪我人は出たが死者はおらず、実際にさらわれて危害を加えられかけたのは自分だけ。しかも未遂で終わったとなれば、そう重い罪にはならないはずと考えているに違いない。
(だが、あの女が犯した罪は多い)
特に王家に関わる罪は何よりも重い。
不敬罪、侮辱罪、王宮への無断侵入指示、前王殿下の妹宅への放火指示。これだけ揃えば貴族であっても修道院送りで済むはずがなかった。
「言っただろう? 今回のことは、こちらで内々に処理すると」
「刑罰の内容も明かさないおつもりですか」
「もちろんだ。明かす必要がない」
「なぜです? こちらには知る権利がある」
リゼットだけでなく、祖母スカーレットも被害者のひとりだ。
すべて王太子の思惑通りに進められ、事後処理の方法すら明かされないのは、ウィリアムにとっても不安が残る。
「……リゼットは、罪人に手紙を書くでしょう。送られる監獄だけでも伝えることはできませんか」
どの監獄に送られるかによって、罪の重さが推し量れる。
それを期待したが、王太子は「伝える必要はない」と徹底していた。今回のことが明るみに出る、万に一つの可能性も残さないつもりのようだ。
「リゼット嬢が手紙を書いたら、私に渡すよう伝えるといい」
「……ずっと殿下が対応なさると?」
アンリは軽く肩をすくめ「それが私の贖罪だ」と笑った。
その顔を見たとき、ウィリアムは悟った。
王太子アンリが、罪人にどんな処遇を決めたのかを。
どこかで、アンリはリゼットのことを思い甘い判断を下すのではないかと思っていた。手紙のやり取りくらいは許してやるのではないかと。
(やはり、アンリには王太子でいてもらわねばな……)
「ご英断に敬意を表します」
「ふん。気色の悪い。さっさと行け。リゼット嬢が待っているぞ」
しっしと犬を追い払うようにされ、ウィリアムはマントを払い礼をとる。
そのまま部屋を出ようとしたとき「そうだ」とアンリが不意に呟いた。
「もうひとりの処遇を伝えるのを忘れていた」
「もうひとり……? あのランドンとかいう男ですか」
「あれは極刑に決まっている。もうひとりというのは、うちの近衛騎士のことだ」
「……シャルル・デュシャンですか」
リゼットの幼なじみで、デュシャン伯爵の次男。
そして王太子アンリ付きの近衛騎士で、今回ジェシカの共犯のふりをし、彼女を嵌めた功労者だ。
「あれは部屋付きを解任し、平騎士からやり直すことになった」
「は? ……なぜです? 今回のことは殿下の指示によるものだったのでしょう」
とうとう筆休め含め100話に到達いたしました! 毎日お付き合いくださる皆様に心から感謝申し上げます!




