85通目【十年越しの手紙】
「どうしたリゼット?」
扉を見つめたまま動けずにいると、ウィリアムが声をかけてくる。
「この部屋の前で、妖精の羽音がするのです」
「妖精の? 本当か」
以前もこの部屋の前で羽音がしたことを思い出す。
あのときは気のせいかと素通りしてしまったが、二度目となると聞き間違いではないようだ。
「妖精さんが何か伝えようとしているのかもしれません」
受け取ったばかりの鍵の束の中から、この部屋の鍵を探す。
どうやらドアノブの飾り彫りと同じ模様が鍵に彫られているらしく、同じ模様のものを探せばすぐに見つかった。
薔薇の模様の鍵を差しこむと、問題なくカチャリと解錠される音がする。
生前、母が使っていた部屋だ。入るのは何年振りだろう。
少し緊張しながら扉を開けると、中はカーテンが敷かれ薄暗かった。大きな家具には白い布が被せられているが、長い間閉めきられていた部屋は埃っぽい。
まずは窓を開けようと思ったとき、また繊細な妖精の羽音がした。
そしてスイと顔の横を、ほのかな光が追い抜いていく。
(妖精さん……?)
その光は羽音とともに、風に乗るような動きで滑らかに飛んで行く。
意思と目的を持つ光が真っすぐに向かったのは、小ぶりな古いビューローの上だった。
追いかけていくと、そこにあったのは鍵付きの箱だ。宝石箱、いや、小物入れだろうか。
光は箱に舞い降りたあと、ふと消えてしまった。
ハンカチで箱をはらうと埃が舞う。咳きこみながら蓋を開こうとしたが、固く閉じられ動かない。
「鍵がかかってる……」
「この箱がどうした?」
追いかけてきたウィリアムに聞かれ、リゼットは首を傾げて彼を仰ぎ見る。
「いま、妖精さんがここにとまったでしょう?」
「妖精が? いや、私には何も見えなかったが」
「まぁ……」
どうやらリゼットにだけあの光は見えていたらしい。
羽音もリゼットにしか聴こえていないようだったし、妖精は自身の存在を知らせる相手を選んでいるのか。
「私には見えないが、リゼットの妖精が知らせたのなら何かあるんだろう」
「はい。そう思うのですが、鍵がかかっていて」
「ふむ。……鍵の部分を壊すか?」
「い、いえ! 壊すのは……」
軍神の力なら鍵だけでなく蓋ごといってしまいそうだ。
別の方法を考えると言いかけたとき、カツンと何か金属が落ちるような音がした。
何だろうと足元を見ると、ブロンズ色の鍵が落ちている。
拾い上げたそれは、リゼットの小指の半分ほどしかない、細く小さな小さな鍵だった。
「もしかして、これが小箱の鍵……?」
「試してみたらどうだ?」
ウィリアムの提案にうなずき、小さな鍵を箱の鍵穴に差しこんでみる。
するとぴたりと閉じて動かなかった箱の蓋が、魔法のようにいとも簡単に開かれた。
中に入っていたのは、色褪せた紙の、いや、手紙の束だった。
「これは……」
『八つになったリゼットへ』
封筒の宛名部分に書かれた文字は、間違いなく母セリーヌのものだ。
紐でひとまとめにされた手紙はすべて、リゼットに宛てて書かれたものらしい。
毎年の誕生日を祝う手紙の他にも『デビュタントを迎えるリゼットへ』『恋人とケンカをしたリゼットへ』『婚約をしたリゼットへ』など、リゼットが迎えるだろう人生の節目節目に向けた手紙が何通も用意されていた。
「お母様が、私にこれを書いていてくださったの……?」
何ということだろう。
時を超えて、亡くなった母から手紙が届いた。大好きな母からの手紙が、こんなに。
「リゼット。まだあるぞ」
そう言ってウィリアムは、もうひとつ手紙の束を箱から出してくれた。
『私の最愛、ダニエルへ』
宛名の部分に書かれた文字を見て、リゼットはハッとした。
「お、お父様にお渡ししなくちゃ! あっ。でも、列車が……」
「まだ間に合うかもしれん」
行くか? と聞かれ、リゼットは迷わずうなずいた。
モルガンに父の見送りに行くと告げて邸を出ると、フェロー家ではなくロンダリエの馬車に乗せられる。
「ロンダリエ公爵家の家紋入りの馬車なら、他のどの家の馬車も避けて走る」
「な、なるほど……!」
納得である。恐ろしいほど頼もしい。
実際、馬車は猛スピードで駅へと向かい、途中止まることがまったくなかった。
***
王都中央サン=ジャンドル駅に着くと、飛ばしてくれた御者にお礼を言ってリゼットたちは駅舎へと走った。
大きな三角屋根に鉄のアーチで出来た広大な駅には、いくつもの列車が止まり人でごった返している。
「こ、こんなにたくさんの人が集まるところ、舞踏会以外にあるのですね……!」
「圧倒されている場合じゃないぞ。西部行きの列車は向こうだ」
頼もしいウィリアムに手を引かれ、奥のホームへと走る。
辿り着いた先には、いままさに列車に乗りこもうとしている父の姿があった。
「お父様!」
「リゼット? 見送りはいいと……」
駆けつけた勢いのまま、父の胸へと飛びこむ。
ウィリアムより小柄な父だが、リゼットをしっかりと受け止めてくれた。
「ど、どうしたんだ一体」
「お父様! 手紙です! お母様の部屋で見つけた小箱に、手紙が入っていたのです!」
「小箱? 手紙?」
何が何だかわからないといった父の顔に、リゼットは手紙の束を突きつけた。
「お母様がお父様に書いた手紙です! これ全部、お父様宛てのお手紙です!」
「セリーヌが、私に……?」
ぼう然とした顔で、しかし父は手紙の束を受け取った。
一番上の手紙の宛名部分にあるのは、先ほどリゼットが目にした『私の最愛、ダニエルへ』だ。
他の手紙にもきっと、リゼット宛の手紙と同じように、父の人生の節目に宛てたものとなっているのだろう。
「お母様は確かに友人たちに手紙を書いていましたが、すべての方にお別れの手紙を送っていたそうです。残された時間は家族のために使いたいと。スカーレット様が教えてくださいました」
「では……最後に書いていたのは、他人への手紙ではなく……?」
「私宛の手紙もたくさんありました。お母様は、私たち家族の未来に向けて、手紙を書いてくれていたのです」
「そんな……っ」
手紙を胸に抱き、父は空いた手で顔を覆った。
肩を小刻みに震わせる父を、リゼットはもう一度抱きしめる。父の温かさや匂いを、はじめて知ったような気持ちで。
「領地までは長い旅になるでしょう? その間、ゆっくりお母様からのお手紙を読んでください。私も帰ったら読みます」
「あ、ああ……っ」
「そうしたら、お父様にお手紙を書きますね。お父様もお返事を書いてください。絶対に」
慟哭の合間に、父はうなずいた。
すまない、と何度も口にしながら、リゼットを強く抱きしめ返した。
***
父を乗せて王都を去っていく列車を見送っていると、ウィリアムがそっと隣に立って、手を握ってくれた。
大きく力強く、温かな手に慰められながら、リゼットは父の旅が心を癒す時間になることを祈るのだった。
むせび泣くオジサマ紳士は萌えです(何でも萌える)




