【軍神と約束】
「へぇ⁉」
突然レオンティーヌがこちらを振り向くので、おかしな声が出てしまった。
しまった。ミュッセ商会長が眼鏡の奥で目を丸くしている。
きっと「こんなのが指南役?」と思われたに違いない。恥ずかしい。
頬が熱くなるのを感じながらも、リゼットはいそいそと王女の隣に移動した。せっかくレオンティーヌが意見を聞いてくれるのだ。ミュッセ商会の素晴らしい商品を間近で見るチャンスである。
「まぁ……すごい。どれも洗練されたデザインですね!」
ミュッセ商会は歴史ある店だ。新しさよりも格式を重んじているかと思えば、そんなことはなかった。
見たこともないデザインのレターセットがずらりと並んでいる。華やかだが派手さは感じない。むしろ高貴さがあふれているのは、さすがミュッセ商会というところなのだろう。
「これは……押し花、ではない?」
白や黄色、水色といった薄い色の花びらが舞うレターセットを指して言うと、商会長はグローブをはめた手でそれを手にとりリゼットに差し出した。
「こちらは紙を作る段階で花びらを一緒に漉いて出来たものです。どうやって花の色の美しさを残すか試行錯誤の末に完成した一品です。どうぞお手に取ってみてください」
「よろしいのですか? わ……すごい。本当に紙の一部になっているのですね」
指の先で撫でると、さらりとした感触。少し凹凸があるが、書きにくいというほどではなさそうだ。
「これは、王女殿下が花を指定されたとしたら、同じように作っていただくことは可能なのでしょうか?」
「先生?」
驚くレオンティーヌに、商会長も目を瞬いた。
だがすぐに不敵な笑みを浮かべ「お時間をいただければ」と答える。この瞬発力、さすが一流の商会長だと感動した。
「こちらは封筒の内側に絵が! 神が七日降臨したときの宗教画ですね?」
「その通りでございます。こちらは教会関係の方からの要望があり作ったものですね」
「これが出来るなら、表と裏で色が違うものも出来そうですね?」
「……表裏で色が?」
「どちらを使うか気分次第。もしくは両方使っても面白そうです」
「その話、詳しくよろしいでしょうか?」
そこからはレターセット談義に熱が入り、王女そっちのけでミュッセ商会長と話しこんでしまった。
レオンティーヌは苦笑していたが、あとで侍女長にとても怒られてしまった。指南役失格である。
しかし帰り際、ミュッセ商会長に「ぜひうちと商品開発をいたしませんか?」と強く手を握られた。
仕事のお誘いを受けたということに気づいたのは、商会長が「近いうちに改めて」と言って軽い足で去っていったあとだった。
「素敵だわ! フェロー先生が手がけたレターセットが出来たら、絶対に私が買い占めます!」
信じられず、夢見心地のリゼットに王女がそう宣言した。
作る前どころか仕事をするかも決まっていないのに、すでに大口顧客が誕生していたことに、リゼットはやはりこれは夢ではと思うのだった。
***
「それで近衛騎士の方からは、怪我をして休職中の同僚に送る手紙を代筆してほしいと頼まれたのです! 自分で書くのは恥ずかしいからとおっしゃっていましたが、そういう理由の代筆もあるのですね。これからも私が考えてもみなかった依頼があるかもしれないと思うと、わくわくします!」
王宮書庫からの帰り道、リゼットは王女宮での出来事を嬉々として報告していた。
静かにそれを聞きながら隣を歩くウィリアムの手には、リゼットが借りた本が数冊。
書庫まで付き合ってくれだだけでなく、こうして本を運んでくれるウィリアムはとても紳士だと思う。
だが、軍服姿のウィリアムを見た途端、大抵の人は固まって青ざめるのだ。
戦場の悪魔と恐れられるウィリアムを、皆誤解している。戦場以外での彼は、リゼットの知るどの男性よりも優しいというのに。
「そうか。手紙で知ってはいたが、リゼットが楽しそうで何よりだ。実は、君のうわさは軍部にまで届いている」
「えっ? 軍部に、ですか?」
「王女殿下の指南役は、大物を次々と手懐ける、猛獣使いのような少女らしい」
「手懐ける、猛獣使い……?」
それは本当に自分のことだろうか。
首を傾げるリゼットに、ウィリアムは「言いえて妙かもな」とにやりと笑った。
「猛獣と出会った覚えはありません」
「そうか。しかし実際、私はこうして君が読む本をせっせと運んでいるしな」
「あ。もしかして、重いですか? せっかくだからと、私ったら厚い本ばかり借りてしまって」
考えてみれば、王女宮にはあと五日もいないのだ。読み切れるわけがないのに欲張りすぎた。
しゅんとすると、ぽんと頭に手を置かれる。ウィリアムが空いた片手でリゼットの頭を撫でてきた。その優しいまなざしにどきりとする。
「気にするな。銃より軽い。こうして片手で運べるくらいだ」
「……ありがとうございます! 軍の方は、皆さんウィリアム様のように力持ちなのでしょうか?」
「さて。私ほどはそういないだろうが、皆大切な者を守れるだけの力は持てるよう日々努力しているだろう」
「では、私たちはそんな軍の皆さんの努力に日々守られているのですね!」
これは感謝申し上げなければとリゼットが意気込むと、ウィリアムは目を丸くして吹き出した。
たまたま近くを歩いていた文官が、ギョッとした顔で振り返る。軍神が笑うことなどあるのか、とでも言うような表情だった。
「君は、本当に気持ちが良いくらい真っすぐだな」
「それって、褒めていますか?」
「もちろん。だが、その分心配でもある。……王女宮にいれば心配ないとは思うが、君に強引に接触しようとするような輩は現れていないか?」
王宮にそんなことをする人間がいるとは思えない、と考えたところで、ウィリアムが誰のことを言っているのかわかった。
義姉のジェシカが何かしでかさないか、心配してくれているのだ。しかしさすがにジェシカも王宮で騒ぎを起こすような真似はしないだろう。最悪首が飛ぶ。物理的に。
それに貴族の令嬢といえど、招待もなしに簡単に王宮に出入りできるものではない。理由なく参宮できるのは、せいぜいが外宮のごく一部までだ。
「大丈夫です。代筆の依頼も王女宮に勤める方々からだけで、外から私を訪ねてくる方は、いまのところいません」
「ならいいが。……王太子殿下はどうだ? あとは、殿下の例の近衛騎士からは?」
「殿下は毎日王女宮にいらしていますね」
「……やはりか。そんなに暇なはずはないのだがな」
「でも、いつも王女殿下や侍女の皆さまが、私を別室に隠してくださるので、いまのところ顔を合わせておりません!」
リゼットが笑顔で言うと、ウィリアムも満足そうに「頼もしいことだ」とうなずいた。
本当に、レオンティーヌをはじめ王女宮の人々にはとても良くしてもらっている。
「シャルルお兄様からも、特には。やはり王太子殿下に謹慎を言い渡されて、冷静になったのではないかと思います」
「だといいが……。くれぐれも一人にはならないようにな」
「はい! 一人にならないとお約束します!」
キリリと宣言し、リゼットは右の小指を差し出した。ウィリアムはそれを見て「何だ?」と不思議そうな顔をする。
「ヘルツデンの本を読んでいて知ったのですが、あちらでは約束をするときに、小指と小指をからめるのだそうです」
「小指を? なぜ?」
「なぜなのでしょう? 契約を結ぶ、という結びにかけているのでしょうか」
なるほど、とうなずきウィリアムは右の小指をリゼットの小指にからめてくれた。
比べてみると、あまりにも太さと長さが違って驚く。ウィリアムの小指はリゼットの人差し指よりも大きかった。
「私リゼット・フェローは、絶対にひとりで行動しないことをお約束します」
「ではウィリアム・ロンダリエは、リゼット・フェローが呼ぶとき、必ず駆けつけると約束しよう」
微笑んでうなずき合い、そっと小指を離す。
もう少し小指を結んでいたいなと思ったことは秘密だ。
「ふふ……っ」
「どうした?」




