62通目【王女宮の人々】
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王女の手習いの指南役として、もっと何か出来ないか。
姿勢や文字のバランス、使う文房具の選択などこれまで話してきたが、それだけでいいのかとずっと考えていた。
実践的なことも必要ではと、リゼットは試しに作ってみたものを王女に見せた。
「これは手紙……ですか? 随分文字が薄いのですね」
「はい。かつての三蹟のひとりである、マリー=アンジュ・ルセが恋人に送った手紙を書き写したものです。こちらでなぞり書きをしてみませんか?」
「なぞり書き?」
「あえて薄灰色のインクで太く書いてありますので、その上をなぞるように黒のインクで重ねて書くのです」
「ああ、それで文字が薄いのですね」
レオンティーヌは感心したように、便せんをまじまじと見つめる。
反応は悪くない。他人の文字をなぞることに抵抗感があれば、別の方法を考えようと思っていたのでほっとした。
「必ずその線の通りに書かなければならないものではありませんが、字の運びや大きさのバランスなど、基礎を体で覚えるのに役立つかと思うのです。いかがでしょう?」
「なるほど。面白そうですね。やってみます!」
抵抗どころか、レオンティーヌは嬉々としてペンを手になぞり書きを始めた。
矯正されるようで嫌かもしれないなどと、考えた自分が恥ずかしい。レオンティーヌからの信頼を強く感じて、胸の奥が熱くなった。
「これは誰かに宛てたフェロー先生の手紙ではありませんが、こういったものにも妖精の祝福は宿っているのでしょうか?」
「恐らく、これには特別な力はないと思います。意識して祈らないよう慎重に書きましたので。改めて見ても感じるものはありませんから」
「不思議ですね。妖精はフェロー先生の心が読めるのかしら。それとも心で繋がっているのでしょうか?」
「心で繋がっている……。そうだと、嬉しいですね。私もまだ妖精の力については詳しくないので、スカーレット様からもっと学び、王女殿下にお話しできるようにいたしますね」
妖精の力について知っているのはごく一部。三蹟や王族、実際に妖精の祝福を得ている者などと、限られている。
周囲に与える影響が大きく、大々的に口外することなく秘するのが暗黙の了解とされているらしい。
というのも、妖精の力を悪用せんとする輩が過去にいたからだ。祝福を得ている者を監禁したり、国外に連れ去ったりと、悲惨な事件が度々起きたそうだ。
政治的に利用される可能性を考え、国として妖精の力を秘匿することをかつての王が決めたのだという。妖精の力を持つ者たちも利用されることを嫌い、他国に与することをしないと誓う代わりに、選択の自由を得たのだそうだ。
そのため妖精の力についての研究資料や本はほぼ残っていない。あっても厳重に管理され貴重品扱いだとか。
王立図書館でフィルが貸してくれた『妖精と青い屋根のおうち』という本は、実は閲覧にいくつも許可が必要な特別指定されたものだったらしい。
それを簡単に貸し出してくれたフィルには感謝してもしきれない。次に図書館に行くときは、何かお礼をしなければ。
「ヘルツデンに嫁いだら、あちらにも妖精について知ることがあればフェロー先生にお手紙を出しますね」
「本当ですか? 嬉しいです! あ、でも、妖精についての情報がなくても、王女殿下からお手紙をいただけるだけで私は幸せですので……」
たくさんお手紙書きますねと言うと、もうたまらないとばかりにレオンティーヌに抱きしめられた。
リゼットはおろおろし周囲に助けを求めたが、侍女たちは微笑ましげに見ているだけでちっとも王女を止めようとしない。
だから仕方なく、というわけではないのだが、レオンティーヌの細い背中にそっと手を回すのだった。
***
「フェロー先生」
レオンティーヌの手習いのあと、メイドたちの仕事の様子を見学させてもらおうと厨房へ向かっていたリゼットを呼び止める声がした。
きょろきょろと辺りを見回すと、ある部屋の扉から顔だけ出して手招きしている侍女がいる。確か、クラリスという名の伯爵家の三女だったはず。
「どうかいたしました?」
「実は、先生に折り入ってお願いがございまして……」
クラリスはそう言うと、リゼットを部屋に招きいれた。
部屋は備品庫だったようで、他には誰もいない。何か話しにくいことなのだろうか。心当たりのないリゼットは困惑しながらクラリスの言葉を待つ。
「あの……こんなことをお聞きするのは、大変失礼なことだというのは重々承知なのですが」
「はあ……」
「フェロー先生が、祝福の魔法が使えるというのは本当なのでしょうか?」
「えっ。ま、魔法?」
いつから自分は魔法使いになったのだろう。
あくまでも祈りの力を持っているのは妖精で、リゼットはその妖精から力を借りているだけに過ぎないのだが。
(きっと王女殿下と妖精について話しているときに部屋にいた、他の侍女から話を聞いたのね)
王女宮の外に情報をもらす侍女はいないだろうが、侍女同士で情報を共有することはあるのだろう。
それについて思うところはないが、クラリスから期待の眼差しを向けられて、どう答えていいものか悩む。
「ええと……なぜそのようなことをお聞きに?」
「それは……」
「ご安心ください。口外はいたしません。何か私にお力になれることがあるのでしょうか?」
震えるクラリスの手を取り、優しく問いかける。
するとクラリスは涙目で「実は、代筆をお願いしたいのです」と話してくれた。
何でも、離れた領地にいる母親が病に倒れてしまったらしい。大したことはないから心配するなと連絡はあったが、無理をして本当のことを隠しがちな母だから不安なのだという。
母の元に駆け付けたいところではあるが、レオンティーヌの婚約が決まり輿入れの準備が進む中、仕事を辞めて領地に戻るわけにもいかない。
「それで、私に代筆を……」
「はい。フェロー先生はお手紙で相手に祝福を届けることができると聞きました。王女殿下の指南役である先生に、私のようなものが個人的な依頼をするなんて、図々しいことだとわかってはいるのですが――」
「クラリス様」
大丈夫です、とリゼットはクラリスの手をしっかりと握りしめる。
こんな風に必死な様子で代筆を願われて、何を迷うことがあるだろう。
「あなたの代筆、お引き受けいたします」
「ほ、本当ですか……?」
「はい! 私は魔法が使えるわけでも、万能なわけでもありませんが」
もちろんわかっている、とクラリスはうなずく。
魔法が使えるなどと本気で信じたわけではないのだろう。ただ、藁にもすがる思いでリゼットに声をかけたのだ。
だから藁にも出来ることを、精一杯やろう。
「クラリス様の祈りを、しっかりお手紙にこめさせていただきますね」
その日から、リゼットの噂を聞きつけた王女宮で働く者が、ひとり、またひとりと代筆の依頼を持ち込んでくるようになった。
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