【聖樹の間】
真っ直ぐなウィリアムの言葉に、胸をギュッと掴まれたような気がした。
心には心を返したい。リゼットはエスコートしてくれるウィリアムの腕を強く引っ張る。
「私も、本当はウィリアム様のドレスを着て踊りたかったです」
秘密ですよ、と小さく付け加え、熱くなる顔を隠すようにそっぽを向く。
ウィリアムはしばし無言だったが、やがて笑うような吐息を漏らし、空いている手でリゼットの手を軽く握った。
「次の楽しみにしておこう」
そう言われてリゼットがどんな気持ちになったか、ウィリアムは知らないだろう。
次がある。またウィリアムがエスコートしてくれる。
こんな風にさりげなく次の約束なんてされると、期待してしまうではないか。
ウィリアムの一言に一喜一憂していては、淑女の道は遠のくばかりだ。
しかし、そんないまがたまらなく楽しいと感じてしまうのだった。
***
舞踏会場は、聖樹の間と呼ばれる大広間だった。
はじめてそこに足を踏みいれたリゼットは、その広さと高さにぽかんと口を開けてしまいそうになる。
縦に長い聖樹の間の両壁には、巨大な絵画がびっしりと並べられていた。どれも宮廷で行われた儀式や典礼の一幕を描いたもののようで、王宮史を後世に残す役割も担った空間なのかもしれない。
王立図書館以上に高いアーチ型の天井には、神にこの地を治める命をを受け、山を砕き竜を鎮め、川を引いたとされる初代国王の姿が描かれている。
(すごい。大きなシャンデリアがあんなにたくさん。一、二、三、四……うそ、五十個以上ある⁉)
王宮の豪華絢爛さに慄いているうちに、一行は大広間をかなり進んでいた。
ここまでもやはり他の貴族はロンダリエ公爵家に次々に頭を下げ、黙っていても目の前に道が開かれていく。
基本的に下位貴族から高位貴族に声をかけるのはマナーに反するので、ロンダリエの誰かが声をかけない限り、貴族たちのほうから声をかけてくることはない。
ウィリアムたちに声をかけられるのは、王族くらいなのだ。
「本当にスカーレット様だわ」
「アンベール子爵の隣にいるのは……」
「彼女が王女の指南役なのか?」
「まだ子どもじゃない」
「スカーレット様がシャペロンをされるという噂は――」
ウィリアムにエスコートされるリゼットにも視線は集まっていた。ひそひそと囁き合う貴族たちの姿があちこちに見受けられるが、なぜかいまはそれほど気にならない。
それよりもいまは、はじめて目にする景色に夢中だった。
「まぁ。立派な木が……!」
大広間の奥には、聖樹と呼ばれる木がどっしりと根を張り立っていた。
これはサクラアルという名の、ふんわりと柔く清らかな香りを放つ香木だ。初代国王が神に与えられた、ルマニフィカ王国の国樹でもある。
王宮の舞踏会場には天上の香りが満ちていると本で読んだことがあったが、あれは聖樹の香りのことだったのかと感動した。
聖樹の両側に階段があり、そこから二階に行けるようになっているようだが、その周辺に貴族の姿はない。
不思議に思っているとウィリアムが二階は王族専用なのだと教えてくれる。
「王族に呼ばれた者しかあの階段を上ることはできない」
「階段を上らないと、王族の方々にはお会いできないのでしょうか?」
「そんなことはない。彼らのほうが二階から降りてくれば会える。王族もダンスを踊るのは一階だからな」
そうか、王族も踊るのだ。
王太子アンリにダンスのパートナーにと誘いを受けたことをすっかり忘れていた。
「ウィリアム様は、二階へ行かれたことはあるのですか?」
「何度かあるが、椅子があるだけでどうということはない。ただ、ダンスが始まると二階席から踊る貴族たちが一望できるから、眺めだけは良いかもしれん」
ウィリアムの言葉に、リゼットは二階からの眺めを想像した。
宮廷楽団の奏でる曲に合わせて、色とりどりの装いで一斉に踊る貴族たちの姿を上から眺められるのは、王族だけの特権ということか。きっと歌劇の一幕のように素晴らしい景色なのだろう。
「リゼット!」
誰もがリゼットたちを遠巻きにしながら、ロンダリエ一族から声をかけられるのを待っている中、堂々とリゼットに声をかけてくる者がいた。
周囲の視線など気にも留めずに向かってくるのは、指南役の選定で出会ったひとり。
「ララ様!」
ラベンダー色のドレスに身を包んだララ・モニクが笑顔でリゼットに駆け寄ってきた。
そのまま勢いよく抱きしめられ、きょとんとする。
「何よ、元気そうじゃない! 大丈夫だと手紙では言っていたけど、心配したんだから」
「ララ様……。ありがとうございます。この通り、私は元気です。あの日はワロキエ商会で気遣っていただき、ありがとうございました」
「あのときのことはもう気にするなと言ったはずよ? あのあとすぐに私に手紙をくれたのだからそれでいいの。本当に無事で良かった」
まったく、心配させないでよねとツンとしながら言うララは相変わらずだ。
お互いしっかりと抱きしめ合って離れると、スカーレットが声をかけてきた。誰かと目線で問われたので、ハッとしてリゼットがララを振り向くと、彼女は瞳をキラキラと輝かせスカーレットを見ていた。
そうだ、ララはスカーレットをとても尊敬しているのだった。手紙でもスカーレットも無事かどうか、心配する内容が綴られていた。
実はスカーレットが社交界を退いていなければ、現在の師ラビヨンではなくハロウズに弟子入りしていただろうというくらい、ララはスカーレットに憧れていたらしい。
もちろんいまではラビヨンを最も尊敬しているが、スカーレットへの敬愛は変わらずにあるとか。
「スカーレット様。こちら、先日ワロキエ商会でとてもお世話になったと話しました、ララ・モニク様です」
「ああ。ラビヨンの弟子の?」
「お目にかかれて光栄です、ハロウズ伯爵。ラビヨンが弟子、ララ・モニクと申します。師が大変お世話になっております」
優雅に礼をするララに、スカーレットは満足げにうなずく。
「あのラビヨンが弟子を取ったと聞いたときは驚いたが、聡明そうな子だ。私はスカーレット・ハロウズ。私の弟子に良くしてくれたそうだね。感謝する」
「もったいないお言葉です」
「リゼットから聞いているよ。手紙で恋に落ちそうなほどたおやかな筆跡だそうだね」
「そ、そのようなことは。愛の伝道師と名高いハロウズ伯爵の前で、恐れ多いことです」
かしこまって頭を下げながらも、ララは「あんた何言ってるのよ」という目でリゼットを睨んできた。
顔が赤いので、スカーレットに褒められて興奮しているのだろう。その気持ちはとてもわかるので、リゼットが笑顔でうなずくとなぜかさらに睨まれた。
「む……。面倒なのがやって来たな」




