61通目【安全確認】
扉を開くと、そこはすでに整然と準備されていた部屋だった。
スカーレットに王宮滞在の許可をもらった翌日、リゼットはさっそく生活に必要な荷物を持って王女宮へと移った。
先日の舞踏会で着替えをしたときは夜だったが、昼間に見ると印象が違って見える。カーテンや寝具など柔らかな色合いのファブリックでそろえられ、明るくも落ち着いた雰囲気になっていた。
ベッドにソファに文机、ドレッサーに鏡台と、必要な家具はそろっている。
レオンティーヌの気遣いか、照明器具は多すぎるくらいに用意されているので、夜に書き物をするのにも困らなそうだ。
寝泊りをするだけなのに広さも十分あり、こんなに良い部屋を用意してもらっていいのだろうかと心配になるほどだったのだが――。
「ここだと手狭ではありません?」
メイドが荷物を運び入れる様子を見ながら、レオンティーヌは頬に手を当てて言う。
「やっぱり来賓用のお部屋に変更したほうが……」
「まったく問題ありません! 素敵な部屋をご用意いただき、ありがとうございます!」
慌てたリゼットだが、ふと窓の外で鮮やかな黄色が揺れるのが見えてハッとした。
「わあ……! 窓から王女殿下のミモザが見られるのですね。なんて贅沢なお部屋でしょう」
安全面を考慮され、用意されたのは王女宮の、侍女たちの部屋が集まる二階の一画だ。
背の高い立派なミモザもあれば、まだ若く二階に届かないミモザもある。ミモザだけでなく、上から眺められる王女宮の庭園は、春の色であふれていた。
「うふふ。先生に気に入っていただけたようなので、部屋はこのままにいたしましょうか」
「はい! 窓を開けると、王女殿下の香りに包まれて幸せな気持ちになりますね」
「まぁ……フェロー先生ったら」
「えっ? お、王女殿下⁉」
不意にレオンティーヌに正面から抱きしめられ、リゼットは固まる。
リゼットよりもほんの少し小柄な彼女からは、本物のミモザよりミモザらしい、柔らかく爽やかな香りがした。
「なんて可愛らしいかたなのかしら。私が殿方だったら、絶対にフェロー先生に恋をしていました」
「えっ? えっ?」
「あんまり可愛らしいから、ヘルツデンにも連れて行ってしまいたくなりますわ」
まるで甘えるように抱き着かれ、リゼットは真っ赤になりながらもくすぐったい気持ちになる。
可愛らしいのはレオンティーヌのほうだ。妹がいたとしたら、こんな感じなのだろうか。
こっそり抱きしめ返しても不敬にならないだろうか、などと考えたとき、ゴホンとわざとらしい咳払いがした。
「王女殿下。リゼットが困っています。離れていただけますか」
公爵邸から付き添いで来てくれたウィリアムが、じろりとレオンティーヌを見下ろして言う。
先ほどから顔つきが軍人のそれになっており、出入りするメイドたちがビクビクしているほどだ。
「もう、アンベール子爵。ただの冗談ではありませんか」
「そうですか? 冗談には聞こえなかったので」
「大体、なぜ私の宮の中までいらっしゃったのかしら? ここには近衛騎士もいますから安全ですよ」
「安全かどうかは私の目で判断します。早速ですが、そこのミモザの木と窓の距離が近いのは問題では?」
大真面目な顔で窓の外を確認するウィリアム。
隣の部屋との距離も確認し、屋根まで見上げている。
「ミモザから窓に侵入する者がいるかもしれないと?」
「可能性の話です」
「ご心配には及びません。ミモザは大きく見えますが、花の咲いた上部は細い枝が密集しているだけなので、とても柔らかいのです。人が登ろうとすると簡単に折れてしまいます」
「なるほど。下の階には人は常駐していますか。無人というのはいささか――」
軍人らしく徹底的に把握しようとするウィリアムに、レオンティーヌはあきれ顔だ。
スカーレットもよくああいう顔をするので、またふたりの共通点を見つけてリゼットは嬉しくなる。
レオンティーヌに代わり侍女が説明をし、ウィリアムがようやく納得した頃には女性陣はぐったりしていた。部屋の隅で黙って護衛をしていたヘンリーだけは、笑いを堪えるように震えてる。
「一週間だったな。……それくらいなら、ヘンリーが寝ずに警備が出来るだろう」
「いや、出来ねえよ!」
思わず、といった風に言い返したヘンリーが、慌てて自分の口を手でふさいだ。
申し訳ありません、と頭を下げたヘンリーに王女が苦笑いし、ウィリアムは鼻で笑う。
「リゼット。私は軍部に向かう。君が王女宮に滞在している間、毎日出仕するから、何かあれば軍部に遣いを出してくれ」
「わかりました。でも、お仕事の邪魔になるのでは……」
「ならない。書庫に行きたいでも、散歩をしたいでも構わない。必ず呼んでくれ。そして私以外とは宮を出ないように。そこの間抜けでもダメだ」
ヘンリーを指差すウィリアムに、リゼットは何と返したらいいのかわからない。
見かねてかヘンリーが「間抜けとは俺のことか」と文句を言う。
「まったく。戦場の悪魔と恐れられた男はどこに行ったんだ。げろ甘じゃないか……」
「ヘンリー・ユベール卿」
ぶつぶつと文句を呟くヘンリーの前に、ウィリアムがブーツの音を響かせて立つ。
「死ぬ気で守れよ」
それは軍の大佐としてというよりも、友としての言葉に聞こえた。
むくれていたヘンリーも、目を見開いてからにやりと笑う。
「この命に代えましても」
「……頼んだ」
ヘンリーの肩の辺りを拳で叩き、ウィリアムは扉へと向かう。
そのとき、行ってしまう、と思った自分にリゼットは驚いた。自分で望んでここに来たのに、ウィリアムがそばにいなくなることが不安なのか。
(ずっと一緒にいたんだもの。寂しく感じたって……きっとおかしくないわ)
「リゼット。誰か訪ねてきても、王女宮からは出ないように」
「はい! 入口にある待機室でお話しするのですよね」
「必ず衛兵を置いてな。それから、夜に窓を開けっぱなしで寝ないように」
「は、はい。風邪を引いたら大変ですものね……?」
「それから入浴の際も侍女と行動するように。人間がいちばん無謀な状態にな――」
「アンベール子爵! そろそろ時間ではございません?」
まだまだ続きそうなウィリアムの『お泊りの心得』だったが、レオンティーヌが待ったをかけた。
どうやら軍部から遣いが来たらしい。ウィリアムに早く向かうよう促す。
仕事に遅れるのはいけない。少し心細くはあるが、ウィリアムの仕事の邪魔にはなりたくなかったので、リゼットも「行ってください」と笑顔で背を押した。
「……やはり心配だ」
「えっ」
「明日また来る」
短く言うと、ウィリアムはマントを翻し王女宮を去っていった。
残されたリゼットたちはぽかんとしながら顔を見合わせる。
「……あれは毎日来る気ですよ」
「ヘンリー卿の言う通りだわ。あまりに過保護すぎるのではないかしら」
いっそ出禁にします? とレオンティーヌに聞かれ、慌てて首を振るリゼットだった。
***
王女宮ではじめて過ごす夜。
リゼットは文机に向かい手紙を書いていた。
青いリボンで縁取りされたようなデザインの便せんは、ウィリアムからもらったあの素敵な靴をイメージして選んだ。
ウィリアムに直してもらった万年筆を使い、一文字一文字丁寧に想いを綴る。
『軍で立派なお仕事をされているウィリアム様に、少しでも近づけるようがんばります』
本当にウィリアムが毎日顔を出しそうだったので、手紙を書けば安心してもらえるかもと思ったのだ。
これまで一度もウィリアムに手紙を書く機会がなかったので、書き始めはかなり緊張してしまった。とにかく彼が安心できますようにと、祈りをこめる。
いつか、心配だけではなく、互いが互いを励みに出来るようなときは訪れるだろうか。
ウィリアムはリゼットを応援してくれている。リゼットもウィリアムを応援できるような場所まで行きたかった。
「ふぅ。……何だか、壊れる前よりも手に馴染む気がするわ」
万年筆を眺めて言ったとき、シャランと涼やかで繊細な音が聞こえた。
妖精の羽音だ、とリゼットは微笑む。
「あなたもそう思う? 喜んでいてくれたら嬉しいわ」
小さな友人の姿を想像し、リゼットは手紙の続きを静かに書き進めた。
朝一で手紙を送ろう。筆不精らしいが、ウィリアムは返事をくれるだろうか。
不安と期待で、その夜はなかなか寝付くことができなかった。
物理的に距離が離れたことで、ようやくふたりのお手紙交換が始まりそうです!




