22通目【王女宮へ】
「緊張して転ぶなよ」
「だだだ大丈夫ですっ」
差し出されたウィリアムの手をとり、リゼットはゆっくりと馬車のタラップを降りた。
正面には千人以上腰かけられそうなほど広い階段、その奥に白亜の宮殿がそびえ立っている。
生まれて初めて訪れる王宮は、リゼットの想像を遥かに超える巨大さだった。
輝くタイルで整えられた馬車回しだけで、リゼットの家がすっぽり入ってしまいそうなほど広い。
ウィリアムの話では、外宮内をくまなく回ろうとすると、丸二日はかかるだろうということだ。その宮殿の周りには趣向を凝らした庭園がいくつもあり、王族それぞれの宮があり、北側には運河まで流れている。運河は三つほどある離宮に繋がっているという。
「私、生きて帰ることができるでしょうか……」
「お前はここに戦争をしに来たのか?」
「あ、ある意味そうかもしれません」
やれやれと首を振ったウィリアムに「もっと力を抜け」と肩を優しく叩かれたが、ガチガチに固まった体は言うことを聞いてはくれそうにない。
今日は王女の指南役候補として、王女宮に参殿する。
王女宮で何をするのか、他の候補者たちもいるのか、詳しいことは聞かされていない。
スカーレットの話では、恐らく王女と直接会うことになるか、実際に筆跡を見せることになるだろうとのことだ。
失礼がないように、ドレスはスカーレットとウィリアムが選んでくれたものを着てきたし(決めるのにひと悶着あった)、母の形見の文房具一式も鞄に詰めて持ってきた。
それをウィリアムに預け、彼の腕にそっと手をかける。
「行くか」
「はい。転んでしまったらごめんなさい」
「転んでもいないのに先に謝るな」
フッと笑う声が落ちてきて、リゼットもようやくくすりと笑うことが出来た。
***
王女宮に繋がる回廊を渡り切ったところで、ウィリアムは立ち止まった。
すぐ目の前には宮殿の入口を守る騎士と、受付に侍女らしき女性がいる。
「私はここまでだ。あそこの受け付けで名乗り、サインをすれば中に案内されるだろう」
鞄を受け取り、リゼットはしっかりとうなずいて見せる。
「ありがとうございます、ウィリアム様」
「お前なら大丈夫だ。私は宮廷の軍務局に顔を出してくる。用を済ませたら迎えに行くから、私が来るまで王女宮で待たせてもらえ。絶対に王宮内をひとりで歩かないように。いいな?」
「わかりました。道に迷ったら大変ですもんね。大人しくここでウィリアム様をお待ちしています!」
「……まぁいい。では、また後で」
お前ならできる、とリゼットの肩を叩き、ウィリアムは来たばかりの回廊を戻っていった。
広い背中が見えなくなり、リゼットは深呼吸し受付に向かった。
「リゼット・フェロー様ですね。お待ちしておりました。こちらにサインをお願いいたします」
侍女にピカピカの万年筆と入殿記録の表を渡される。来訪者名の欄にはすでに、二名の名前が記入されていた。
(すごい……おふた方とも、何て綺麗な筆跡なの)
特徴はまったくちがう筆跡だが、優劣をつけるのは不可能だと思うほど、どちらも美しい筆跡だ。
つい目を奪われ手が止まってしまったが、侍女が「いかがなさいましたか?」といぶかしげに尋ねて我に返った。
慌ててサインをし、中に通される。外宮は壮大な壁画や金銀で装飾され目が痛いほど煌びやかだったが、王女宮の中はもう少し落ち着いた雰囲気だ。
華美な装飾の代わりに、花があちこちに飾られている。華やかだが品があり、甘い香りに包まれた王女宮のほうがリゼットは好きだ。
スカーレットもここで王女時代を過ごしたことがあったのだろうか。
「リゼット・フェロー様がご入室されます」
侍女に促され中に入ると、やはりそこには先客が二名いた。
ひとりは窓辺に立っていた。少しくすんだダークブラウンの髪に眼鏡をかけた青年が、腕を組みながらこちらを値踏みするように見ている。
もうひとりはソファーに座る、チョコレート色の豊かな髪と、気の強そうな猫の目をした女性だ。リゼットをちらりと見ただけで、すぐに目を閉じた。
ふたりともリゼットよりいくつか年上に見える。デビュタント前のリゼットと違い、社交もこなす大人なのだろう。そして三蹟の弟子で、筆跡も素晴らしい。
雰囲気もリゼットよりずっと大人で落ち着いて見える。王女を指南するという役割なのだから、求められるのはいかにも子どもな自分よりも、どう考えても彼らのような人たちだろう。
(スカーレット様ごめんなさい……。私は選ばれないかもしれません)
スカーレットの代筆を続ける為には、王女の指南役となり、父のフェロー子爵に自立できる力があると認めてもらわなければならない。
絶対に認めさせてみせる! と意気込んでいたが、そう簡単に事は運ばないようだ。
選ばれなかったら、スカーレットは悲しむだろうか。いや、きっと彼女なら気にするなと笑う。他の方法を考えようと、励ましてくれるだろう。
いつの間にか足元を見ていたリゼットは、それを想像したあとぐいっと上を向いた。
(弱気になっちゃダメ。私はスカーレット様の弟子なのだから、堂々としていないと!)
しかしスカーレットは、絶対に王女の指南役になれ、とは言わなかった。
リゼットなら出来ると言ってくれたが、あれは恐らく実力を出し切ってこいという意味なのだろう。
(無理に自分を大きく見せる必要はないのだわ。私らしく、堂々としていればいい)
「あの、おふた方とも初めまして。リゼット・フェローと申します」
意を決して、リゼットはドレスをつまみ礼をとった。
彼らはライバルかもしれないが、敵ではない。それならば仲良くなっても問題はないだろう。
三蹟の弟子であり、素晴らしい筆跡のふたりには、聞いてみたいことがたくさんあるのだ。
「あなたがスカーレット・ハロウズの弟子ね。私はララ・モニエ。三蹟がひとりラビヨンの弟子よ」
「僕はルーク・ペシオ。師、カヴェニャークにはハロウズの弟子によろしく伝えるよう言われている」
挨拶を返してくれたふたりは、そろってじっと遠慮なくリゼットを見てきた。
「……どんな洗練された淑女かと思えば、まだ子どもじゃない」
「確かに子どもだ。小さいな。ここまで歩いてくるのは疲れたんじゃないか? 鞄を置いて座るといい。ラビヨンの弟子、侍女を呼んで紅茶を頼んでやれ」
「なんで私が? あなたがやればいいじゃない、カヴェニャークの弟子」
なぜかふたりは睨み合い、リゼットの前でバチバチと火花を散らし始めた。
どうやらふたりは良好な仲というわけではないらしい。元々知り合いなのだろうか。
「あの、大丈夫です。ありがとうございます」
「遠慮をすることはない。ラビヨンの弟子はもの言いはアレだがそこまで性格は悪くないはずだ。年長者は下に親切でなければ。それくらいは彼女もわかっているだろうから、素直に甘えることをお勧めする」
「は? もの言いについてカヴェニャークの弟子にとやかく言われる筋合いはないわ。大体会っていきなり年長者面をするのってどうなの? 余計なお世話でしかないからやめたほうがいいわよ」
しんと部屋が静まり返り、リゼットはどうして良いのかわからず固まった。
(良好ではないどころか、とてつもなく仲が悪いわ……!)
誤字報告、本当に本当にありがとうございます!
この後も更新予定です!




