第14話:パンの香りと、名前のない記憶
パン工房からの帰り道。
俺の頭の中では、ずっとぐるぐると考えが渦を巻いていた。
《観測外の存在》
《時の神の祝福》
《ユート=アムネジア》という、異常に似た名。
(……俺は、何者なんだ? 本当に“転生者”なのか?)
月明かりが差し込む中、ふと風に乗って香る“パンの匂い”。
懐かしい。けど……この匂い、前にもどこかで——
「……ユウト君?」
背後から声がかかった。アリシアだった。
何か言いたげな、けれど迷っているような、そんな目。
「私……知ってるかもしれない。“あなたの名前”を、昔聞いた気がするの」
「え?」
アリシアが差し出したのは、古文書の複写。
そこには、異世界の最果てで語られていた伝説の記録。
《ユート=アムネジア。世界の終焉に、運命を捻じ曲げた者。》
《人々の記憶から消え、名もなき英雄として風に溶けた》
その名前を見た瞬間——
脳裏に、何かがぶわっと押し寄せた。
——白い部屋。パンの香り。窓辺で笑う誰か。
その背後で、黒い影が迫る。
刃。叫び声。そして——
「……俺……あの時……何を……守ったんだ……?」
気づけば、膝から崩れ落ちていた。
目の前が揺れる。時間も空間も、軋んでいるような感覚。
「ユウト君!」
アリシアが肩を支え、俺の名を呼ぶ。
その声が、ようやく現実に引き戻した。
「……ごめん、ちょっと思い出しかけた」
「思い出した……何か?」
「わからない。でも、ひとつだけ確信した」
俺は立ち上がる。
「俺は……この世界の“予定調和”をぶっ壊すために、生まれ変わってきたんだ」
その瞬間、夜空が軋むような音を立て、星が一つ、砕けたように消えた。
──遠く魔王城にて。
「気づいたか、“ユート”……さあ、次は俺の番だ」
玉座の影が、立ち上がる。




