二十六話
電車を降りてから俺は走った。
天ヶ原さんにはあの後家で待っててと返信を打ち、それからはただひたすらに走った。
普段ろくに運動していないからか足はもう鉛のように重たく、肺がズキズキと痛み、息も苦しい。こんなことなら体育の授業をもっと真剣に受けておけばよかった。
でも今はそんなこと関係ない。例え足が千切れても、一分一秒でも早く彼女の元へ行かなくては。
気がつけばもう住宅街だ。この角を曲がれば天ヶ原さんが待っている。
早くっ! 早く君に会いたいっ!
角を曲がり、鈴木や田中の表札を越える。
そしてたどり着いた先は。
「…………やっと会えた」
天ヶ原さんは家の前にポツンと立っていた。
そして彼女の瞳が俺を捕らえる。
「ルシフェール様っ!」
天ヶ原さんが俺に駆け寄ってきた。そして俺の背中に腕を回し、強く抱きつく。
汗でずぶ濡れのTシャツが、じんわりと温かいもので更に濡れた。
俺は彼女を今すぐ抱きしめようと腕を伸ばしたが寸でのところで止める。まだ彼女を抱きしめる資格が俺にはないから。
「天ヶ原さん。俺……」
「もう……何も言わなくていいんです。何も……」
「天ヶ原さんっ!」
ギリギリで保っていた理性が感情の波に埋もれて、俺は思い切り彼女を抱きしめた。
「天ヶ原さん。俺君のことが好きだっ! 大好きなんだっ!」
何も言うななんて無理だ。ずっと我慢してきた。ずっと言いたかった。この気持ちを抑えることなんて出来ない。
「私も! 小野君のことが大好き! 大大大好きっ!」
お互い強く体を抱き合う。俺達の体温が混ざり合って一つになったような錯覚さえ起こした。それが嬉しくて、幸せで、出来ることならずっとこうしていたかった。
「天ヶ原さん。俺は君が思ってるより格好悪くてヘタレでその上君のことを傷つけた最低人間だ。それでも。こんな俺でもいいの?」
俺は確認の意味を込めて天ヶ原さんに問う。
天ヶ原さんは俺の顔を覗きこんで、涙で濡れた顔でにっこりと笑ってから。
「うん。小野君がいい。だって小野君は世界で一番格好よくて。素敵で。私の大好きな人だから」
心臓が一段と跳ね上がり、気持ちの昂ぶりは最高潮へと達した。ああもう。好きだ。大好きだ。天ヶ原さん!
もう、この先のことなんかどうでもいい。この幸せをいつまでも感じていたい。そう思ったときに右ポケットに違和感を感じた。
そうだ、俺は大事な物を忘れていた。
「天ヶ原さん。君に渡したい物があるんだ」
俺は名残惜しいが彼女から一旦離れ、ポケットから小箱を取り出し、天ヶ原さんに手渡した。伊集院さんからいつか役に立つからと貰った物だ。
多分、今がその時なんだと思う。
「小野君、これって?」
「いいから、開けてみてよ」
不思議そうな表情を浮かべながらも、天ヶ原さんは箱を開ける。その瞬間、彼女の瞳は大きく見開いた。
俺が彼女にあげたのは銀色の指輪だ。小さい指輪だがそこには『FOREVER LOVE』と文字が刻まれている。意味は永遠の愛。貰ったときは凄いいいじゃんと思っていたがいざ渡してみると恥ずかしいな。永遠の愛とか女の子が贈るならまだしも男が贈るのはちょっと重たいというか。
「ど、どうかな?」
そこのところが気になったので天ヶ原さんに聞いてみる。
「とっても素敵……綺麗……」
天ヶ原さんが左手の薬指に嵌めて、うっとりとした顔で指輪を見つめている。時折手を空にかざし、月明かりに照らされ、キラリと光った。
その顔を見れただけで俺は十分だ。今度伊集院さんにはちゃんとお礼を言わないとな。
いいや、伊集院さんだけじゃない。俺の気持ちに気づけたのは夏美のお陰だし、こうしてまた天ヶ原さんに会えるきっかけを作ってくれたのは國生さんだ。
断言しよう。俺に友達はいない。一緒にゲームをやったりくだらないことを話し合える人なんていない。でも、いなくても俺を支えてくれる人がいる。背中を押してくれる人がいる。少しでも応援してくれる人がいる。それでいいんだ。
俺はそんなことを考えてから、もう一度天ヶ原さんを見た。
彼女も俺のことを見ていて、お互いの視線がぶつかり合う。その瞳は潤んでいて、それが涙のせいだけではないということは直感的に分かった。
「こんなに素敵なプレゼント、ありがとうございます。とっても嬉しいです。でも、でもね。私強情な女だからもう一つだけ欲しいものがあって……」
天ヶ原さんは一瞬躊躇ったのか下を向いた。しかし、直ぐに俺の方を見て。
「キス、して欲しいです」
「天ヶ原さん……」
俺はそのまま彼女に近づいて、そっとか細い肩に両手を置いた。
天ヶ原さんは両目を閉じて、そっと唇を俺に向ける。
彼女の顔を見つめると、今まで出会ってからのことがフラッシュバックしてきて、彼女の様々な顔がコマ撮りのように頭の中で映し出される。
マスクで顔を隠し、つまらなさそうに携帯を弄る天ヶ原さん。ハンバーガーチェーン店でえっちな顔をしている天ヶ原さん。愛情たっぷりのお弁当を差し出してくる天ヶ原さん。夏美や國生さんに嫉妬してムスっとする天ヶ原さん。俺のせいで悲しい顔をした天ヶ原さん。
そして、とびきりの笑顔で俺の名前を呼んでくれる天ヶ原さん。
俺は世間で言うところの所謂中二病患者だ。
漫画やアニメが好きで、その世界に憧れて自らをルシフェールなんて名乗って配信している一般的に考えて痛い奴だ。
その上友達もいない。顔も冴えないので女の子からはモテない。格好ばかりのヘタレで馬鹿で大間抜け野郎だ。
――でも、そんな俺でも恋をする権利があるなら。
――そんな俺にも青い春が訪れるのなら。
俺はそっと唇を重ねて、目を閉じた。
心の中で永遠の愛を呟きながら




