9. 小さな芽吹き
ある朝、ロザリアは公爵邸の庭にいた。
先日の一言から、自分専用の小さな花壇と菜園を、クリストフに用意してもらったのだ。
かたわらには、庭師のバルテルと、息子のアントンが必要なものを納屋から運び出していた。
「バルテル、ありがとう。いろいろと教えてくださいね」
ロザリアがバルテルににっこりと笑いかけると、バルテルは緊張した面持ちで帽子を握りしめた。
「は、はい、お嬢様。私でよければなんでも聞いてください。何を植えるかは決められましたか?」
「まだ何も……春のお花をいろいろ書き出してみたんです。初めてだから、育てやすいものがいいのだけど……どれかおすすめはありますか?」
ロザリアはバルテルに書き出したメモを見せた。
パンジー、マリーゴールド、キンセンカ、ナデシコ、デージーなど様々な花の名前が書かれている。
「これならパンジーがおすすめですね、苗からなら扱いやすく、いろんな色があってお嬢様に楽しんでいただけるかと思います」
「ではそうしますね」
「明日苗をご用意しておきましょう。何色がよろしいですか?」
「そうですね……黄色や、白がいいです。ピンクもありますか?」
ロザリアはもう青は選ばなかった。
嫌いになったわけではない、ただこれまで色を選ぶときは、常にセドリックの目の色に合わせて青を選んできたのだ。
純粋に、自分の庭のことを考えて色を選んだのだ。
にこやかに会話が繰り返されているとアントンがひょこっと割り込んできた。
「お嬢様野菜も植えるの?」
「こら!アントン!」
焦るバルテルを横目にロザリアは笑って答えた。
「そうね、アントン手伝ってくれる?野菜はラディッシュを植えようと思うの。比較的早く収穫できると本に書いてあったから」
ロザリアは生まれて初めて、妃教育とは何の関係もない本を読んだ。
アンが持ってきてくれた、挿絵のついた野菜の本だった。
いろいろな野菜を眺める中で、鮮やかな赤色のラディッシュが目に留まったのだ。
アントンの背に合わせてかがみ、にっこり笑うロザリアを見て、アントンは嬉しくなった。
これまでロザリアは殆どの時間を王宮で過ごしていたため、アントンは会うことが珍しく、近寄りがたいお方だっただけに、美しいお姫様とお話できることに舞い上がっていたのだ。
「すみません、お嬢様。倅は礼儀を知らないもので……」
バルテルが頭を下げた。
「いいんです。アントンと庭仕事をすれば楽しそうだわ」
「おいらも楽しいと思うっ……」
ゴツンッ!
アントンの頭にバルテルの拳骨が入った。
「思います……」
泣きそうな顔でアントンが言い直した。
「バルテル、叱らないであげてください。アントンはまだ今のままでいいんですよ。でもアントン、もう少し大きくなったら、敬語の練習を一緒にしましょうね」
「はい!」
アントンはロザリアの優しさが嬉しかった。
その後バルテルがラディッシュの種を持ってきてくれたので、ロザリアは早速植えてみることにした。
初めて土を直接触ったロザリアは
「思ったよりふわふわしているのね」
と不思議な感覚を覚えた。
すると土が手から落ちたところにミミズが顔を出し、ロザリアは驚いて尻餅をついてしまった。
「お嬢様!」
アンやバルテルが駆け寄り起こすと、ロザリアのスカートは土で汚れてしまっていた。
「こんなこと初めてだわ」
汚れを嫌がるどころか、ロザリアは笑い出した。
「次からは私も、庭仕事のできる服を用意したほうがよさそうね」
「お嬢様……」
アンは久しぶりにみたロザリアの楽しそうな顔に、込み上げてくるものを必死に隠した。
そんなアンの様子には気づかないまま、ロザリア自身も初めて知る楽しさに胸を弾ませていた。
その後もバルテルやアントンに教えてもらいながら、ロザリアは作業を進めた。
躓いて道具を倒してしまったり、勢いよく水をかけすぎたり、勉強なら一度教わればなんでもこなしてきたロザリアらしからぬ小さな失敗を繰り返しては、ロザリアは笑っていた。
『失敗したのに、嫌ではない』
初めての感覚はロザリアには新鮮だった。
妃教育では、失敗すれば必ずやり直しを求められた。
「未来の王妃がそのようなことではいけません」
家庭教師たちから、そう言われることも少なくなかった。
でも庭師は
「最初から上手にできる人なんていませんよ」
「枯らしてしまうことだってあります」
と普通に笑う。
ロザリアは完璧でなくてもいい世界があることを、彼らに教えてもらったのだ。
しばらくして、三階の窓からクリストフとエンリエットが様子を見ていた。
土まみれのロザリアに二人は驚いた。
そしてそんな姿でもロザリアはとても楽しそうだ。
エンリエットは涙ぐんだ。
「あの子があんな風に笑うの……いつぶりかしら」
「あぁ……本当に幼い頃に見たきりだったかもしれないな」
エンリエットの言葉にそう答えると、クリストフは妻の肩を抱いた。
「私たちは、あの子のこんな顔をずっと忘れていたのかもしれないな。これからはあの子のやりたいようになんでもさせてやろう」
エンリエットは涙を流しながら大きく何度も頷いた。
それからロザリアは毎朝、自分から庭へ向かうようになっていた。
これまでとは違う理由の早起きだった。
まだ花は咲いていないが、自分の庭の小さな変化を見つけること自体が楽しかった。
苗を見つめながら思い出すのはエドワードとの約束だった。
「育ったら、見ていただけますか?」
「あぁ、もちろんだ」
ロザリアはいつかエドワードに見せられる日を思うとますます楽しくなった。
さらに数日経ち、土から小さな双葉が出ているのをロザリアが見つけた。
「アン! 見て。芽が出ているわ!」
自分でも驚くほど弾んだ声が出る。
アンがそんなロザリアを見て微笑んでいる。
何かをしなければならないから迎える朝ではなく、何かをしたくて迎える朝。
ロザリアは初めて、明日が来ることを楽しみにしていた。
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