8. 初めての選択
婚約解消から数日。
ロザリアは妃教育のない生活を送っているが、朝になると長年の習慣で早く目覚めてしまっていた。
『今日は何の授業だったかしら』と一瞬考えてから、
「あぁ……また。」
もう何もないことを思い出した。
朝食後、読書をしようと本棚を見ても、ここにあるのは歴史・政治・外交・礼法など「必要だから読んでいた本」ばかりで、今自分が読みたいものがわからない。
そこへアンがお茶を運んできた。
アンはここ数日、抜け殻のようになったロザリアを心配していた。
「お散歩でもなさいますか?」
「お菓子を召し上がりますか?」
など提案するがロザリアは、
「そうね」
と気のない返事をするばかり、何をしたいのか決められないでいた。
急に始まった自由な時間をロザリアはどう使えばいいのかわからなかった。
幼い頃から朝から晩まで、国のため、セドリックのため、決められたスケジュールを必死にこなしていたロザリアは、そもそも、「自分のために何かを選ぶ」ということ自体を教えられてこなかったのだ。
数日後、クリストフの元へ、エドワードから訪問の先触れが届いた。
手紙にはロザリアを心配する文面が添えられていた。
クリストフは親友からの気遣いに嬉しさを感じつつも、セドリックの父親でもあるエドワードを、今のロザリアに会わせてもいいものかと戸惑っていた。
「ロザリア、陛下がお前を心配しておられてな、明後日、顔を見に来るとのことだ。大丈夫か?つらければ無理しなくても……」
「いえ、心配していただけるのはありがたいことですわお父様。陛下をお迎えする準備をいたしましょう」
覇気のない笑顔でそう答えたロザリアは、それでも背筋を伸ばし凛と立って返事をした。
ロザリアにとって王家に関わることは当然であり、断るという考え自体がなかった。
しかし部屋に戻ったロザリアは少し後悔をしていた。
『今の私でどんな顔をして陛下にお会いしたら良いのか』
自分には何もないのだと痛感すればするほど、ロザリアは自信を失っていった。
「私なんかに時間を割いていただくことはないのに」
「いいえお嬢様、国王陛下はそのご身分以前に旦那様の親友でもあり、お嬢様を幼い頃から見てこられた方です。今でもお嬢様を娘のように思ってくださっているのではないでしょうか」
アンの言葉にロザリアは温かいものを感じた。
小さい頃からロザリアを優しく見守る、エドワードとジュリエットの眼差しを思い出した。
元婚約者の父親という以前に、自分にとってはかけがえのない存在の一人なのだ。
それを思い出した時、自分を卑下していた心が少し軽くなった。
予定通り、エドワードはヴァロア公爵家を訪れた。
国王陛下の訪問は、クリストフとの関係上よくあるとはいえ、使用人たちにとってはこの上なく緊張の瞬間である。
王家の馬車を、ヴァロア公爵家の一同と、その後ろにずらりと並んだ使用人たちが出迎えた。
「クリストフ、出迎えをありがとう。エンリエットも突然の訪問ですまないね」
「国王陛下にエンリエット・ヴァロアがご挨拶申し上げます。とんでもございませんわ陛下。我が家をいつも気にかけていただき、感謝しております。なぜこのようなお優しい方から……あ、いえ、失礼いたしました」
エンリエットはにっこりと笑っている。
妻が吐き出したわずかな棘に、クリストフの顔は青ざめた。
「お、おい……」
「かまわぬ。改めて、愚息の行いは何度謝罪しても足りぬ。エンリエット、君の気持ちはよくわかる。今後も遠慮なく我に言葉のナイフを向けることを許そう」
「ありがとうございます。そういたします」
『お願いだから、そういたさないでくれ……』
クリストフは物おじしない妻に冷や汗を流した。
ひと通りの挨拶を済ませたエドワードの視線が、ロザリアで止まった。
「ロザリア」
「はい、陛下」
「……少し痩せたか?」
「そうでしょうか」
視線を落としたロザリアに、エドワードは優しく語りかけた。
「今日は貴族令嬢に流行っている菓子をいくつか用意させた。一緒に楽しんでくれるか?」
『あぁ、この方は心底お優しい方なのだ』
ロザリアはエドワードの気遣いに心を温かくした。
ヴァロア公爵家には、王家の薔薇園にも引けを取らない広大な百合園がある。
一行は百合園の東屋へ移り、しばし穏やかな時間を過ごした。談笑の合間には、国政について意見を交わす場面もあった。
「少し二人で歩かないか」
エドワードに誘われたロザリアは、庭園の中を二人でゆっくり散歩をした。
「改めて、申し訳なかった」
「陛下のせいではございません」
「しかし今日、君の様子が以前とは違うことが、どうしても気になってな……。最近は何をして過ごしている?」
「あ……」
ロザリアは言葉に詰まった。
そして遠慮がちにゆっくりと口を開いた。
「何をすればいいのか……わからないのです」
エドワードは一瞬、ロザリアの言葉の意味を理解できなかった。
「好きなことをすればいいのではないか?」
当たり前の返答にロザリアは目を逸らしながら答える。
「私は、自分が何を好きなのかも知らないのです」
その瞬間エドワードは、ロザリアがこれまで王家のために費やしてきた年月の重さを、改めて思い知らされた。
まだ十六歳の少女が、自分の好きなものさえわからなくなるほど、王太子妃となるために多くの時間を費やしてきたのだ。
そしてその未来を失わせたのは、自分の息子だった。
エドワードは自責の念を感じながらも、ロザリアに寄り添わなければと考え、真っ直ぐロザリアを見つめた。
「では、これから探せばいい」
「探す……?」
ロザリアは戸惑っていた。
「王太子妃になるために必要なことではなく、ロザリア自身が楽しいと思えることを一つずつ試せばいい。まだ十六歳だ。知らないことがあって当然だろう。いろいろなものに触れて、これから見つけていけばいい」
「知らない」ということを許されてこなかったロザリアにとって、エドワードの言葉は新鮮だった。
「では、まず何をしてみたい?」
「そ……そうですね。えっと……」
「今日でなくていい。明日でも、来月でもいい。君が自分で選べばいい」
「考えてみます」
二人は微笑みあった。
エドワードの帰り際、一同は再び馬車まで見送るために歩いていた。
その道中、庭師の息子アントンが、小さな苗を大事そうに抱えながら、物陰から国王を覗いている姿が目に入った。
『アントンたら……』
思わず笑みをこぼしたロザリアの視線が、アントンの抱える苗に止まった。
その瞬間、ふと一つの考えが浮かんだ。
「陛下」
エドワードが振り返る。
「私、花を育ててみたいです。野菜でもいい。育ったら、見ていただけますか?」
少し光を取り戻したロザリアの瞳を、エドワードはじっと見つめた。
「あぁ、もちろんだ」
その日、ロザリアは初めて、自分のためにすることを一つ選んだ。
お読みいただきありがとうございます!
ブックマークや評価をいただけると励みになります★




