7. 私には何もない
「今宵の夜会はこれまでとする。皆の者、悪いが今日は下がってくれ」
ロザリアの悲痛な面持ちを鑑みて、エドワードはそう告げた。
セドリックとアメリアだけが不満げだった。
「父上なぜですか! せっかくアメリアもこんなに着飾ってきたのに!」
事態を何もわかっていないセドリックは、この期に及んでまだアメリアのことばかり気にしている。
「二人を別室へ」
エドワードが命令すると、側近たちはセドリックとアメリアを近くの部屋へ誘導した。
「クリストフ、ロザリアを少し休ませてから帰るといい。あやつらと顔を合わせない部屋へ案内させよう」
エドワードの気遣いに、ロザリアは真っ直ぐ彼を見つめた。
「陛下、お気遣い痛み入ります。余計な心配をおかけしてしまい、申し訳ございません」
こんな時にまで気丈に振る舞うロザリアを、エドワードも家族も案じていた。
そんなロザリアを、アメリアは別室へ移動させられながら観察していた。
『何よあれ、囲まれちゃって……私が新しい王太子妃なのに!』
しかし、セドリックと結婚さえすれば、自分はロザリアより上の立場になる。アメリアは勝ち誇った気分で、ロザリアを見つめていた。
背中に視線を感じながらも、ロザリアは振り向くことなく来賓室へ向かった。
ソファに腰掛けるとアンから水を渡される。
案の定、アンは怒っていた。
グレンもクリストフも、これ以上ないほどに怒っている。
エドワードはセドリックとアメリアの元へ先に行き、一言だけ告げた。
「勝手な婚約破棄は正式決定ではない。それだけ覚えておけ」
セドリックの反論を待たずに、エドワードはロザリアの元へ急いだ。
「ロザリア!」
「陛下……」
「息子が……すまない……」
深々と頭を下げるエドワードに、それまで冷静に見えていたロザリアが、初めて焦った様子を見せた。
「陛下おやめください。私は大丈夫です」
泣きも、怒りもしないロザリアに、エドワードたちは胸を痛めた。
「君が望む詫びをさせてくれ。何でも言ってほしい」
エドワードは心の底から申し訳なさを感じていた。
幼い頃母親を亡くしてしまったとはいえ、時に厳しく、常識のある立派な世継ぎとなるよう育ててきたはずだ。
なぜあんな嘘を平気で信じ、婚約者を人前で侮辱するような真似ができるのか、一体どこで間違えてしまったのか……。
今ほどジュリエットの助けが欲しいと思ったことはなかった。
自分のできることを考えているエドワードに、ロザリアは困ったような顔で微笑んだ。
「私は本当に大丈夫です。どうか今はそっとしておいてくださいませ」
これ以上エドワードは何もいえなかった。
ロザリアは父と兄に連れられて馬車で帰宅した。
体調を崩し留守番をしていた母のエンリエットは、帰宅の早さと空気の重さに言葉が出なかった。
クリストフから事情を聞いたエンリエットは、すぐにロザリアの部屋へ向かった。
「ロザリア……さあおいで、頑張ったわね」
母にそっと抱きしめられ、ロザリアは初めて涙を流した。
自分の11年はなんだったのか。
子供らしく遊ぶことも、自由にものを考えることも諦め、国を支える存在となるために尽くしてきた時間。
恋ではなかったかもしれないが、確実に愛はあった。
セドリックと共に歩みたいと思っていた。
だからどんな時も乗り越えてこられた。
それなのに今の彼は、二人の関係を単なる政略結婚だと言い切ったのだ。
母の胸で泣きながら、ロザリアはいつしか眠りについていた。
翌朝、ロザリアは父の執務室へ呼ばれた。
そこには兄も母もいた。
「我がヴァロア公爵家は、婚約解消を受け入れ、正式に王家へ抗議することを決めた」
冷静に、でも強い口調で、クリストフはロザリアへ報告した。
「あのような男に、大事な娘をやることはできん」
父のその言葉に、ロザリアは胸がいっぱいになった。
自分も、もうセドリックへ嫁ぐことは考えられなかった。
自分の心を守ろうとしてくれる家族がいることが、何より嬉しかった。
後日、王家との話し合いの末、正式に婚約解消が決定された。決定が下された瞬間、セドリックは安堵したような表情を浮かべた。
クリストフははらわたが煮えくり返る思いを抑え、その場では冷静に振る舞った。
クリストフは帰宅早々にロザリアへ結果を告げた。
「もう今日から、王城へ行く必要はない。家で勉強する必要もない。11年間すまなかったな」
クリストフの言葉に、ロザリアはハッとした。
ロザリアは毎日を妃教育に費やしてきた。
婚約を解消したということは、これまで当たり前だった日々の全てがなくなるということだ。
自室へ戻り、椅子へ座る。
静かな時間が流れる。
ふと時計を見ても、まだ5分も進んでいない。
「何も……しなくていい……」
ロザリアが呟いた。
そこへアンがやってきた。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
静かな空間に、紅茶の香りが漂う。
「ねえ、アン」
「いかがなさいましたか?」
「私……何をしたらいいのかしら……」
「え……」
アンの動きが止まった。
慌てて答える。
「何かお好きなことをされればいいと思います。時間はたくさんありますよ」
「好きなこと……」
しばし考えたのち、ロザリアはため息をついてこう答えた。
「私には……何もないの」
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