45. フェリシアの日記③
今日は、テオドールと私の結婚式。
この国の花嫁衣装は真っ白だった。アウレリア姉様の結婚式で見た、色鮮やかで豪華な衣装とは大違いだ。
黒い礼服に身を包んだテオドールは、いつにも増して美しかった。
私を愛おしそうに見つめるその瞳を、いつまでも見ていたかったのに、神父様から「こちらを向きなさい」と注意されてしまった。
誓いの言葉で、彼は私の笑顔を永遠に見つめていたいと言ってくれた。
さっきまで私も同じことを考えていたのに。
それに、彼も私に一目惚れしたのだという。
私たちは、あの日から運命の糸で結ばれていたのかもしれない。
とうとう出産の日がやってきた。
あまりの痛みに、何度も死んでしまうかと思った。
テオドールの母様が最後まで励ましてくださり、無事に女の子が生まれた。
赤ちゃんを抱きしめたテオドールは泣いていた。
私たちは娘に、「ヴァレリー」と名付けた。
小さな手も、柔らかな頬も、眠っている顔も、何もかもがかわいくて仕方がない。
子育てはできるだけ自分でしたいと言うと、屋敷の人たちに驚かれた。
けれど、私はこの子の成長を一番近くで見ていたかった。
ヴァレリーは外で遊ぶのが大好きな子に育った。
歩けるようになってからは庭を走り回り、テオドールには私に似ておてんばになるだろうと言われた。
本当に目が離せなくて大変だけれど、楽しそうに走るあの子を見ているだけで幸せな気持ちになる。
ヴァレリーの熱が下がらない。
医師はただの風邪だろうと言っていた。
けれど、何日経っても熱は下がらず、嘔吐を繰り返すようになった。
何度診てもらっても原因がわからず、日に日に悪くなっていく。
あんなに元気だった子が、今では起き上がることもできない。
小さな体で苦しんでいる姿を見るのがつらい。
代わってあげたい。
私が代わりに苦しめばいいのに。
今日、プリシラ姉様から手紙が届いた。
隣国を経由して届けられた手紙には、震えるような文字でこう書かれていた。
【その子を眠らせたままにしないで。すぐに別の医師に診せて】
私は急いでヴァレリーの部屋へ向かった。
けれど、もう遅かった。
あの子は、二度と目を覚まさなかった。
かわいいヴァレリー。
お母様が悪いの。
もっと早く別のお医者様に診てもらっていれば、何か変わっていたかもしれない。
あんなに小さな体で苦しんでいたのに、助けてあげられなかった。
ごめんなさい。
愛しているわ、ヴァレリー。
もう一度だけ、あなたを抱きしめたい。
テオドールは私の前では涙を見せない。
けれど、私は知っている。
夜中、私が眠っていると思って、声を殺して泣いていることを。
ごめんなさい、テオ。
あなたの大切な娘を、守ってあげられなかった。
私はプリシラ姉様にも手紙を書いた。
姉様はきっと、ヴァレリーの最期を夢で見たのだろう。
私がこの国を選ばなければ、姉様のそばにいられたのかもしれない。
あの子を救えたのかもしれない。
そんなことばかり考えてしまう。
屋敷の中は、ずっと静かなままだ。
あの子の笑顔は、私たちみんなの光だった。
ヴァレリーが亡くなってから二年が過ぎた。
テオドールが旅行に連れていってくれた。
久しぶりに、心から笑えた気がする。
けれど、今でも時々、あの子の後を追いたくなる。
お母様も一緒に連れていってほしかった。
そんなことを考えるたび、テオドールは黙って私の肩を抱いてくれる。
本当に温かい人。
今日で、ヴァレリーが亡くなって三年になる。
喪服に着替え、テオドールの部屋を訪ねた。
彼は机の前に座り、短剣を自分の胸へ向けていた。
「……テオ?」
彼は私を見ると、涙をこぼした。
「僕があの子の苦しみに気づいてあげていれば……代わってあげられていたら……」
私は駆け寄り、彼の手を握った。
「テオ、お願い。それを置いて」
彼は震える手から短剣を離した。
私は彼を抱きしめた。
ずっと、私の前では泣かないようにしていた人。
本当は、こんなにも苦しんでいたのね。
「あなたのせいじゃないわ」
「君のせいでもないよ、フェリシア」
私たちは抱き合い、何度も泣いた。ヴァレリーの思い出を語り、互いの悲しみを分け合った。
その夜、私は彼を抱きしめ、口づけた。
お互いの悲しみを溶かし合うように、私たちは夜を明かした。
信じられないことに、新しい命が私のお腹に宿った。
テオドールは涙を流して喜んだ。
「この子が、僕たちにもう一度生きる意味を与えてくれたんだね」
ヴァレリーを忘れたわけではない。
あの子は、いつまでも私たちの大切な娘だ。
けれど、もう一度前を向いて生きていこうと思えた。
元気な男の子が生まれた。
「パトリック」と名付けたその子は、テオドールによく似ていた。
成長するにつれて体も丈夫になり、元気いっぱいに育っていった。
この子は、ローゼンベルク家に再び光を灯してくれた。
まるで天使様のような子。
五歳になったパトリックには、ヴァレリーのことを話した。
あなたには、美しいお姉様がいたのだと。
一緒にお墓参りをすると、パトリックは小さな花束を供えた。
「ヴァレリーおねえさま、ぼくはパトリックです」
私は涙をこらえながら、パトリックの小さな背中を見つめていた。
プリシラ姉様からは、今でも時々手紙が届く。
古くから、あの力はその直系の子孫にのみ受け継がれると言い伝えられている。
だからこそ、姉様は結婚も出産もしないと決めたそうだ。
幼い頃から恐ろしい夢に苦しめられていた姉様。
災害、病、事故、誰かが亡くなっていく夢ばかりを見るのだという。
日に日に、そんな夢を見る日が増えていくと。
こんな思いを子孫にさせるわけにはいかないのだと。
どうか、姉様が穏やかに眠れる日が訪れますように。
今日、アウレリア姉様から手紙が届いた。
プリシラ姉様が亡くなったという。
長い間、恐ろしい夢に苦しめられ、最後には自ら命を絶ってしまったそうだ。
もう二度と夢を見たくない。
そう言い残していたという。
私は手紙を抱きしめて泣いた。
プリシラ姉様。
もっとそばにいてあげたかった。
私は自分の幸せを追い求めて、この国へ来た。
その間、姉様はずっと一人で苦しんでいたのだろうか。
私はもう故郷へ帰れない。
姉様のお墓に花を供えることさえできない。
最後に会った日のことを思い出す。
港へ行かないでと、泣きながら私を引き止めていた姉様。
あのとき、姉様は何を見ていたのだろう。
ごめんなさい、プリシラ姉様。
どうか、今度こそ穏やかに眠ってください。
パトリックが父親になった。
小さな孫を抱きながら、私は時々不安になる。
もし、いつか私の子孫に、プリシラ姉様と同じ力が現れたら。
その子は、姉様と同じ苦しみを背負うことになるのだろうか。
本当に、あの力は限られた血筋にしか現れないのだろうか。
その子が苦しんだとき、誰かがそばにいてくれるだろうか。
そんなことを考えるようになった。
肺炎を患ってから、寝台で過ごす日が増えた。
医師からは、もう長くないだろうと言われている。
テオドールは仕事にも行かず、ずっと私のそばにいてくれている。
その美しい顔で、心配そうに私を見つめている。
ああ、随分長く生きたものね。
あの日、海の向こうに何があるのだろうと夢見ていた私は、たくさんのものを知った。
幸せも、悲しみも。
そして、愛する人と生きる喜びも。
この日記は、いつか誰かに読んでほしい。
父様との約束を破ることになるのは分かっている。
それでも、もし私の子孫に、プリシラ姉様と同じ力が現れることがあれば。
どうか、その子を支えてあげてほしい。
恐ろしい未来を見たとしても、一人で抱え込ませないで。
その子が苦しんでいるときは、手を握ってあげて。
どうか、プリシラ姉様のように、孤独な思いをさせないでほしい。
これが、私の最後の願いです。
窓の外から、柔らかな陽の光が差し込んでいる。
テオドールが、私の手を握ってくれた。
あの日、海の向こうへ連れていってくれた、大好きな人。
随分と年を重ねたけれど、その青い瞳は今も変わらず美しい。
「テオ、私、あなたと出会えて幸せだったわ」
そう伝えると、彼は私の手を強く握り返してくれた。
「僕もだよ、フェリシア」
ああ、私は本当に幸せだった。
もう一度人生をやり直せるとしても、きっと私はあの日、あなたの手を取るでしょう。
たとえ、その先にどんな悲しみが待っていると知っていても。
私は何度でも、あなたと出会いたい。
お読みいただきありがとうございます!
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