4. 今は私の声を聞いて
――さらに二年後
元々体の弱かった王妃ジュリエットが病に倒れ、寝室から出られなくなった。
七歳になったロザリアは、妃教育の合間、頻繁にジュリエットのお見舞いに訪れていた。
「ロザリア、勉強は進んでいますか?」
ジュリエットの問いに、ロザリアは両手でその手を包み込みながら答えた。
「はい、王妃様。王妃様が教えてくださった勉強法がとても役に立っております。もう周辺国の歴史も言えますのよ」
ジュリエットは弱々しく微笑むと、ロザリアの手を握り返した。
「早く……良くなってください。私は王妃様にまだまだ教えていただきたいことがございますから」
ロザリアは俯いて続けた。
「時々、不安になるんです。王妃様のようになれるのか……何度も叱られて正解がわからなくなります……」
ジュリエットはできる限りの力でロザリアの手をさらに握った。
「私も同じだったわ。妃教育は厳しくて、何度も何度も逃げ出したくなった。それでもまだ何も分からないまま王妃になって、王太后様に支えていただきながら、なんとかここまでやってきたのよ」
ゆっくりと話すジュリエットをロザリアは真剣な眼差しで見つめていた。
「そういえば……王太后様も逃げ出したことがあるそうよ」
ジュリエットがクスッと笑う。
「王太后様が!」
ロザリアは目を丸くして驚いた。
そんなロザリアの可愛い表情をジュリエットは愛しく見つめていた。
「辛い時は……そうね、歌を歌うのはどうかしら。前に教えたオペラの歌、覚えているかしら。」
「あ……『春を待つ花』ですね!」
ロザリアは出だしを少し歌った。
「そう、それよ。つらい時に歌うの。今がどんなに苦しくても、冬は永遠に続かないでしょう。そうして、いつかあなたが王太子妃になったら、今度は私と二人で、セドリックと陛下をお支えしましょうね。この国を……もっと素敵な国にしましょうね……」
ジュリエットの声がどんどん小さくなっていく。
「元気になったら……また……薔薇園でお茶をしましょう……」
そう言うとジュリエットは、疲れ切ったように静かに目を閉じた。
「はい、必ず」
ロザリアは眠るジュリエットに向かい力強く返事をした。
これが二人の最後の会話となった。
それから三日後、若く美しく、国中の憧れだった王妃はその短い生命の幕を閉じた。
エドワードは最愛の妻を失い、深い悲しみに沈んでいた。
十六歳という若さで即位した自分を、すぐ側で支え、共に未来へ進んでいたはずのジュリエットはもういない。
どんな小さなことも、その愛らしい笑顔で喜んでいたジュリエットは、表情を浮かべぬ姿のまま、冷たい土の中へ埋葬された。
しかし王が独身となったことで、喪が明けるのを待つことすらせず、王城では早くも再婚についての噂が飛び交い始める。
有力貴族たちは、
「次の王妃には我が娘を」
「陛下には新たな妃が必要だ」
と身勝手に囁き合う。
エドワードの耳にも当然その声は届いていた。
妻を失ったばかりだというのに、周囲がもう“次の王妃”の話をしている。
エドワードはそれに心底うんざりし、反論する気力さえなく、死んだような目で毎日をやり過ごしていた。
その日、王城へ妃教育を受けに来ていたロザリアは、侍女を連れて廊下を歩いている途中、数人の貴族たちが耳を疑うような話をしているところに出くわした。
「喪が明けた後、最初の夜会が肝心だ。そこで我が娘を陛下のお目に留めることができれば、次の王妃の座も夢ではない」
――なんと下品な人たちなのだろう。
あまりに無礼な言葉に、ロザリアが黙っていられず一歩踏み出した、その時だった。
侍女のアンが腕にそっと手を当てたのだ。
「お嬢様、ここは我慢を……。あのような者たちと話す必要はございません。道を変えましょう」
有力貴族たちとの対立を避けさせたいアンの不安を感じ取ったロザリアは、納得できない思いを抱えながらも、アンに従って踵を返した。
その時少し先の角のところに、エドワードが背を向けている姿を見つけた。
エドワードもまた、心無い声を聞いてしまったのだ。
エドワードは庭園へと続く扉から外へ出ると、近くにあったベンチへ腰掛け、項垂れた。
ロザリアはそんなエドワードの姿を見ると後を追い、正面に立つと小さな両手で彼の耳をそっと塞ぐ。
「陛下、私があなたを支えます。ジュリエット様と約束したから。一緒に陛下を支えましょうって。だから嫌なことは聞かないで、今は私の声を聞いてください」
小さなレディの気遣いに、エドワードは驚き固まった。
ロザリアは手を離すと少し考えてから、
「ジュリエット様とお歌を練習したの。妃教育がつらくなったら、歌って乗り越えるのよって」
と言い、ジュリエットから教わった歌を歌い始めた。
ジュリエットがロザリアに教えたのは、若き日のジュリエットとエドワードが初めて二人で観に行ったオペラの一曲。
エドワードの耳に心地よくロザリアの歌が流れ込んでいく。
妻との記憶が鮮明に蘇り、エドワードは堪えていた涙を流した。
思わず幼いロザリアを抱きしめ、声を殺して泣いたエドワードを、ロザリアは何も言わず、その背中に小さな腕を回した。
この出来事を、エドワードは生涯忘れることはなかった。
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