37. それぞれの思惑
そして、その日の夕刻。
王宮から戻ったダノン侯爵は、自邸の執務室へ入るなり、扉を閉めた。
それまで顔に貼りつけていた笑みは、すでに消え失せていた。
「……陛下も、なかなか抜け目のないお方だ」
ダノンは机の上にあった書類を、苛立ちに任せて払いのけた。
あと一歩だった。
セドリックはすっかりその気になっていた。
アメリアも侯爵令嬢になれると喜んでいた。
あとは国王の承認さえ得られれば、いずれ王太子の義父という立場を手に入れられたというのに。
それが、まさか別の貴族を用意するなどという方法で阻まれるとは。
ダノンにとって、まったく予想していなかった展開だった。
「せっかく、あの二人をうまく取り込めたと思ったものを……!」
苛立ちを抑えきれず、ダノンは机を強く叩いた。
乾いた音が、静まり返った執務室に響いた。
何より腹立たしいのは、国王の判断に反論する余地がないことだった。
アメリアの幸せを願っているという建前を、自ら掲げてしまったのだ。
別の貴族が養親になることで彼女の立場が安定するのであれば、喜んで受け入れるしかない。
国王は、その建前を逆手に取ったのである。
「……忌々しい」
ダノンは奥歯を噛み締めた。
だが、ここで感情のままに動くわけにはいかない。
国王の意向に逆らえば、かえって警戒を強められるだけだろう。
ダノンは深く息を吐き、椅子に腰を下ろした。
失ったものは大きい。
しかし、すべてが終わったわけではなかった。
セドリックとの関係まで断たれたわけではないのだ。
「……まだ、手はある」
ダノンはしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口元を歪めた。
王太子がいずれ王位を継ぐという事実は、変わらない。
ならば、別の方法でその傍らに立つ道を探せばよいのだと考えた。
「このままで終わると思うなよ……」
薄暗い執務室に、ダノンの低い声が落ちた。
ーー数日後。
王宮を訪れていたダノンは、廊下の向こうから歩いてくるロザリアの姿に気づいた。
「これは王妃陛下。本日も大変お美しくいらっしゃいますな」
ダノンは恭しく頭を下げると、ロザリアを舐め回すような視線で見つめながら、ゆっくりと顔を上げた。
ロザリアはその視線に気づき、一瞬だけ冷ややかな目を向けた。
「ごきげんよう、ダノン侯爵」
「新たな御子のご誕生、今から楽しみでございますな。もっとも……王家に新たな御子がお生まれになれば、心穏やかでいられぬ者もおりましょうが」
ロザリアはダノンを静かに見つめた。
「私たちは、ただ無事に生まれてきてくれることを願っております。それだけですわ」
ロザリアはダノンの言葉に嫌な含みを感じた。
しかし、それ以上言葉を交わすつもりはなく、ロザリアは静かにその場を後にした。
ダノンは通り過ぎるロザリアに一礼し、背中を見送ると小さく舌打ちをするのだった。
しばらくして、ダノンは王宮内でアメリアと顔を合わせた。
「これはアメリア嬢。お久しぶりですな」
「ダノン侯爵様!」
ダノンはロザリアの時と同じようにアメリアにもいやらしい視線を送っていた。
アメリアはその視線に気づき口角を上げた。
宿屋で色んな男の視線を浴びてきた彼女にとっては、慣れっこだった。
むしろ自分の味方を増やす好機だとさえ思えた。
「このたびの養子縁組の件、私としても残念に思っております」
ダノンは大袈裟に手振りを加えて嘆いてみせた。
「このたびはご縁がありませんでしたが、私がアメリア嬢を案じる気持ちは変わりません」
ダノンは穏やかな笑みを浮かべ、アメリアの肩に手を置いた。
「何かお困りのことがございましたら、いつでも私をお頼りください」
アメリアはその手を振り払うことなく、その上に自分の手を置いた。
「ありがとうございます、ダノン侯爵様。私、王宮内にはまだ親しく話せる方が少ないんですの。お気持ちが嬉しいですわ」
そう言うと、ダノンににっこりと笑ってみせた。
可愛らしい笑顔の中に艶っぽさを感じ、ダノンは思わず唾を飲み込んだ。
「そ、それはさぞお寂しいことでしょう! 私でよければ何なりとご相談ください! 我が娘も近々ご紹介させていただきます。年頃も近いことですし、きっとよいお話し相手になれるでしょう」
「まあ! ダノン侯爵様、それはとても嬉しいですわ♪ ぜひお願いいたしますわ!」
二人は、互いに相手を取り込もうとしていることに気づいていなかった。
アメリアと別れたダノンは、一人廊下を歩いていた。
養女に迎えるという計画は失敗に終わった。
だが、アメリアとのつながりが消えたわけではない。
『あの調子なら近づくことは容易であろうな』
ダノンは、誰にも見られぬよう口元に笑みを浮かべた。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる!」と思っていただけましたら、
★で応援していただけると嬉しいです!
ブックマークも励みになります。




