21. 約束
白いモヤの中を、ロザリアは歩いていた。
辺りを見渡しながら前に進んでいくロザリアは、不思議と怖くはなかった。
一瞬の眩しい光に包まれモヤが晴れた時、目の前に現れたのは、王宮の薔薇園だった。
もう長い間、足を踏み入れていない場所。
そこにある白亜のガゼボには、にっこり笑ってこちらを見つめる人がいた。
「ジュリエット様……」
ジュリエットがロザリアを手招きしていた。
ロザリアがゆっくり近づくと、ジュリエットが左手を差し出し、ロザリアの手を握った。
目の前のジュリエットは、病床に臥せる前の美しく明るい表情をしていた。
ジュリエットは何も言葉を発することなく、ロザリアの目をじっと見つめて微笑んでいる。
「ジュリエット様……私を、お叱りにいらっしゃったのですか? 私は……陛下を……」
ジュリエットが両手でロザリアの手を握り直した。
「あなた自身の花が咲く頃ね。冬は明けたわ。覚えているでしょう? あなたと私で交わした約束を」
ジュリエットがやっと口を開いた。
それに続くようにロザリアが答えた。
「二人で……陛下を支え続けましょう……」
ロザリアの目から自然と涙が溢れ出した。
それと同時に強い風が吹き、ロザリアは目を開けることができなくなった。
霞む視界の中、ロザリアは必死に叫んだ。
「ジュリエット様っ!! 私……必ず、約束を果たします!!」
風に煽られ、目が開けられないまま、ロザリアはその場に倒れた。
――次に目を開けた時、そこは見知った天蓋だった。
右手に暖かいぬくもりを感じて、そっと視線を落とす。
エドワードが、今にも泣きそうな顔でロザリアの手を握っていた。
「ロザリア……よかった……」
エドワードの体から力が抜け落ちていくのが見て取れた。
「陛下……私……どうして……」
そこまで言ってロザリアはハッと息を呑んで辺りを見渡した。
「アン! アンは……!?」
エドワードは青ざめるロザリアの手を、軽くポンポンと叩いた。
「君の侍女は無事だ。傷は深かったようだが、幸い一命は取り留めたそうだ。別の部屋で療養している。君はあれから三日間眠っていたんだ」
ロザリアは涙を浮かべた。
「よかった……アン……」
エドワードはさらに強くロザリアの手を握って、彼女の顔を覗き込んだ。
「君も、無事でよかった」
ロザリアは、心の底から安堵しているその優しげな目を見つめていると、心のままに想いが溢れた。
「陛下……あなたを愛しています」
エドワードは信じられないという顔をしていた。
ゆっくりとロザリアの言葉がエドワードの胸に染み込んでいく。
「ロザリア……私も愛しているよ。君を誰にも渡したくない。ずっと私のそばにいてほしい」
エドワードはそう言うと、ベッドへ体を乗り出してロザリアを抱きしめた。
二人の思いが一つになった瞬間だった。
そんな二人をレイモンドとクリストフがドアの隙間から見ていた。
「……勝ち目なさそうです」
レイモンドがぼそりと零すと、クリストフは慰めるように肩に手を置いた。
「すまないな」
レイモンドは「また改めて」とだけ告げ、その日は帰っていった。
そんな彼を見送ったのち、クリストフとエンリエットはロザリアの部屋へ入っていった。
手を握り合いお互いを見つめる二人に近づくと、クリストフは咳払いをした。
「まあ……ちょっと歳がいってるが、悪い奴ではないしな。許してやってもいいぞ」
なんとも言えない顔をしているクリストフの横で、エンリエットはにこにこしていた。
「私はこうなると思っていたわ」
「えっ……」
クリストフがいぶかしげな顔をした。
「なんで……」
「親だもの。見てればわかりますよ。……あら、あなたはわからなかったの?」
妻の得意げな顔に、クリストフはたじたじになった。
そんな二人の様子を見て、ロザリアとエドワードは顔を赤くしてお互いを見ながら笑っていた。
翌日、ロザリアはレイモンドを呼び出した。
「こちらから出向くべきなのに、お呼び立てをしてごめんなさい」
ベッド上で体を起こして座っているロザリアに、レイモンドは優しい笑顔を向けた。
「あんなことがあった後だ、仕方ないよ」
レイモンドはベッドの脇にある椅子に腰掛けた。
何を言われるのかわかっていたのだろう。レイモンドはなるべく平静を装い、ロザリアを見つめていた。
「婚約の申し込みを……お断りさせてください」
レイモンドは表情を変えずにロザリアを見続けた。
「なぜ?」
ロザリアも真っ直ぐな目でそれに答えた。
「愛する人がいます。……気づくのが遅くなって、あなたを傷つけてしまってごめんなさい」
レイモンドはフッと笑った。
「君より先に、僕は気づいていたけどね」
「えっ……」
ロザリアは驚いた。
レイモンドは悪戯っぽく笑うと、
「婚約する前でよかったよ」
とロザリアに告げた。
少しぐらい意地悪をしてもバチは当たらないと思ったのだ。
しかしロザリアには効果覿面だった。
「ご……ごめんなさい……私……」
焦るロザリアに、レイモンドは大きくため息をついた。
「憎めないね、君は」
レイモンドは切ない顔で最後に告げた。
「幸せになることを願っております。未来の王妃様」
ロザリアが驚いて返事ができないでいる間に、レイモンドはさっさと部屋を出た。
扉の前で立ち止まり、ぎゅっと胸元を掴んだ。一瞬だけ苦しげに顔を歪めると、何かを振り切るように前を向いた。
ロザリアは閉じた扉をしばらく見ていた。
『ありがとう、レイモンド。あなたがくれた時間も、想いも、忘れないわ』
そう、レイモンドに感謝をしながら。
翌日、エドワードから派遣されてきた王宮医が、診察に来ていた。
三日間眠り続けていたものの、幸い後遺症らしい症状もなく、ロザリアの体は順調に回復していた。
「もう普通の生活を送られてかまいませんよ。ただし、無理はしないように」
そう告げて王宮医は帰っていった。
ロザリアはすぐに起き上がるとアンの元へ急いだ。
アンは公爵邸内の一室で手厚い看護を受けていた。
「アン!」
「お嬢様……よくご無事で……」
アンは起き上がれない体のまま、ロザリアに手を伸ばした。
ロザリアはその手をすぐに取ると涙を流した。
「それはこちらのセリフよ……アン、ごめんなさい……私のために……」
「謝らないでください。二人とも無事だったんだから、もういいじゃないですか」
「よくないわよ……アンにもしものことがあったらって、考えただけで私は死にそうよ」
大泣きしているロザリアの手を撫でながら、アンも少し涙ぐんでいた。
「そんなことよりお嬢様、他の侍女から聞きましたよ。いつまでも泣いてないで、早く話してください」
アンのまさかの切り返しに、ロザリアは唖然としてから顔を真っ赤にした。
「お二人で畑にいた時から、いい雰囲気でしたよね」
「そっ……そんな時から思っていたの?!」
それからしばらく、二人は恋の話に花を咲かせた。
久しぶりに聞くアンの楽しそうな声に、ロザリアも自然と笑顔になっていた。
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