19. 襲撃
とても晴れた日の朝だった。
公爵邸への配達を終えた八百屋の下働き、ルードを見つけ、ジャンは声をかけた。
「ルード!」
ルードは帽子のつばを少し上げて答えた。
「おう、ジャン」
「配達帰り?」
「ああ。ヴァロア公爵んとこ。朝っぱらから大量に注文しやがって、重いのなんの」
「ヴァロア」という名前を聞き、ジャンの眉がわずかに動いた。
「公爵家ってそんなに食うのか?」
「知らねぇよ。使用人だけでも何人いると思ってんだ。今日は特に忙しそうだったし」
「忙しい?」
「なんか客でも来るんじゃねぇの? 俺が帰る時も玄関先で使用人がバタバタしてたぞ」
ジャンは何かを考えている様子だった。
「ふーん」
ルードは気にする様子もなく、話を続けた。
「あ、客じゃねぇか。馬車出してたから誰か出かけんのかもな」
ジャンはわずかに目を見開いた。
「……馬車?」
「ん? ああ。立派なやつ。御者が磨いてた」
「へえ、誰か出かけんのかな」
「さあな……。あ、そういや、帰り際に若い女の人とぶつかりそうになってさ。『お嬢様がお出かけになるんだから急いで出てね!』って、えらい剣幕で怒られたよ」
ジャンの口元に笑みが浮かんだ。
待ち望んでいた機会が、ついに巡ってきたのだ。
「貴族の使用人ってのは偉そうだな! 今度、酒でも飲んで忘れようぜ。じゃあな」
ジャンはルードに別れを告げると、その足でゴロツキたちのところへ走った。
朝食を済ませたロザリアに、アンが声をかけた。
「本日はどちらの店へ行かれるのですか?」
「前回本屋の店主さんが、新しい植物の本が出るって言っていたでしょ。今日がその日なのよ」
ロザリアは農作業を始めて以来、植物について学ぶことに夢中になっていた。
「ついでに、新しい苗がないか見に行くわ」
町への買い物は、ロザリアにとって新鮮で楽しい、良い息抜きであった。
レイモンドに婚約を申し込まれて以来、ロザリアの心には、どうしても忘れられない人がいた。
けれど、その想いの正体を認めることが怖かった。
今日はそんな心を少しでも軽くしようと、出かけることにしたのだ。
ロザリアが馬車に乗り込むと、空が急に曇り出した。
先ほどまでの青空が嘘のように陰り、何か不穏なものを感じたロザリアだが、
「雨が降る前に急ぎましょう」
と、そのまま屋敷をあとにした。
ヴァロア邸は貴族街から少し離れたところにあったため、しばらく町に続くあぜ道を走らせなければならなかった。
その道の途中で、馬車が止まった。
アンが窓から少し顔を出して、護衛騎士に尋ねた。
「どうかしましたか?」
「それが……道の真ん中で商人が荷台を倒してしまったようで、散乱した商品が道を塞いでしまっているのです。しばらくそのままお待ちください」
ロザリアも窓から様子を伺った。
フードを被った男が、慌てた様子で荷台を起こそうとしているのが見えた。
「まあ、大変そう。手伝って差し上げてください」
ロザリアにそう促され、護衛騎士の二人は馬を降りて男の元へ駆け寄った。
すると即座に男はその場を離れた。
離れると同時にフードが外れてジャンの顔が露わになった。
その瞬間、茂みから飛び出した男たちが、二人の騎士めがけて網を投げた。
重しのついた細かな網が二人に覆いかぶさり、鎧や剣に絡みつく。もがけばもがくほど、網は体に食い込んでいった。
アンはその様子を見て、即座に警報笛を力一杯吹いた。
ピーーーーーーーーーーーーー!
「くそっ! そんなもん持ってやがったのか!」
「早くやっちまえ!!」
男の一人が馬車の窓ガラスを叩き割り、そこから手を入れて鍵を外すと、力任せに扉を開けた。
アンは短剣を片手に、震えながらロザリアの前に立ち塞がった。
「そっちのお嬢様に用があるんだよ。怪我したくなかったらお前はどきな!」
男の恫喝に怯むことなく、アンはロザリアに小声で指示を出した。
「お嬢様、後ろのドアを開けて、走ってお逃げください」
「アン、それじゃあなたがっ……」
「大丈夫です。私もすぐに参ります。お嬢様は、私が逃げられるように後ろのドアを開けておいてください」
アンは、ロザリアのためならば命を投げ出す覚悟を持っていた。
だが、一人で逃げるように言ったところで、ロザリアが自分を置いていくはずがないことも知っていた。
だからこそ、自分が逃げるためなのだと告げたのだ。
「……わかったわ」
ロザリアはこっそり後ろのドアの鍵を開けた。
そのままアンの腕も掴んで勢いよく外へ飛び出した。
アンの前にいた男がナイフを振ったが、間一髪のところで避けることができた。
しかし飛び出した二人の退路を、他の男たちが塞いでしまった。
「手間かけさせんじゃねぇ、大人しくしな」
ニヤついた笑みを浮かべる男たちに、アンとロザリアは恐怖で動けないでいた。
すると、一人の男がアンの腕を掴み、地面に叩きつけた。
「アン!!」
ロザリアの目から涙が溢れた。
男たちの企みなど知らないロザリアは、このまま殺されてしまうのではないかと思っていた。
死を覚悟したその瞬間、ロザリアの脳裏に浮かんだのは、エドワードの姿だった。
『もう一度、あなたに会いたい』
押し込めていた想いが、死の恐怖を前にして、堰を切ったように溢れ出した。
その時、少し離れたところにいたジャンが叫んだ。
「おい! 馬の走る音が聞こえる。兵士が来るぞ、急げ!!」
アンの笛の音を聞きつけて、近くの警備塔から王立兵士が駆けつけていたのだ。
「くそ! 悪く思うなよ!!」
男の一人がロザリアを斬りつけた時、倒れていたアンがすぐさま立ち上がり、ロザリアに覆い被さるようにして二人の間に入った。
刃がアンの背中を斬り裂き、服がみるみる赤く染まっていった。
ロザリアもアンを支えきれず後ろに倒れた拍子に地面に頭を打ち付け、意識を失ってしまった。
「やべぇ! くそっ、逃げるぞ!!」
斬りつけた男が焦った時にはすでに遅く、兵士たちは男たちを取り囲み、剣を向けていた。
ロザリアとアンは、手当のためにすぐさま運ばれて行った。
三人のゴロツキとジャンは拘束されてその場に座らされていた。
「こいつが! ジャンがやれって言ったんだ!」
「そうだ! あの女の顔に傷をつけろってな!」
「俺たちは雇われただけだ!!」
三人は自分たちの罪を少しでも軽くしようと、口々にジャンへ責任を押しつけた。
「お、俺はただ!!!……」
ジャンは捕らえられるその瞬間まで、アメリアの名を口にすることはなかった。
後日、事態を知ったアメリアが、
「……役立たず」
と小さく吐き捨てることになるなど、ジャンは知る由もなかった。
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