17. 近くて遠い人
レイモンドから婚約の申し込みがあった翌日。
ロザリアはあまり眠れないまま朝を迎えていた。
レイモンドとのことを考えなければいけないのに、彼に抱きしめられてからずっと、エドワードに抱きしめられた夜が頭にちらついた。
『あんなふうに押しのけて、彼を傷つけてしまったかしら……』
ロザリアは、レイモンドに申し訳ないと思う気持ちと、輪郭のはっきりしない何かで、返事を決められないでいた。
その後、朝食を家族ととっていた時、クリストフが公務で港へ行くという話をしだした。
「新しい貿易船がいよいよ完成するらしくてな、陛下と視察に行くことになった」
『陛下と……』
ロザリアは何度もよぎるこの気持ちの正体を知りたかったので、思わずクリストフへ懇願した。
「その視察、私もご一緒させていただけませんか?」
「……遊びで行くのではないんだぞ?」
「わかっております。貿易船に、興味があって……」
ロザリアは本当の目的を隠した。
父親に隠し事をしていることに罪悪感を覚え、自分を見つめるクリストフから咄嗟に目を逸らしてしまった。
「……まあいいだろう。勉強になるだろうしな。邪魔だけはしないように」
クリストフは何かを察していたが、『今のロザリアには必要なのだろう』と問い詰めることはしなかった。
クリストフとロザリアは王都の南に位置するゴルバナ港へやってきた。
とても天気が良く、陽の光を浴びて海がきらきらと輝いていた。
ロザリアがその美しい海に目を奪われていると、エドワードが到着した。
「ロザリア……」
ロザリアの姿をすぐに見つけたエドワードは、確認するかのようにクリストフに視線をやった。
クリストフがロザリアが同行する経緯を話している間に、ロザリアも2人の元に駆け寄ってきた。
「興味があったもので、邪魔はいたしません」
「邪魔だなんてことはないよ。君の感想も聞かせてくれ」
ロザリアは許可を得たことで、胸を撫で下ろした。
一行は貿易船の造船技師や船大工の親方と共に乗船し、まずは甲板から説明を受けた。
国王が来るということで、直前に掃除をしていたのだろう、所々乾ききっておらず床が濡れていた。
クリストフは船尾の舵輪がある場所に上がると辺りを見渡した。
「ほお、眺めがいいな。ロザリア!来てみろ、素晴らしいぞ」
クリストフに呼ばれたロザリアは階段を駆け上がろうとしたが、濡れた階段で足を滑らせ、体勢を崩してしまった。
そんなロザリアの腰を、エドワードが後ろから手を伸ばし抱きかかえるように支えてくれた。
「大丈夫か」
ロザリアの耳のすぐ横でエドワードの吐息交じりの声が響いた。
一瞬の恐怖と、あまりにも近いエドワードの存在に、ロザリアの心臓は早鐘を打っていた。
「は、はいっ……」
ロザリアが顔を真っ赤にしているのに気づいたエドワードは、さっと手を離して何も言わずに離れていってしまった。
その様子に言いようのない違和感を覚えたロザリアは、寂しそうにエドワードの背中を見つめていた。
それからロザリアは、なるべく邪魔にならぬよう配慮しつつも、時々エドワードに話しかけに行った。
しかし先ほどの出来事からエドワードは妙によそよそしい。
一言交わすとまた離れていってしまう、ということを繰り返していた。
ロザリアは、距離を取るエドワードの様子をちらちらと見ては落ち込んでいた。エドワードもその様子に時々気づいては心配そうな顔をしていた。
そんな二人を遠巻きに見ていたクリストフが、エドワードに近づいた。
「おい、お前はガキか」
「わかってる……」
エドワードはロザリアの父親にそう言われて、とてつもなく気まずさを覚えた。
クリストフは大きなため息をつくと、何かを考えていた。
その後クリストフとエドワードは船室を順番に見て回った。
最後に見た部屋でクリストフが突然、
「ちょっと聞きたいことがあるから造船技師を呼んでくる。待っててくれ」
と、部屋を出ていった。
一人になったエドワードは置いてあった椅子に座ると、自らの行動の稚拙さを思い返して肩を落としていた。
そこにロザリアが入ってきた。
驚いたエドワードは立ち上がった。
「ロザリア、どうして……」
「お父様にこちらに行くように言われたのです」
『クリストフめ……』
エドワードは眉間にシワを寄せた。
その様子を、自分が来たことが嫌だったのかと勘違いしたロザリアは、慌てて出て行こうとした。
「部屋を間違えたのかもしれません。失礼しました」
「待って」
声をかけられたロザリアはドアに手を掛けた状態で不安げにエドワードを見た。
「きっと君にも色々と見せてやろうと思ったんだと思う。……だからここで大丈夫だ」
エドワードはうまく誤魔化せなかったが、今日の自分の態度を申し訳なく思い、ロザリアと少し話したいと感じていた。
「わかりました。……失礼します」
ロザリアは部屋の隅に立った。
………
しばらく気まずい沈黙が流れた。
エドワードは何か話さなければと絞り出した。
「どうだ、新しい船は」
やっと終わった沈黙に少しほっとした様子のロザリアが答えた。
「想像していたものよりずっと大きくて、驚いております」
「あと二隻作る予定だ。この船が世界各国を回るようになれば、今よりも貿易が盛んになるだろう」
「まあ、そうすればさらに色んなものが入ってくるようになりますね」
それからしばらく二人は他国との貿易の話をした。
時々ロザリアの意見を聞いたエドワードが『なるほど、その視点はなかったな』と感心し、笑顔を見せる場面もあった。
エドワードにとって、ロザリアとする国の話は新しい発見があるので楽しかった。
話している最中、ロザリアが髪を耳にかけると、こめかみの辺りに黒い汚れがついたことにエドワードが気づいた。
「ロザリア、ここが汚れているよ」
エドワードが自分のこめかみを指さして知らせると、
「えっ、どこでしょう?」
と、ロザリアが見当違いの場所を拭こうとしていた。
エドワードは思わず笑みをこぼした。
「じっとしていて」
自分のハンカチを取り出し、そっと汚れを拭った。
「きっとどこかオイルのついた場所でも触ったんだろうな」
エドワードはそう言うとロザリアの手を取り、指先についたオイルも拭った。
ロザリアの胸は再び高鳴った。
こんなふうになってしまうのは、いつだってエドワードにだけだった。
ロザリアが無意識に熱い視線をエドワードに向けていると、目が合った途端、エドワードが突然話題を変えた。
「ベルフォワーズ公爵の息子と……、その……親しくしているらしいな」
その瞬間ロザリアは胸に重いものを感じた。
エドワードとだけは、レイモンドの話はしたくないのだとロザリアは思った。
「よ、よろしいじゃないですか、その話は……」
目を逸らし、苦しそうな顔をして話すロザリアの様子に戸惑ったエドワードは、手を離すと彼女から顔を背けた。
「それもそうだな、すまない。先に出るよ」
気まずい空気が流れた後、寂しげな笑顔を浮かべてエドワードは部屋を出ていってしまった。
ロザリアは胸の痛みを抱えながら、閉まるドアを見つめるしかできなかった。
――帰りの馬車。
窓の外を浮かない表情で見つめるロザリアに、クリストフは、
『余計なことをしてしまったかな……』
と、少し後悔をするのだった。
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