11. 培ってきたもの
ある日の夕食。
ヴァロア公爵一家は、いつも通り全員で夕食をとっていた。
そんな中でクリストフが何気なく話し出した。
「最近、王都で小麦の値が上がっているんだ」
クリストフはパンを手に取った。
「一部の地域で収穫量が落ちていてな。不作が原因ではないかと言われている」
クリストフは手に取ったパンをちぎりながら、難しい顔で続けた。
「王家の備蓄を放出すべきという者もいれば、もう少し様子を見るべきだという者もいる。価格そのものを規制すべきだという意見まで出ていて、なかなかまとまらないらしい」
「それは陛下も悩ましいわね」
そういうとさほどの興味もなさそうにエンリエットはワインを口にした。
「陛下が……」
ロザリアは思わず呟いた。
最近アンと街へ買い物に出るようになったロザリアはふと思い出した。
「そういえば、先日街へ出たときもパンの値段が上がっていました」
そう告げたロザリアだが、少し引っかかることがあった。
確かにパンの価格は上がっていたが、
パン屋には普通に商品が並んでおり、市場にも小麦を使った商品がある。
「物そのものがなくなっている」という印象はなかった。
そんなことを考えながらロザリアは
「本当に収穫量の減少だけが原因なのでしょうか?」
と、疑問を口にした。
ロザリアは妃教育で学んだ経済・流通の知識と、自分が実際に街で見たものを組み合わせて、頭をフル回転させた。
「本当に供給が大幅に不足しているなら、値段だけでなく市場に出回る量にも、もっと大きな変化が出るのではないですか?」
クリストフは賢い娘の声に真剣に耳を傾ける。
「備蓄を放出する前に、生産地から王都へ届くまでのどこで価格が上がっているのかを調べたほうがいいのではないでしょうか」
さらっと話し終えたロザリア自身は、それほど大したことを言ったつもりはなかった。
しかしクリストフは娘の話を聞いて、少し考え込んでいた。
――数日後。
王城でエドワードとクリストフが小麦価格について話していた。
そこでクリストフが、
「そういえば、ロザリアが興味深いことを言っていたぞ」
と、先日の食卓での話をエドワードに伝えた。
最近街へ出ているロザリアが、机上の知識だけではなく、市場を見たうえで話していた言葉にエドワードは興味を持った。
「本人からもう少し詳しく聞いてみたい」
エドワードは少し考えたあと、机の上の書類に目を落とした。
「……今日の予定は?」
側近が予定を確認する。
「この後の執務が終われば、急ぎのご予定はございませんが」
「では、それが終わり次第、公爵邸へ向かう」
「お前が来るのか?」
クリストフは驚いた。
「ロザリアを王城へ呼びつける必要はないだろう」
「ずいぶん熱心だな」
「何がだ?」
「いや、別に」
クリストフは肩をすくめた。
エドワード本人はまるで気づいていないようだったが、ロザリアの話をするときだけ、先ほどまでより随分と表情が柔らかい。
もっとも、幼い頃から娘を可愛がってきた男だ。
クリストフもそれ以上深く考えることはなかった。
――その日の夕刻。
エドワードを乗せた王家の馬車が、公爵邸へ到着した。
早馬で知らせをしたとはいえ、家族や使用人たちは慌てた様子で整列した。
ロザリアは、まさか自分が食卓で何気なく話した意見を国王が聞きに来たなどとは思ってもおらず、何事かとソワソワしていた。
通された応接間で、エドワードは早速話し始めた。
「先日、小麦についてクリストフと話したそうだな。君の考えをもう少し聞かせてくれないか」
「わ、私のですか?」
思わぬ話に驚いてクリストフを見る。
クリストフは「話しなさい」とでも言うように手のひらを差し出してロザリアを促す。
ロザリアは食卓でクリストフに話したことを改めて説明し、エドワードからの問いにも自分なりの考えを答えていった。
しかし、自分がエドワードとは違う意見を口にしかけたところで、無意識にブレーキをかけた。
「……申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」
エドワードは不思議に首を傾げた。
「なぜ謝る?」
「陛下のお考えもあるのに、自分の意見ばかり申し上げてしまって……」
ロザリアは恐縮しながら答えた。
「女の身で、出しゃばったことをいたしました」
申し訳なさそうに会釈したロザリアはセドリックのことを思い出していた。
セドリックはロザリアが政治について意見を述べることを嫌がり、ロザリアが自分より先に答えたり、自分とは違う意見を言ったりすると不機嫌になった。
いつしかロザリアは、男性の前では政治的な意見を言いすぎないほうがいい。相手より先に気づいても、黙っていたほうがいい。そう考えるようになっていた。
エドワードとクリストフは、ロザリアの様子から、これまで彼女が自分の意見を抑えてきたことを察した。
そして同時に、そこに気づいてやれなかったことを悔いた。
「自分が意見を求めたのだから、謝る必要はない。私と違う考えなら、なおさら聞かせてほしい」
と、エドワードははっきり伝えた。
「私一人ですべてを正しく判断できるほど、王というものは万能ではない。だからこそ、自分とは違う意見にも耳を傾ける必要がある」
エドワードはまっすぐロザリアを見た。
「それに、君が女性であることなど関係ない。君の考えに聞く価値があると思ったから、私は聞いているんだ」
エドワードはロザリアの顔が明るくなるのがわかった。
ロザリアは恐る恐る話を再開し、その後も二人で意見を出し合った。
次第にロザリアは、「こんなことを言ったら嫌がられるかもしれない」ことを忘れて議論に夢中になっていった。
エドワードもまた、ロザリアとの議論を楽しんでいた。
最終的にエドワードはロザリアの意見も参考に、流通経路や卸値、在庫状況について詳しく調査させることを決め、側近に指示を出した。
話が一段落し、
「随分夢中になっていたな」
と、エドワードが笑った。
ロザリアもそこで初めて窓の外を見た。
「本当に……もう日が落ち始めていますね」
ロザリアは下を向くと切なそうに口を開いた。
「王太子妃にならないのなら、今まで学んできたことはもう必要ないのだと思っていました」
そんなロザリアの肩に手を置いてエドワードは告げた。
「君が学んだことは、セドリックの妻になるためだけのものではない」
エドワードの言葉が、ロザリアの胸にゆっくりと染み込んでいく。
婚約がなくなったとき、十一年間積み重ねてきたものまで、すべて意味を失ってしまったように思っていた。
けれど、違った。
学んだ知識も、積み重ねた経験も、今も自分の中に残っている。
あの十一年間は、セドリックのためだけにあったのではない。
そう思えたとき、胸の奥に残っていた重い何かが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
エドワードは帰る前に、
「また君の意見を聞かせてくれ」
とロザリアに告げた。
ロザリアは「また」の言葉に少し驚いた。
――その日の夜。
就寝前になっても、エドワードの言葉が何度も頭に浮かんだ。
セドリックには疎まれていた自分の一面を、エドワードはもう一度見せてほしいと言ってくれた。
「また……」
ロザリアは小さく呟く。
『次は、陛下と何を話そうかしら』
そんなことを考えている自分に気づき、ロザリアはそっと微笑んだ。
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