表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蓮の糸 第1部 The Lotus Threads.  作者: 村井由弥
第1章 花中の君子
PR
8/30

1ー⑧ 花中の君子(1)

「あの、これ……」

「あぁ。ありがとうございます」

 微睡(まどろみ)からさめた青年は手を伸ばして紙を受け取り、手にしていた文庫本に(はさ)んだ。古そうな紙切れには『木とみどりの楽園』、そう読み取れた。


「起こしてしまったならすみません」

「いいえ。平気です」

 彩羽は顔を上げた青年の胸元に職員証か名札があるか探したが、何もつけていなかった。


 自分はここの職員ではない、と青年が言った。掃除も気が向いたらしているだけで、この東屋(あずまや)で休憩していたのだという。

 名前は『れん』だと教えてくれた。図書館などでも見かける、ボランティアのようなものかなと彩羽は思った。


「そうなんですね。すごい」

「いえいえ」


 青年の声色は水に(ひた)っているような響きがする。雑音がなくて聞き取りやすく、頭の中にじんわりと流れ込んでくるような音声だ。


 青年は視野の中心を彩羽に合わせるように顔の向きを変えた。正面から見たその顔立ちはどことなく中性的だった。

 肌の色は白く、眉はかなり薄く、奥二重で目と目の間は少し離れている。唇はやや幅が広くて微笑むと綺麗な弧を(えが)く。


「他にも(はす)(きみ)、蓮様、ハス姫、わたしたちは様々な呼ばれ方をしています」


 そう言った彼の穏やかな笑みが空気を揺らす。一片(いっぺん)の花びらが、静かな水面に落ちたようだった。

 花顔(かがん)とはこういう人を指すのだろうと彩羽は思った。数秒間その清涼な空気感に浸り、ふと口を開く。


「はす……姫?女性なんですか?」

「どうかな。それは身体のつくりの差異で決まるのですか」


 彩羽は口元に(こぶし)を当てて考えた。昨今では答え方が難しい問いだ。どことなく夜のお仕事、源氏名を連想した。女性でも王子と呼ばれることはあるだろうし、男性もあるかもしれない。

 黙って思案している彩羽に青年が言った。


「確認なさいますか」

「え?」

「冗談です」


 彩羽は表情を変えないまま脳内で前言を撤回し、スケッチ道具を持って東屋を出た。伸び放題の雑草と湿気を含んだ地面を踏みながら蓮池に向かった。


 池の前に折りたたみ椅子を広げて座り、スケッチブックを広げて鉛筆を手に持ち今日の日付を紙の裏に書いて白い紙に向かう。胸の辺りに発生したムカムカはしばらく居座り続けた。


 蓮池を描いている最中もいつもより対象との距離を感じて画面にも収まりが悪く感じた。筆がのらない、そんなのは(てい)のいい言い訳だと自分でもわかっている。手の運び、腕の動きが悪い。身体に余計な熱がこもって精神面にも(とどこお)りがあるからだ。


 彼のことをそういうひとじゃないと思っていた。思っていたからなんだというのだろう。結局はただの自分の期待であり都合のよい幻想だ。


 次話につづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ