1ー⑥ AYAHA
梅雨入りしてからしばらく、彩羽は大学の課題をこなすことに専念していた。しかし気を緩めると通学途中の電車内、図書館での資料探しの最中に植物園での出来事が頭をよぎる。
高校生だった当時、消しゴムハンコ作りにはまっていた双子の妹の実咲が、彩羽の鉛筆に彫刻刀で彫った(ああ見えて実咲は器用なのだ)、AYAHAの5文字。
蓮池の青年はそれを見ていたのだ。ハートマークが彫られていない方の鉛筆だっただけ、まだマシかもしれない。
彩羽には下の名前で呼び合うほど親しい男子学生はまだ大学にはいない。性別をあまり意識していなかった小学校では流石に何人もいた。中学、高校ではもちろんゼロだったので、それだけに戸惑いしかなかった。
食堂で会った友人の梓ゆみが、運動系のサークルに入り週3回練習が始まったことなどを話してくれた。相変わらず例の男性店員のいるカフェには通っているらしい。
彩羽は言葉少なめに、山吹植物園で蓮池の青年と再会したことを報告した。その日の彼が両手にゴム手袋をはめて、トングでゴミ拾いをしていたことはなんとなく伏せておいた。
すると、今度はこちらから話しかけてみれば、ゆみがと言った。
「話しかける。わたしから?」
「だって名前を呼ばれたんでしょ。きっと会話してくれると思うよ」
「……そうかな」
「彼から認知されていたわけだけど、彩ちゃんはどうだったの」
「どうって」
彩羽は上手く答えられなかった。
「わたしは別に、こわいとかじゃないんだけどね」
それを聞いたゆみは、口を閉じて窓の外で降り続ける細かい雨を見つめた。
「他人のなかに自分が一瞬でもいたって、すごいことだよね。まぁ、どう思われたかなんて知りようないからさ……あまり考え過ぎずに。かと言って警戒しないのもダメだけど」
「うん」
「距離のとり方とかさぁ、彩ちゃんがちょっと自分と違うかもと思ったら、もうそれきりにして、また他人に戻ればいいんだよ」
今日の友人の眉カラーはブラッドオレンジ、アイラインはキラキラひかるラメ入りブラックだった。
いつも綺麗に描けている、と彩羽がゆみに伝えると、
「今度、アイラインの引き方教えよっか。絶対にあうよ」
そう言ってゆみが笑った。
次話につづく




