1ー⑤ 再会
何度か通ううち、彩羽は山吹植物園のおおよその地図が頭に描けるようになった。
ここには学習施設や温室、子どもたち向けの遊具や芝生広場、食事処も2店舗ある。周辺地図によると園から車で30分山手の方へ行くと、友人のゆみが言っていた天然温泉の卯の花湯があった。
5月はバラ園の多種多様なバラが美しさを競い合うように咲き誇り、遠くまでその華やかな香りが漂っていた。自分の好みの品種を探すという来園者も多いようだ。
その重厚に混ざり合った香りでお腹がいっぱいになった彩羽はバラ園のトレリスの回廊をくぐり、蓮池へ向かった。
今日は薄曇りで涼しくやや風が強かった。蓮池の近くには休憩所の東屋があり、そこに人影が見えて彩羽は鼓動が早まるのを感じた。
人影がこちらをふり向き、視界に彩羽の姿を認めたのか軽く頭を下げたのでつられて彩羽も頭を下げた。
「こんにちは」
声をかけてきたのは先日出会った青年だった。こんな声色だったかなと思いながら、彩羽もこんにちはと返事をした。最初の音が発話できなくて小さく咳払いをした。
今日の彼の出で立ちは先日とは雰囲気が違い、両手に水仕事用の水色の手袋をはめ、片手には透明のゴミ袋、もう片手にはゴミ拾い用トングを持って立っていた。
彩羽の心臓はまた通常通りのリズムで動き出した。ゆみが言っていたような非日常的な存在はきっと園内のゴミ拾いなどしない。
「どうぞ、気になさらずゆっくりお過ごしください」
「はい」
「このあたり、風の吹き溜まりになりやすいんです。飛ばされて来たごみが池に入ってしまうと、取り除くのが困難なので」
蓮池の周りは柵が設置されておらず、そろそろ本格的に除草したほうが良さそうなほどに雑草がうっそうと生い茂っていた。
「すみませんお邪魔しましたね。では」
青年は蓮池の方へ回り込み姿を消した。再会は思いのほかあっけなくて、いざ会ってみると1分にも満たないほどで、あっけなく終わった。
彩羽は虫除けスプレーを全身にかけ、持参した折り畳みチェアを出し、ツバの広い白い帽子をかぶって左手に鉛筆と色鉛筆数本を持ちスケッチブックを開く。対象に目を向けたまま描き続ける。今日の蓮池は静かでなんだか澄ましている。そんな気がした。
1時間ほど描き続けたのち、陽が当たる池から離れて東屋で休憩をとる。今日は誰もこのあたりを通りがからなかった。野外でスケッチをしていると、通りすがる通行人が背後から覗かれる事はよくある。この曜日はお客さんが少ないのかもしれない、と彩羽は思った。
さらに1時間描き続け、スケッチブックの紙が残りゼロになったところで作業を終えた。彩羽は基本的に消しゴムを使用せず、描き終わってからすぐにページを見返さない。
閉館時間の少し前、帽子を脱いで東屋のベンチでクッキーをつまんでいると、青年が通りがかった。もうゴミ拾いスタイルではなかった。
「今日は終わりですか」
「はい」
世間話のような軽い口調だったので、彩羽もひとことだけ返した。
「明日は閉館日なので、お気をつけくださいね、えぇと」
青年は語尾をやや上げてこう言い足した。
「『あやは』さん、でしたか」
その瞬間目の前で固まった彩羽を見て、青年は付け加えた。
「あの、先日ぼくが拾った鉛筆にそう彫られていたので、お名前かと」
彩羽の左右の頬が熱くなった。東屋は日陰なのが幸いだった。しかし異様に蒸し暑かった。
「はい。いえ……」
顔を下に向けて答えた。言葉が出てこなかった。
そのときこちらへ向かってくる数人の話し声がした。青年がその方向を見て、また彩羽に振り向いたタイミングで頭を下げ、荷物を持って東屋から立ち去った。
出口付近のトイレに行きたかったけれど、電車の駅に着くまで我慢した。帽子をかぶっていたせいで額に張りついた前髪と、いまの自分の表情を鏡で見るのは、どうにも耐えがたかった。
次話につづく




