3ー⑨ 花顔
「じゃあ芙蓉、きみは僕が水庭まで送っていこう。レン、彩羽さんを送っていってもらえるかな。もう夕方だから少しは外にでられるだろう」
「そうだね。わかった」
指先に毛先を巻きつけていた芙蓉は素直に立ち上がった。そのとき彼女の横顔、耳の上あたりでチカりと透明に光るものが見えた。睡蓮の花を模したような飾りのついたヘアピンだった。
「あれ。それまだ使ってるの」
ピンに気づいたマキオが言うと芙蓉はとっさに耳の上に手を当てた。
「だってほかに持ってないもの。わたしだってもっとオシャレな髪飾りをつけたいと思ってるわよ」
「はいはい。今度また見てくるよ。この間訪れた異国で銀細工が得意な職人さん達と知り合ったから」
それを聞いた芙蓉の顔がにわかにほころび、またすぐにピタリと閉じた。今日の彼女は彩羽がはじめて会った頃よりずいぶんと幼く見えた。
「じゃあね。彩羽ちゃん」
マキオは彩羽に励ますような笑顔を残し、芙蓉と並んで部屋を出ていった。彼らの会話は玄関先まで途切れることなく続いていた。
残された青年れんと彩羽はティーセットを片付けて応接間に向かった。
「彩羽さんもお気づきしれませんが、芙蓉はマキオに懐いているんです」
幼い頃からマキオは芙蓉の遊び相手をしていた。読み書きや基本的な生活習慣を一通り教えたのがマキオで、いまだに子供あつかいされているのが芙蓉は気に入らないのだという。
一連の彼女の言動に合点がいった彩羽はうなずいた。芙蓉の内面は、大人びた容姿とチグハグでまだ思春期真っ只中の少女なのかもしれない。
しかし彩羽が引っかかっているのは、青年が肝心の話題に触れてこないことだった。芙蓉やマキオの前では落ち着いた様子で振る舞っていた彼が、いま彩羽とこの場で2人きりになった途端、薄い面紗をおろしたようにどこかよそよそしい。
このままなにもなかったかのように彩羽を送るつもりに見えた。
顔を見上げ、斜め前にいるれんの横顔を見てわずかに視線をそらす。窓ガラスから差し込む夏の光がまだ強すぎる。
エアコンがないこの居間で汗もかかずに過ごせるのは、洋館を覆う豊かな緑はもちろん、れん達がまとっている清浄で冴えた空気のおかげだろう。蓮には泥の中でも自らの美しさを保つ自浄作用がそなわっているのだ。
そんな彼らのなかで、自分だけ異分子なのかもしれないと思うとこのまま従順にここを去るべきかもしれなかった。また来ますね、と言って手を振って。わかりやすい社交辞令に、お互いに気づかないふりをする。
しかしマキオの言葉を思い出し、応接間を通る途中で足を止めた。
「わたし、べつに合わせてるつもりはありません」
窓際にいる青年がカーテンを閉めてから話しかければよかったと彩羽は思った。
「え?」
「さっきの話」
窓側を向く右の二の腕がジリジリと照らされる。まだまだ陽が高くてこの顔色を誤魔化してくれない。
「れんさんが一方的だとか、わたしは思っていません。その」
青年は彩羽を見つめたが、彩羽は視線を返せないまま言った。
「なので……」
自己防衛のための曖昧な言い回ししか思いつかない自分に苛立つ。しかし足踏みしてしまうのは、あの夜の手の感触がまだ鮮明で、それが否定されることがこわいのだった。
「ありがとうございます」
いつもは彩羽の言葉をゆっくり待ってくれるのに、れんは言葉の端に重ねるように言った。
「ご心配かけてすみません。ぼくのことは聞いたんですよね」
「はい。マキオさんから少しだけ」
「もっと早くに、ぼくの口から話すべきだったかもしれません。でもそうしたら、もうあなたは来てくれなくなるのではと思って先延ばしにしていました。こんな風に誰かと長く関わりを持ったのはじめてで」
「いままで優しく接してくれてありがとうございました」
蓮池の青年れんは静かに微笑んだ。
次話につづく




