3ー⑥ 秘密の温室
「会ってもいいんですか、わたし。れんさんと」
「うん。もちろん」
「でも芙よ……」
「なに?」
「いえ」
「芙蓉?あの子とも仲がいいの彩羽さん。すごいね」
「たぶんそうでもないと思いますが」
無視されない程度には嫌われていないと思うが、彼女から彩羽に対して温かみのある好意を感じたことはない。そしてつい先日、れんに会わないよう忠告されたことを思い出した。
「気にしなくていいよ。芙蓉は会話が下手なだけで特段悪い子じゃない」
マキオの言葉に、はい、とひと言だけ彩羽は答えた。
「そもそも自分から人前に出てくることが滅多にないんだから」
「そうなんですか!?」
2度目に訪れた飛燕荘は、遮光カーテンが開かれて窓から陽光が差し込みパステル調の明るい空間に変わっていた。今日は晴天なうえに館の持ち主のマキオが帰ってきたからか、前回訪れた際に彩羽が感じた暗い閉塞感は姿をひそめていた。
「レンはこの応接間を出て、廊下を突き当たりの部屋だよ。反対側にトイレがある」
お茶を淹れて持っていくから先に行くようマキオに言われ、彩羽はその部屋を出て床板のすり減った廊下を進むと扉が見えてきた。
焦げ茶色の扉の前でノックをしようと立ち止まる。彩羽はこの境界を超えて踏み入っていいものか、迷いがあった。そんな自分が情けなくてさらにスニーカーの底が重くなった。
すると室内からほんのかすかに物音が聞こえた。ひとりではなく聞き覚えのある調子のやりとり。彼らの会話から自分の名前を聞きたくなくて情緒の管をいくつか封じた。しかしそれは思い上がりかもしれないとも思う。そのうちに扉の向こうは無音状態になっていた。
「はいはい、大丈夫大丈夫」
マキオがいつの間にか彩羽のすぐ横にいて、片手で扉を2回ノックした。
「入るよ」
室内からの返事を待たずに扉を開けて先に入って行った。マキオが通り過ぎ開いた扉から陽光の香りがふわりと廊下に流れてきた。
「どうぞ入って。あぁ、この部屋は土足禁止だから、スリッパを使ってね」
室内からマキオが彩羽を呼び、カタリ、とティーセットが載ったトレイを置く音がした。彩羽は半歩、れんが療養しているという部屋に足を踏み入れた。
「おじゃまします……あれ、いない」
「レンはその奥だね。通路までは行ってくれて構わないよ」
彩羽はてっきりれんがベッドに臥せているものと思っていたので拍子抜けした。部屋の壁際に設置された簡素な木製ベッドは無人で、白い寝具類が整えられて置かれていた。
部屋の奥の扉を開けるとトンネル状の通路が増設されていた。数メートル通路を進み、曇った透明の板ごしにその空間を覗くと、陽が差し込む天井が高くドーム状の温室のようだった。
温室内には所狭しと置かれた鉢や、人工池に植えられている水生植物たちを世話する人物の後ろ姿が見えた。おそらく青年れんだろうと彩羽は思った。
れんのそばには彩羽がこれまで目にしたことのない形状の草木や、表現しがたい色合いの花が天井から降り注ぐように垂れ下がっていた。遠目にしか見えないがさらに奥の茂みはどことなく異国の密林のような雰囲気があった。
ふと作業を止めたれんが振り返り、温室の通路に立つ彩羽らしき少女の姿を目に留めた。予期しない再会に驚いたのか瞳をそらした。
彩羽でなければ気づかないほどの刹那の動きだった。カッターの刃先ほどの薄い痛みが彩羽の胸を刺す。
彩羽は音を立てずに通路を引き返し、先ほどのれんの部屋に向かった。そんな2人を温室からリスのように鋭く見つめる人物がいた。
次話につづく




