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蓮の糸 第1部 The Lotus Threads.  作者: 村井由弥
第3章 蓮始開(蓮はじめてひらく)
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3ー② 六角堂と蓮の実

 ウォーターガーデン(旧:大蓮池)の中に建つ六角堂に、全く雰囲気の異なる2人が並んで座っていた。

 

 ひとりはツバの広い麻の帽子をかぶり白いTシャツにジーンズの女子大学生の彩羽(あやは)と、もうひとりは目の()めるようなマリンブルーのロングワンピースに白い厚底サンダルを履いた年齢不詳の女性、芙蓉(ふよう)

 

 彩羽はスケッチの手を止めスポーツドリンクを飲み、ホワイトチョコチップとナッツのクッキーをかじった。好みの味のはずが、丸めた印刷ミスのコピー用紙のようにカサカサして風味が欠落していた。先ほどの自動販売機で、アイスカフェオレも買うべきだったかもしれないと思った。


 彩羽と芙蓉は木製ベンチの両端に座り、互いに言葉を発さないまま時間が過ぎていった。彩羽は当たり障りのない会話をふるのが得意ではないし、芙蓉も特にそういうやりとりは望んでない気がした。


 蓮池の青年れんと過ごすうちに気づいたことだが、彼らは時間の流れが一般的な感覚とは異なるようだ。遅刻や()くといった概念(がいねん)が希薄で、一緒にいるとよく帰りが閉園時間ギリギリになってしまう。彩羽はようやく慣れたところだった。


「あなたこれ食べる?」


 セミも鳴かない真夏の午後、静かな池のほとりで突然話しかけられて彩羽は空耳かと思った。


 振り返ると芙蓉が手を差し出し、蓮の葉を開いてみせた。葉の上にはいくつかの黄緑色のコロコロした実だった。柔らかそうなどんぐりのような形をしていて、彩羽はお礼を言って1粒をつまみ取った。


「ありがとうございます」

 彩羽は麻の帽子を脱ぎ、(ひたい)にはりついた前髪を斜めによけた。そしてこの日はじめて芙蓉を真正面から見た。

 

 なめらかな白い額には細筆で描かれたようなうすい眉が生え、見るものの視線はそこから眼窩(がんか)(まぶた)の膨らみ、くっきりとした二重の線に滑り込む。青年れんと似た通った鼻筋、れんよりも薄い唇。れんよりも生気が満ちていそうな弾力のある(はだえ)。 


 彩羽は手に取った小さな実を見た。

「これ、そのまま食べるんですか」

「そう」

 芙蓉は次々に口に含んで小気味良い音を立てながら食べている。


「あぁでも、あなたは皮を()いたほうがいいかもしれない」

「皮?」

 芙蓉が目の前でするりと外皮を剥いて見せると白い艶々(つやつや)した実が出てきた。彩羽も真似て皮を()ぎ、口に入れるとほのかに甘くてはじめて味わう風味だった。ナッツを生で食べるとこんな風かもしれないと思った。


「もし中心の芽が食べれなかったら出して。まだいる?」

 芙蓉はそう言って残りの2粒を彩羽に渡した。  


「ありがとうございます。あの、これは持ち帰ってもいいですか」

「いいけど。口にあわなかった?」

「いえ、美味しいです」

「そう」

 他の人間に渡さないならべつに構わないと芙蓉は言った。


「蓮の実、はじめて食べました」

 蓮根は好きでよく食べます、と彩羽は言おうとしたが場違いな気がしてやめた。れん相手だったら、そう言っても笑って聞いてくれそうだった。


「あなたも食欲がないの?」

「いえ、そういうわけじゃないんです」

 ここで食べ切るのがもったいないと、口にするのが恥ずかしくて彩羽は黙った。


「あなたレンに会ったの」

「いいえ。今日はまだ会っていません」

「でしょうね」

「久しぶりに植物園(ここ)に来たので」


 芙蓉は眉間を寄せて彩羽を見た。瞳に宿る光は先ほどよりも鋭くなった。

「蓮池には行ったんでしょう」

「はい」


 確かに行ったが今日は彩羽は蓮池を描かなかったこと、青年が姿を現すまで待つ余裕が自分になかったこと。植物園に来るのが約2週間ぶりであること。芙蓉にはいろいろと見透かされているような気がした。


「それなのに気づかないなんてね」

「え?」

「もしも朝早くに時間があるなら、もう一度蓮池を見にくれば。そうすればわかるでしょう」


 芙蓉は手に持っていた蓮の葉を折り紙のように折りたたみ、ベンチから立ち上がった。

「それを最後にして、もうレンと接触しないで」


 そして彩羽を振り返らずに芙蓉は六角堂を出て行った。


 次話につづく

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