2ー④ 芙蓉
「1階のカーテンが開いていたから、誰かいるのかと思って見にきたの。人違いだったみたい」
「お邪魔してます」
彩羽は椅子から立ち上がり、芙蓉と呼ばれる女性に軽く頭を下げた。
「こんにちは。初めまして、あやはさん」
芙蓉の声色には明らかに落胆がまじっていたものの、彼女はまっすぐで美しい背筋を傾けて丁寧にお辞儀をした。つられた彩羽もお辞儀をして、問うように隣にいる青年れんを見上げた。
「えと……紹介しますね。この子は芙蓉と言ってぼくの古い仲間です。以前、彩羽さんのことを話しました」
古いってなに、とその芙蓉と紹介された女性が言った。
「レンのほうが歳上でしょ」
リップも塗っていないのにくっきりと独立した淡紅色の唇は、彼女の涼しげな顔立ちに彩りを添えていた。
声が高くてやや早口で気性はきつく感じるが、青年れんがもし女性だったらこんな感じの外見かもしれないと彩羽は思った。あと5割ほど柔和さが加わればの話だが。
「それで、その寝袋をどうするの」
芙蓉がれんの抱えている小ぶりの米俵のような荷物を指差した。
「植物園の催しで彩羽さんに貸そうかと思ったんだ。テントってこれのことかと思って」
「催しって?」
「七夕の夜の夜間鑑賞会。星合まつり、だったかな。去年もしていた」
芙蓉はあまり興味なさそうに腕を組んで聞いていた。そしてれんの持っている米俵(小)を指差した。
「言っておくけどそれは寝袋っていうの。広げて、その中に入って眠るだけのものよ。女の子がこれに入って夜空の下の原っぱで眠っていたらどうなると思うの。案件待ったなしよ」
「そうなのか。ぼくはこれがテントだと思っていた」
「テントは小さく折り畳める家みたいなものだから。テントも、探せばこの家のどこかそのへんから出てくるんじゃないの」
「わかった。ありがとう」
「レンはいつになっても世間に疎いんだから。服も地味でパッとしないし、ユーモアセンスは皆無だし」
「最近はそうでもないと思うけど……まぁ否定はしないでおくよ」
彩羽は笑っていいのかわからなくて瞳をきょろきょろと動かし、彼らの話にただ耳を傾けていた。そしてすでに星合まつりに参加の方向へ話を持っていかれている気がした。もし行くなら夏休み前の課題やレポートを早く進めておかないといけない。
「でもマキオはこれに入って、鬼の捨て子のように木の上や洞窟でも、どこでも寝ていたよね」
「だから彼を基準に思わないほうがいいって言ってるでしょう」
「あの」
彩羽は腕時計を見て思いきって会話に入った。
「すみません。帰りのバスの時間なので、もうここを出ないといけないです、わたし」
青年れんと芙蓉が同時に彩羽を振り返った。やっぱり芙蓉には自分はいないも同然なのだと彩羽は確信した。
「長居させてすみません。ではぼくが出口まで送ります」
「結構ですよ、そんな」
「でもこの場所までどこを通って来たか、知らないですよね」
青年の言った通りだった。
「途中からは関係者しか入れない道なんです。じゃあ芙蓉、ぼくは彼女を送ってから戸締りしに戻るから」
職権濫用、と芙蓉が小声で指摘していた。
「わたしももう出るんだけど」
「そうか。これ郵便受けに入っていたよ。見ておいてくれないかな」
丸いテーブルに置かれた数枚の封筒を見た芙蓉の表情が、にわかに明るくなった。彩羽の後から玄関に向かう青年に、芙蓉が呼び止めて声をかけた。
「ちょっと。あんまり連れ回さないほうがいいんじゃない」
青年は芙蓉を振り返り、何も言わずにドアを閉めた。
帰りの道中、バスのなかで彩羽は植物園の七夕イベントのPDFファイルを携帯電話のお気に入りに保存した。
次話につづく




