第3話 消えた生徒 ナナシ
ミアの謎のポーズに付き合っているうちに、すっかり時間が押してしまった私たち。 屋敷を飛び出して、ミート曰くの学園へと向かう。
廊下を歩く。 すれ違う生徒たちの視線が、ちらちらと私に集まる。 そうよ、もっと見ていいのよ。 なんてったって、サキュバスの私が清楚な制服を着てるんだから、昨日のズボン姿と違うでしょ? これは、ギャップ萌えってやつなのよ!
ーーでも。 この学園でも、私のことをサキュバスのコスプレをしている女だと思われてしまっていた。 理由は、この学校に『リディ』と名乗るサキュバスがいるかららしい。
何者かしら? そのリディってーー
目的の教室の前に着いた。 じゃあ、華麗に登場しちゃおっと!
私は深呼吸ひとつ、ドアノブに手をかけて、勢いよく開け放った。
「みんな、おはよ!」
言いかけた瞬間、視界の端で何かがキラリと光った。 水? しかも、まっすぐ私の顔めがけて飛んできたわね。
考えるより先に体が動いた。 私の動体視力を舐めてもらっちゃ困るのよ。くるりと半回転、スカートの裾をふわりと翻しながら、軽やかに体を逸らす。
ふふ、ついでに教室の男に見えるように、パンツもチラ見せするわよ! これはサービスよサービス!
水鉄砲は、そのまま後ろへと飛んでいき、壁に当たった。
「ぎゃっ! み、水が貫通した! 壁が壊れた! やばやばじゃん!」
「すごいです! キャスってば、アピールが上手いです!」
「……ミアとお姉ちゃんは、ツッコミ待ちなのかな?」
ーーミアの悲鳴が聞こえたわね。 振り返ると、壁に穴が空いていた。
ミアは自分のキャラを忘れて、腰を抜かして驚いていた。
ただの水鉄砲じゃないでしょ! 威力おかしくない?
「おおーっ、避けたっ!」
教室の中から、やたら明るい声が聞こえてきた。 声の主は、教室の真ん中で仁王立ちしていたわ。
ーー昨日私に喧嘩を売ってきた、アゼッタね。
いたずらっぽく細められた目に小さな体。 これは、メスガキね!
「……ちょっと、アンタ! いきなり水ぶっかけるって、どういう神経してんのよ! しかも、ただの水じゃないでしょ! 壁が貫通してたんだけど?」
「あー、あれね。ちょっと圧力強めにしてあるだけね。 死にはしないわよ」
「死にはしないって、問題じゃないわよ!」
「なんですって! このメスガキ!」
「メスガキね……」
アゼッタは少し懐かしむような表情をした。 その目が、ちょっとだけ細められていた。
「私の『あいさつ』を避けられたの、二人目だからさー。 つい嬉しくなっちゃって。 そいつ……ナナシって言うんだけど、そいつも私のことメスガキって言ってたな……」
「……ナナシ?」
その言い方が、なんだか引っかかった。妙に意味深な間の置き方。
アゼッタは視線を窓の外へと逃がした。朝の光が、その横顔をうっすらと照らす。
「ナナシ。 私の水鉄砲、ひょいって避けたやつ。 しかも、避けながら『メスガキ如きが! この俺を暗殺するつもりか』とか言ってたわね」
「……ナナシ?」
「あれ、知ってる?」
「いや、知らない、けど」
ーー知らないけど。 でも、なぜかゆう君を思い出してしまった。
「おーイ、その話まだ続けるのカ?」
知らない声が、教室の後ろから飛んできた。 振り返ると、昨日はいなかった男子生徒が、机に肘をついてこっちを見ていた。 ぽっちゃり、というか、はっきり言って太い。
コイツも制服を着ているけど、ボタンが、お腹のあたりで悲鳴を上げているわね。
「あんた、誰?」
「俺はルミスだヨ」
ルミスと名乗った男子は、ふうーと大きく息を吐いて、それから真面目な顔になった。 さっきまでのだらしない雰囲気が、ふっと薄まる。
「あいつの話ナ。 アゼッタが言うほど単純な話じゃねえゾ」
「……どういうことかしら?」
「あいつ、武闘大会の予選には出てたんダ。 それは間違いなイ。 複数の生徒が見てル。 けどナ……」
ルミスは一拍置いて、声のトーンを少し落とした。
「あのオーガ騒動の後、消えタ」
「……消えた」
「学園は『保留扱い』にしてるけド。 要は、行方不明ってやつなんダ」
教室の空気が、少しだけ重くなった気がするわね。
武闘大会から、消息不明ね。 その単語の組み合わせを、頭の中で転がす。物騒な響き。それ自体は、まあ、よくある話なのかもしれない。 荒っぽい大会だっていうし、事故も揉め事も珍しくないんでしょう。
ーーでも、なんでかしら? ナナシ。
その名前を、もう一度頭の中で呼んでみる。 やっぱり、引っかかる。会ったこともない、顔も知らないはずなのに。
私の頭の中でゆう君の思い出が反応していた。




