第46話 小景を辿れば
俺たちはしばらく打ち合った。 マルクの呼吸は乱れていない。 草を踏む足音すら立てず、長剣の切っ先は依然として地面と水平に保たれている。
対して俺は、仮面の下で口元を引き結んでいた。 肩で息をしている、というほどではないが、心拍は確実に上がっている。
死に戻り前も、こうしてお互いに斬り合ったものだ。 マルクは小僧と呼び、俺はジジイと呼ぶ。 そして何度もボコボコにされていた。
俺は認めなければならない。 マルクには勝てないとーー
「どうした、小僧? ネタ切れか?」
「ふん。 どうだろうな?」
「⋯⋯まあ良い。 名乗らぬ流派の小僧よ、続きをやろうではないか」
「お付き合いしますよ、ジジイ」
いつの間にか、俺たちは声を上げて剣を交わしていた。 マルクの皺の奥の目が、笑っている。 怒りに震えていたあの最初の表情はどこにもない。 あるのはただ、剣を振ることが楽しくて仕方ないという、子供じみた光だけだった。
ーーああ、そうか。 仮面の下で、俺はようやく気づいた。 俺がマルクのことが許せない理由。 それは、彼が剣をただひたすらに、楽しそうに振るっていたからだ。 俺と戦っている時に、いつもこうやってさーー
「小僧! 貴様、左手の剣はどこで覚えた!」
「独学ですよ!」
「ほう? 教えにない、と来たか! 良い心がけだ!」
言葉と一緒に、剣が舞う。 マルクの一閃が、俺の脇腹を掠めた。 布が裂け、薄く血が滲む。 返す刀で、俺の左手剣がマルクの肩口を浅く割いた。 白髪に、赤が一筋。
二人とも、致命傷には程遠い。 お互いに、致命傷を与えるつもりがない打ち合いだった。
「⋯⋯小僧」
「⋯⋯なんすか」
「貴様、奇形教ではないな?」
「⋯⋯まあ、仮面は趣味みたいなもんで」
「ふん。 ならば、なぜ我に刃を向けた」
息を整えながら、マルクが問うてきた。 俺は答えに詰まる。
「あんたが俺の最愛を殺すと言ったから」
「⋯⋯ほう? なら、やめるか」
「⋯⋯」
「これで、殺しあう必要がなくなったな?」
この流れも一緒だった。 前回も、キャスを殺すと豪語したマルクに、俺は反抗したのだ。
目の前のマルクは、駒使いの王ではなく、ただの剣士の顔をしていた。
「さて、まだまだ打ち合うぞ! 若き芽を育てるのは先人の勤めだからな。 ⋯⋯それに引き換え、ルミスはブクブク太りおって⋯⋯」
「⋯⋯?」
「まあよいわい。 俺が支えないとな。 ⋯⋯仕方ない倅だ」
何かを呟いた後、マルクが声を出して笑った。 深い皺が動いて、白髪が陽光に揺れて、その姿はもはや国王ではなく、剣を振るうことだけが好きな、ひとりの老剣士だった。
「小僧。 決着がついたら、酒でも飲もうではないか。 その仮面の下を、見せてもらう代わりに、俺の若い頃の話でも聞かせてやろう」
「⋯⋯悪くないですね。 いいですよ、付き合いますよ。 ジジイの説教でも、なんでも」
「ふん。 説教にならぬよう、酒を強くしておこう」
マルクが、剣を構え直す。 俺も、左手の剣を握り直した。 決着をつけよう。 そして、酒を飲もう。 ーーそれから、それからのことは、その時に考えれば。
ーーひゅっ。 その時だった。
空気を裂く、鋭い音。 俺が反応するより早く、マルクの胸の中央から、矢羽根が生えていた。 マルクが、自分の胸を見下ろした。 白い羽根。 深く、心臓を貫いている。 角度から言って、ほぼ即死の一撃。 矢の出所は遥か後方ーー
マルクの長剣が、ぽとりと落ちた。 膝が地面につく。 白髪交じりの頭が、ゆっくりと垂れていく。 気づけば、俺は走り出していた。 ただ、目の前の老人を支えなければという衝動だけが、身体を動かしていた。 膝をついた老人を、抱き起こす。 胸の矢には触れない。 抜けば、もっと早く逝く。
「⋯⋯ジジイ! しっかりしろ!」
「⋯⋯はっ。 小僧。 声を上げるな⋯⋯俺の最期が、騒がしいのは⋯⋯不格好だろうが」
「黙ってろ! 今、聖女を⋯⋯」
「間に合わん。 ⋯⋯心臓に、来ておる。 俺にもわかる⋯⋯」
マルクの口の端から、血が一筋流れ落ちた。 仮面の下で俺の視界が滲む。
「⋯⋯小僧」
「⋯⋯」
「酒、飲み損ねたな」
「⋯⋯ああ。 そうだな」
「貴様の、仮面の下、結局見れずじまいだ」
マルクが、震える手を持ち上げた。
その指先が、俺の仮面に触れる。 外そうとしているのか、ただ確かめようとしているのか。 力は、もう入っていない。
「⋯⋯小僧。 ひとつ、頼みが、ある」
「⋯⋯なんですか」
「俺の、剣をーー」
マルクの言葉が、そこで途切れた。
俺の腕の中で、白髪交じりの頭が傾いた。 深い皺の刻まれた顔から、ゆっくりと、力が抜けていった。
「ふむ。 この距離だと威力はイマイチだな。 実物の矢を使って正解だったな」
俺はマルクを殺した犯人を探す。 一方顎をさすりながら、そいつはやってきた。 狙撃手はケンタロスだった。




